1 青い空

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1 青い空

「だから!私は何もしておりません」 「嘘言え!」 「ですから、何度も申し上げておりますが」 西日が射す小部屋。森下。秘密警察の取調べに堂々と説明を続けた。 「私どもは健康食品をお届けしているだけです。しかもご家族との契約もちゃんとございます」 「どうせインチキな食品だろうが!」 刑事が叩く机。森下。表情を変えずに答えた。 「インチキというのは聞き捨てなりませんが。これで病が治るとは。どこにも書いてないじゃありませんか」 強気な森下。はっきりそう言いのけた。刑事、眉を顰めた。 「そもそも。我が社の製品を病人に飲ませているのはご家族ですよ?私が強制しているわけではありません」 「こちらの調査ではな?お前達の指示で高額な水を飲み。これを飲めば体の悪いものが外に出ると、そういう(うた)い文句だろうが」 「警部さん。その悪いものとは。汗や尿のことですよ?一体、他に何があるんですか」 呆れるように正論を説く森下。刑事も彼女を言い任せできずにいた。森下。さらに続けた。 「確かに高額な水ですが。これは富士山麓の湧水を汲んできているのです。それを承知で家族が購入されているんです。警察にとやかく言われる筋合いはございませんよ」 「減らず口を」 「とにかく!私をここから出してください。これ以上、私が悪いというなら。その証拠を持ってきてくださいな」 雄弁な彼女。逃げる気配はない。警察は渋々森下を釈放せざる終えなかった。 ◇◇◇ 東京下町。小田島の住宅。粗末な木造の平家。そこには朝顔が朝露に濡れていた。晴れた夏。澪、庭にて洗濯物を干していた。 「あはようさん」 「おはようございます」 隣人の老婆の笑顔。澪は微笑んだ。 「旦那さんの調子どうだい?咳がちっとも聞こえないね」 「そうなんです」 医者に心の病と言われた悠。これに納得し心が晴れていた。それは身体は問題がないこと。しかも医師はだいぶ体力が回復していると言っていた。これが彼を元気にさせていた。 「これ、頂き物で悪いんだけど、お一つどうぞ」 「うわ。スイカですか?ありがとうございます」 隣人からもらったスイカ。これを澪、縁側にいた悠に見せた。新聞を読んでいた悠、この大きさにびっくりした。 「そんなに大きいのは初めてみたぞ。しかし。それで甘いのか?」 「どうでしょうか?ずっしりしてますけどね」 「どれ。俺が叩いてみる」 悠。スイカを叩いた。 「うん。これはズンズンと重い音がする。中が詰まっている証拠だ、お前も叩いてみよ」 「はい」 澪も叩いてみた。彼女は首を傾げた。 「どうだ?」 「軽いような気がしますけど」 「さて。これは困ったな」 腕を組んで真剣に悩む悠。澪。思わず背を向けた。悠、その仕草が疑問だった。 「ん?どうした」 「ふ、ふふふ」 「おい。澪。お前さては」 スイカで真剣に悩んでいる悠。これが面白い澪、背を向けて笑いを堪えていた。悠。これに気がついた。 「こいつ」 「きゃあ」 縁側で抱き寄せた悠。笑っていた。 「許せんな」 「す、すいません」 「だめだ!お前は俺を侮辱した」 冗談の悠、澪も笑っていた。 「澪は侮辱なんてしていません。そ、尊敬しています」 「尊敬?」 腕を話した悠。澪、笑顔だった。 「どこを尊敬しているのだ」 「だって。スイカでこんなに悩むなんて。ふ、ふふふ……」 朗らかに笑う澪。悠、これを静かに見ていた。 退院した二人。小田島家のお達しで当面、このまま悠の静養のため、二人で暮らすように言われていた。そしてこの昼下がり。悠は勇気を出した。 「澪。これからの話をしたいと思うんだ」 「はい」 一緒にいたいと話をしたが。具体的な話はしていない。澪はそっと悠の言葉を待った。悠、昼下がりの入道雲を見上げた。 「俺は、まず体力をとり戻し、仕事に復職したいと思う。そして、それからお前に正式に縁談を申し込もうと思う」 「私にですか?」 一緒にいて欲しいと言われたが、改めて言われると澪は嬉しさで胸が真っ赤になった。悠は続けた。 「嫌か?」 「いいえ。その」 恥ずかしそうな澪。悠、覗き込んだ。 「その?」 「嬉しいですが。私のようなもので、本当に良いのかと」 「澪」 悠。縁側にいた彼女の肩を抱いた。夏の風が優しく吹いていた。 「俺の方こそだ。本当に俺で良いのか?こんな、こんな病み上がりのひねくれ男なんか」 「ひねくれ男?ふ」 自虐の話。澪、クスと笑った。悠も微笑んだ。 「笑ったな!」 「すいません」 「いや?いいんだよ」 仲良く肩を寄せた二人。視線の先、同じ庭の花を見つめていた。 「とにかく。まずは俺は仕事場に行けるようにならないと」 「そうですね。それにはたくさん食べて、元気になりましょうね」 「あ、ああ」 そして手を握った悠と澪。この話を終えた。夏の午後、優しい日差し。蝉の声、白い雲。二人の夏の目標、心が一つになっていた。 この夕刻。悠は風呂に入った。その後、澪が髪を拭きながら尋ねた。 「旦那様。お(ぐし)が長いのですが。少し切りませんか」 「そうしたいが、床屋に行かねばな」 「澪が切りますよ?」 「え」 澪。笑顔をみせた。 「実家にいた時、弟の髪を切っていましたので。でも、旦那様の髪を、少し短くするだけですが」 「では、頼もうか」 このまま。澪は悠の髪を切った。病の床で腰まで伸びた髪。これをせめて肩まで切った。悠はこれを普段はひとまとめにできる長さを残した。 ……綺麗な髪……それに、肌が綺麗だわ。 そして切り終えた悠。凛々しい面が見えた。さらに目標ができた彼、目もどこか煌き、背筋もキリッとしてきた。澪、彼の髪を整えながらドキドキしていた。 「いかがした?」 「いえ?あの……」 「まあ、今までがひどい格好であったからな」 そして。夕食になった。悠、食欲が出てきてたくさん食べた。その様子、澪、あっけに取られていた。 「あの、無理して食べなくても」 「お代わり!味噌汁も」 「はい」 こうしてたくさん食べた彼、満腹で早く寝てしまった。そして翌朝は早起き。部屋を整理整頓し、仕事に復帰に準備していた。澪、これを必死に支えていた。 そして。いよいよ出社する朝がやってきた。八月の暑い朝だった。 「くそ。この日にして失敗だった」 「でも。大島さんには今日から行くと言ってしまいましたものね」 着替えを手伝った澪。肩までの髪をひとまとめ。白いシャツに黒いスラックス。いつも自宅では着物姿であったので、この洋装に澪はドキドキしていた。 「それにしても暑いな」 「あ。扇子をどうぞ。これはハンカチです」 「はあ。やはり行かないとダメか」 ぼやく悠。それは澪と一緒にいたい気持ちもあったから。しかし淡々と出かける用意をする澪。悠、口を尖らせていた。そこに大島が迎えにきた。ハイヤーで迎えにきた彼、これに乗った男二人、澪は見送った。 ◇◇◇ 行きの車中、一緒に後部座席にいる大島、足を組んだ。 「早速だが。例の全国観測所のデータの件なんだ」 「ああ。毎日送られて来ているんだろう?活用できているのか」 「正直……今は、それを見るのが精一杯だよ」 気象台肝煎りの全国から送られてくる気象情報。これを元に全国の天気予報をする計画。そのために観測所から毎日データが送られているが、大島は腕を組んだ。 「確かにあれのおかげで予報率が上がったが、情報をまとめるだけで部下達は必死なんだよ」 「そうか」 悠、窓の外を見ながら考え込んでいた。大島、話を続けた。 「それにな。台風の予報や、今年の冬の予報もしてくれと上から言われている」 「そうか」 「そうかってお前……俺はお前に」 「わかっているよ」 不満そうな大島。これに悠、笑顔になった。 「休んだ分。働かせてもらうよ」 「へえ?期待していいんだな?まあ、あんまり無理するなよ」 こうして二人。東京麹町、気象台が入っている役所に到着した。悠と大島、中に入っていた。 「おはよう」 「おはようございます。まあ。小田島さん、お久しぶりですね」 「どうもです」 他部署の知人に挨拶した悠。長い髪を少し切り一纏めの姿。まだ痩せていたが広い背が綺麗に伸びていた。制服の黒いスーツ。久しぶりに彼は気象台に出社した。病み上がりであったが会社に来ると心が不思議と冷静になっていた。行き交う人の中、彼は二階の事務所の戸を開いた。 「おはようございます」 「あ?小田島先輩」 「やった!元気になったんですね」 「あの、どうも、ご心配をかけました」 恥ずかしそうに入ってきた小田島。ここで大きな明るい声がした。 「な?やっぱり仕事はいいだろう」 「ああ。大島」 背後から顔を出した大島。はい、とお茶をくれた。いつも自分が使っていた湯飲み。悠、笑みを称えた。 「あの、皆さん。ご心配をかけましたが、もう、体調は良くなりました。今まで休んで本当に申し訳なかった」 頭を下げる小田島。ここで部下たち。なぜか拍手をした。そして小田島の復帰を歓迎してくれた。悠、感激で笑顔になった。 「さて。お前には仕事にかかってもらうぞ。それが、資料だ」 「え?こんなに?」 机に溜まっている資料。悠は長い前髪をかきわけ資料を見上げた。 「これは……どういうことだ?」 「例の台風情報だよ」 大島。難しい顔で椅子に座った。隣の席の小田島も自分の席に座った。 「ほら、もう台風の時期だろう?今年も三号までやってきている。それがな、今年はどうも台風が大きいようなんだ」 「大型か。数値はどうなんだ」 早速データを見出した小田島。その真剣な横顔、大島は捕捉した。 「そっちは去年のデータ。こっちは今年のだ。今年こそは台風被害を食い止めたいんだ」 室長の大島。台風情報の正確な予報を希望していた。これは小田島悠の得意な分野。彼は早速、仕事に取り掛かった。 ◇◇◇ 午前中。小田島悠の邸宅。来客があった。 「こんにちは」 「は、はい」 「あなたが澪さんね」 やってきたのは悠の兄、孝太郎の妻の珠代と名乗った。こ綺麗な美人、気持ちの良い笑顔。身重のようで大きなお腹、澪、早速彼女を家にあげた。 「突然でごめんなさいね」 「いいえ。ご挨拶もしないですいません」 改めて澪、悠に世話になっていると挨拶をした。優しそうな珠代、お茶を飲みながら微笑んでいた。 「私は悠さんの兄、孝太郎さんの妻で、珠代と言います。今はこの通り、お腹が大きいの」 「どうぞ、楽な姿勢でいて下さい」 そう言って澪は座布団を多めに出した。珠代、ありがとうとうなづいた。 彼女は夫と幼馴染。そのため悠も幼い頃から知っていると語った。彼女は本家の代表だと澪を見つめた。 「実はね、あなた達の冥婚の話、小田島の義母の一存で決まったことで。小田島のお義父様や夫は、事後報告だったの」 「そうだったんですか」 一度会ったことがある小田島の母。森下の言いなりになっていた様子。正座で話を聞く澪、思い出していた。 「ええ。だから、結論からお話しますけど、お義父様はあなた達の今回の結婚には反対なのよ」 「そう、ですか」 ……やっぱり。それもそうでしょうね。 森下の薬のせいで酩酊していた時の結婚の話。向いに座る澪、俯いた。 「私。自分が悠様に相応しくないのはわかっています、でも今は元気になるまでおそばで介護を」 「お待ちなって澪さん。夫はね。あなた達の婚姻に反対ではないのよ」 珠代。大きなお腹で説明をした。 「夫はね。悠君を元気にしてくれた澪さんに感謝しているの。でもね。お義父様も夫もね。まだあなた、と言うよりも悠さんを信用しきれていないのよ」 「旦那様をですか」 確かに。病で人が変わっていた悠。おそらく家族を傷つけたことであろう。そのため家族が彼を信じられない気持ち。澪にも伝わってきた。 「ええ。だから今はね。夫があなたの家と話し合いをして、澪さんを介護人として雇う形にしたの。つまり、今まで通りここで暮らしていただいていいのよ」 「介護人ですか」 うんと珠代はうなづいた。 「……義母も落ち着いたけれど、まだどこか旭の会を信じているみたいで、悠君には会わせない方が良いと思っているの。それに、申し訳ないけれど、私もこんなお腹で、義母の事で手一杯で」 「では、珠代さんが、奥様のお世話を」 澪、珠代の青白い顔は妊娠だけのせいじゃないと気がついた。彼女は嫁として本家で苦労していると悟った。 ……私、珠代さんにご迷惑をかけられないわ。 澪。膝の上の手をぎゅっと握った。冥婚という怪しげな縁の二人。病から目覚めたとはいえ悠はそれだけ家族を傷つけることをした様子。今の自分に、何ができるかと思った。 「珠代さん」 「はい」 「私、私は家族に嫁ぐように言われて、この家にやってきました。そこで、旦那様を見て。ご病気だと知りました」 澪、胸の内を語り出した。 「正直、驚きました。でも、森下さんの治療で苦しんでいる旦那様を見て、どうしても、その、何かせずにいられませんでした。私は正式なお嫁さんじゃないとわかっていますが、旦那様には、元気になってほしいと思って」 「ありがとう」 「いいえ?お礼なんて。それよりも旦那様も、お仕事に戻りたいと意欲が出てきて、今日から会社に行かれたんです」 「澪さん」 ここで。珠代は澪の手を握ってくれた。 「本当にありがとう。私たち。あの時、誰も悠君を助けることができなかったのよ」 「珠代さん」 涙を浮かべる珠代、澪もまた胸が熱くなった。 「だからこれから二人で。しっかり生活をして、お義父様と夫を納得させてちょうだい」 「わかりました」 「……結婚はそれまでお預けだけど、あなたなら大丈夫ね」 最後は笑顔の珠代。こうして話を済ませ人力車で大きなお腹を抱えて帰っていった。 ……本家のお嫁さんか、立派な人だわ。 自分と悠を心配してくれた珠代。大きなお腹で来てくれた人。澪。見えなくなっても頭を下げていた。 ……認めていただけるよう、私にできることをしっかりやろう……まずは旦那様にお元気になっていただこう。 夏の午後、蝉の声、暑い日差し。顔あげた澪、汗だくであったが、西日の太陽に負けないくらい、志は燃えていた。 完
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