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11 光の先
◇◇◇
「澪や」
「大奥様、なぜここに?」
「……小田島さんから連絡が来たんだ」
病室まで迎えにやってきた北原菊。白髪をまとめた着物姿。ベッドに横になっていた澪の隣に座った。
「さあ。帰るよ」
「あ、あの、私はどこに?」
「お前の仮初の旦那は、元気になったらしいじゃないか」
菊。呆れたように呟いた。
「まあ、とにかく。今回の件はこれで終わりだ」
「終わり」
布団から身を起こしていた澪。悲しく呟いた。
「ああ。小田島さんとの縁は切れた。さあ、帰るよ」
この話し方。冷たいが澪、少しの優しさを感じ取った。
……そうか、そうよね。お元気になったら。私なんか要らないはずだもの。旦那様は聡明な方だもの。
出て来る涙。布団にボタボタと落ちた。これを自分で拭った。
「承知しました。今、着替えます」
「ああ。早く支度をおし」
病院の浴衣を着替えた澪。自前の着物に着替えた。そして大部屋の仲間に挨拶をして部屋を出た。
「あの、私。旦那様に一言ご挨拶を」
「要らないと言われているよ」
「はい……」
悠はお節介が嫌いだと言った。澪、そんなことを思い出していた。こうして悲しみを抱いたまま。廊下をとぼとぼ歩いていた。
「澪!」
「え」
振り向くと。そこには悠が立っていた。彼は慌てて澪の元にやってきた。
「はあ、はあ」
「澪、この方は?」
悠を胡散臭そうにみる菊。澪、紹介した。
「旦那様です。小田島悠様です」
「この人が」
菊。目の前の青年を見た。死にかけと聞いていたが、目は煌々とし、体も痩せているがしっかりしていた。彼は澪の隣に立つと菊を見つめていた。
「あなた様は、北原の方ですか」
「そうです。私は北原の主の母、菊と申します」
老齢であるが鋭い眼。菊は悠を見つめた。悠、まっすぐ答えた。
「自分は小田島悠と申します。恐れ入りますが。澪を連れて行かないでください」
「お言葉ですが。チエ殿が連れ帰れと言ってきたんですよ」
「……北原さん。この件は改めてご説明に伺います。どうか、ご息女を私に預けていただけないでしょうか」
頭を下げる悠。澪、びっくりした。菊。冷たい目で彼に向かった。
「なぜですか。この娘は養女だと、あなたはご存知なのでしょう」
鋭い眼。悠、うなづいた。
「はい」
「あなたの身分では、この娘では恥をかくだけです。そんなことよりも、この件は互いに忘れた方が良いのです、さあ、澪、参りますよ」
「あ。あの」
ここで澪、悠を見た。彼は強く強く、澪を見ていた。そして澪の手を掴んだ。
「ゆくな」
「旦那様」
「……澪、どういうことかわかっているのかい」
「大奥様……私は」
立ち止まった澪。悠を見つめた。長い髪の間の瞳、じっと自分を見ていた、掴む腕の強さ。彼の温もり。澪。この思いに争うことができようか。澪、菊に向かった。
「すいません、私、悠様がもう少し元気になるまで、おそばでお世話をさせてください」
「お前。私に、逆らうつもりかい」
ドキとする言葉。歯向かうのはこれが初めてだった。澪の心の中、冷たい悲しみと、温かい勇気が湧いていた。
「大奥様。澪は、もう。これが済んだら。どうなっても構いません」
「澪」
「お前、本気なんだね……」
涙を流す澪。悠の手をしっかり握った。
「はい。大奥様。お願いです。どうか、もうしばらく、許してください」
涙で頭を下げる澪。これに悠も一緒に頭を下げ懇願した。
「北原さん。今度、こちらから挨拶に伺います。母が何か言うかもしれませんが、私は父とも相談して、ご挨拶に伺います。お願いします」
頭を下げる二人。菊。黙ってため息をついた。
「わかりましたよ」
「え」
「良いのですか?」
顔を上げた澪と悠。菊は静かにつづけた。
「悠さんといいましたね?今回は急な話、まずは目を瞑りましょう」
やったと澪と悠は見つめあった。菊は話を続けた。
「あなたの介護として、引き続き澪を置いて行きます。しかしですね。こっちも振り回されるのは懲り懲りなので、次回は話をきちんと決めてきてくださいまし」
「あ、ありがとうございます」
「大奥様。ありがとうございます」
頭を下げた二人。菊は踵を返した。そして廊下を颯爽と帰っていった。
「はあ。終わった……あ。力が」
「え?旦那様。しっかりしてください」
急に力が抜けた悠。澪にもたれかかった。
「大丈夫ですか?」
「ああ。澪。あのな」
悠。肩を貸してくれた澪に囁いた。
「ありがとう」
「別に、肩くらい貸すのは普通ですもの」
……それじゃないんだけどな。
一緒に歩く二人。病院の白い廊下を進んでいた。悠の病室へ戻ってきた。
「あら、旦那様。良い匂いです。そろそろお夕飯の時間みたいですね」
「帰る」
「え」
「ここの食事はまずい。俺はお前のお粥が食べたい」
甘えるような声。澪の頬が染まった。
「ふふふ、本当に元気になったんですね」
「そう言っているだろう」
やがて到着した個室の部屋。澪は彼に話した。
「でも、ほら、もうお食事が届いていますね」
「ううう」
そこに届いていた夕食。澪は彼に見せた。
「美味しそうですよ。食べましょう」
「……一緒にな。澪」
「はい」
最後は笑顔の二人。悠はベッドに入った。澪はそばの椅子に座った。夕焼けが差し込む西の病棟。この日、澪は看病でこの個室に泊まり彼のそばにいた。
ただ近くに、ただ一緒にいるだけの二人。そこには優しい時間が流れていた。翌朝には退院した二人。その足は軽やかだった。
10「旭の会」完
第一章「悲しい婚約」完
第二章「流れる思い」へ
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