10 旭の会

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10 旭の会

「おお。森下か。達者であったか?」 「まあ?山中様」 森下の民間療法の教祖。山中恭次郎。施設内の彼の白い部屋に呼ばれた森下女史。少女のように頬染めた。 「嬉しいです……私のような者に声をかけてくださるなんて」 陶酔した目、組む指の森下。山中、椅子に座りそれを優しく微笑んだ。 「何を申すのだ?お前は最近、励んでいるではないか」 「ああ。山中様……」 光栄すぎで泣き出した森下。彼女にとって山中は憧れの教祖であった。歳を取らない山中の美貌。その美麗な佇まい。森下は感激のあまり身を震わせていた。 「何を泣くんだい?お前は私の自慢の部下なんだよ?お前の『神水』の売り上げは、この地域では一番なのだから」 「お褒めに預かり光栄でございます」 喜びで頭を下げた森下。そんな彼女に山中、言葉を流した。 「しかし、こんなものではないね?お前の力は」 「え」 顔をあげてみると。ニコニコ笑顔で自分を見つめる山中。森下、恋する乙女の如く、ドキドキしていた。 「そ、それはどういう意味でございますか?」 「お前はわかっているね?苦しんでいる人を救えば救うほど。お前は幸せになれるのということを」 「はい。ゆえに私は必死に山中様の教えを広めようとこうして」 「本当かい?それは」 「え」 山中。笑っているが、声は冷たかった。 「私はね。お前ほどの実力がある者はまだまだ多くの人を救えるはず。私はそう信じているのだよ」 「もっと……人を救える」 「そうとも」 山中。長い足を組み直した。森下、突っ立って見ていた。 「山中様。それは私にもっと人を救えとおっしゃるのですか」 「ああ。お前にはそればできると私には視えているのだよ?さあ、更なる高みを目指そうじゃないか。私と、共に」 「山中様……」 山中の笑顔をもらい感動で震える森下。ここで山中に情報が入ったため彼女は頭を下げて退室した。山中、健康食品会社の社長として、部下から連絡を聞いた。 「山中様。例の呉服屋の娘の親が、我々を役所に訴えると申しているそうです」 「……ああ。あの娘か」 病だった娘。山中の部下が健康食品を病が治ると称し勧めていた。そんな彼女、先日亡くなっていた。この話、山中、悔しそうに窓の外を見た。 「その家。我が商品を残しておらぬな?」 「はい。品はとっくに引き上げております」 「では問題なかろう」 娘の死は山中の会社のせいという話。呉服屋の親の訴えの類は山中にとっていつものことだった。彼はスッと紅茶を飲んだ。 「そもそも。私たちの薬を飲ませたのは他でもない親であるのに………死んだのがこっちのせいとは。勘違いも甚だしい」 「ですが。山中様」 「なんだ?」 部下、汗を拭いた。 「向こうは。娘の遺体を警察で解剖すると言っているようで」 「愚かな。何も出てこぬというのに」 山中の健康食品。毒が入っているわけではない。水はただの水に塩と害のない生薬を少々。他の食べ物も同様であるが味が濃いだけで、特に薬品は入っていない。彼を信じて食品を口にし亡くなった人は、その人本人の病で死んでいるのだった。 「でが放っておいて良いのですか」 「……あの娘は生まれつきの病であったのだ。それを認めずに切り刻むとは。罪だよ。愚の骨頂とはこの事だ」 憐れむ山中。ふと森下の資料を手に取った。 「これを見よ。わが愛しき森下女史は、こんなにも神水や天水を販売しているぞ。彼女は多くの人を救っておるのだ」 嬉しい顔の山中。椅子に座り直した。そして名簿をよく読んだ。 「我々を訴えるなど気がおかしいとしか言えない……しかもこの名簿の病める人々は。我々の薬で長らえて生きているではないか?医者も匙を投げた哀れな患者。私は心の救いになっているというのに」 「山中様。ですが、最近、秘密警察が怪しい動きをしているそうで」 「なんだと」 急に動きが止まった彼。部下は続けた。 「ええと、見張りの者が言っていました。最近、コソコソ警察が森下を調べていると」 「森下女史を?そうか」 山中。資料を閉じた。 「彼女は長いからな……さぞ恨みも買っていることだろう。問題は火の粉が私にこないことだ」 「では。また移動ですか」 「ああ。この事務所は畳む、あ?そうだ」 山中。ニヤリと微笑んだ。 「この会社の責任者は森下女史にしよう」 「良いのですか?それだと、警察が来たら」 「ああ。有能な彼女に全てお任せしようじゃないか」 笑顔の山中。早速、万年筆でサインをした。この支部を森下に譲るという内容だった。 「これで良い」 「あの、資金の方は?森下に残すのですか」 部下の黒服。これに山中、気だるそうに肩を動かした。 「この会社は最近、追加融資で借金をしておいた。売上で返す形だ、気にするような金はないんだよ?さて」 山中、白いスーツ姿、カンカン帽を被った。部屋を外に出ると森下が目をキラキラさせて立っていた。 「おお。森下女史」 「はい、山中様。おでかけでございますか?」 「ああ。急ぎの仕事で、しばらく戻れないのだ」 山中。そっと微笑み彼女の肩に手を置いた。 「よってここの責任者は君にしておいた」 「まあ私を?」 頬を染める森下女史。白髪の初老の女性。整形で美麗な山中。彼女の頬に手を添えた。そして見つめた。 「君だけなんだ。信用できるのは……」 「光栄です。私、もっと『旭の力』を広めて見せますわ」 「頼んだよ」 山中。怪しい香水の香りを残し、ここを後にした。森下、頬を染めてぼうっと立ち尽くしていた。 ◇◇◇ 「旦那様。最近。森下さんって。機嫌が良いですね」 「そうか?」 いつもの朝、森下を待っている澪と悠。二人の寝室を暗いままで待っていた。 お香は火を付け、花を飾った部屋。寝床には怪しい水をおいた。健康に悪そうな空気を作り、二人はこの朝も森下を待っていた。 「ええ。昨日は私に挨拶をしてくれましたもの」 「それは確かに機嫌が良いな?ははは」 布団から身を起こしている悠。笑ったが、澪は難しい顔をしていた。 「ん?どうした」 「……もしかして。私を追い出す手配ができたのかもしれないですね」 「え」 思いもよらない澪の言葉。悠。止まった。 「だって。森下さんは私が邪魔なんですもの。そうよ。そうかもしれないです」 「落ち着け、澪」 そう言って澪の手を握った悠。本当は落ち着かないのは自分の方だった。 「ですが旦那様」 「そんなことはない。私がそうさせない」 「旦那様?」 悠の握る手。力がこもっていた。 「良いか?まずは俺たちは不仲であるぞ?それを徹底しよう」 「は、はい」 そして。森下がやってきた。いつものように澪を無視し、悠を恭しく世話をしていた。 「ところで。悠様、あの嫁は言いつけを守っていますか」 「さあ……俺は寝てますし。あいつが何をしているのか。関心もないし、そもそも知らないです」 「そうですか。ええ、そうですよね」 嬉しそうな森下。今度は居間にいた澪に向かった。 「お前。悠様に余計なことをしていないだろうね」 「はい」 「悠様はお前に何か言ったりしてないだろうね」 澪。唾をごくんと飲んだ。 ……さあ、悪口を言わないと。 澪。心を決した。 「はい。旦那様は、私が挨拶しても、返してくれませんし」 「へえ?」 「私の顔も見ませんし。その、会話が全くありません」 「そうかい。ふふふ。それは仕方ないね」 悲しい話を嬉しそうに聞く森下。澪、正座で俯いていた。 「いいんだよ。お前は偽の花嫁なんだ。本当の夫婦にはならないのだから。それで良いのだ」 「は、い」 「では。私はこれで」 忙しそうな森下。彼女を見送るために廊下に続いた澪、勇気を出し、彼女の背に聞いてみた。 「森下さん。これからもお仕事ですか」 「そうなのだよ。お前のような暇人にはわからないだろうが。私にはたくさんの患者が待っているんだよ」 そう言って。森下は帰っていった。澪、いつものつっかえ棒をした。そして悠に朝飯を食べさせていた。 「澪。私はお前の悪口を言ったが。お前は森下になんと答えたのだ」 「はい。『挨拶もないし、顔も見てもらえない』って言いました」 「はは。いいぞ。もっと俺の悪口を言え」 笑みを讃える悠。しかし、澪は沈んだ顔だった。悠、これに気づかず食後、機嫌よく本を読み出した。 この日、澪。隣の家のお婆さんに洗濯干しの際、声を掛けられた。 「ねえ。お宅の旦那さん、元気になってよかったね」 「まだまだですが」 「ところであの女はどういう女なんだい?あの曲者、いつも駅から来るんだよね」 「駅から」 森下を駅で見かけたという隣人。澪は胸をドキドキさせていた。そしてこの午後、密かに考えていた。 ……森下さんの跡をつければ、何者なのか、わかるのではないかしら。 最近はこの屋敷の掃除も進んでおり、時間に余裕がある澪。そっと部屋を見ると彼はまた自分の女着物を引っ掛けて昼寝していた。 ……旦那様は元気になってきたから。このままでは薬を飲んでいないことがバレてしまうわ。だったら。こっちから先に正体を掴まないと。 大島の応援があるのは知っている澪。しかし、いつ、自分が追い出されるか、さらに悠がどこかに連れて行かれるか、それは保証がなかった。 こうして翌朝、澪は森下の跡をつけることにした。悠には買い物に行くと行言った澪、小田島家を出た。いそいそと駅の方向まで歩いていた。尾行されているのを知らぬ森下。駅に行くまでに一軒の家に立ち寄っていた。 ……ここは。お金持ちの家のようだわ。 大きな門。すると中から怒号が聞こえた。 「いやよ!私はそんなの飲まない」 「これ!森下さんがせっかく持ってきてくれたのに」 患者を説得している家族の様子。しかし、患者の、若い娘の声がした。 「うるさい!出て行け!インチキ女め!帰れ!」 「お可哀想に。娘さんには狐が取り憑いていますね」 森下の優しい声。これが聞こえた澪、ゾッとしていた。そんな森下、さらに他の家にも立ち寄った。そしてやっと電車に乗り、とある建物にたどり着いた。 ……ここか。森下さんは入って行ったのは。 その看板。「健康食品『旭の会』」とあった。澪、住所を控えようと思っていた。電信柱に影にそっと立とうとしていた。 「おい、そこで何をしている」 「え」 「怪しいやつだ。顔をかせ」 見張りのような男。澪は片腕を掴まれてしまった。 つづく
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