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5 嵐にて
大型台風の予想。悠の見立て通りに日本にやって来る模様であった。すでに台湾付近でその勢いが計測で出ていた。
「小田島。どうだ」
「先ほど入った連絡では。やはりこれは本土直撃だな」
「……困ったことになったな」
大島。頭を抱えた。これに悠。椅子をくるりと向けた。
「今すぐ。上層部に通達するべきだ。しかも満潮に当たる。沿岸部は津波並みの被害があるぞ」
「わかった。お前も同行してくれ」
大島と悠。共に上司に報告に行った。しかし、彼らは眉を顰めていた。
「それは真かね」
「大袈裟じゃないか」
面倒そうな上層部。小田島、必死に訴えた。
「いいえ!この台風は特別です。最大級の警戒が必要です」
「小田島君。君のいう通りに大型台風が来るとしよう。では、その情報を国民に伝えて、混乱を招くと思わないかね」
「え」
悠、頭が真っ白になった。ここで大島が捕捉した。
「僭越ながら。我々は気象を予想するのが仕事です。その情報をどうするかは、上層部にお任せしたく思います」
「大島!それでは」
「小田島!鎮まれ。では、これで」
大島。悠の腕を引くように退室した。悠、その腕を振り解いた。
「なぜだ!なぜ危険だとはっきり言わないのだ」
「……今、上は役職争いをしている。ゆえに予報が外れた場合の責任を嫌がっているようだな」
「そんな!人の命がかかっているんだぞ」
「だがな」
大島の困り顔。悠、まっすぐ向かった。
「俺たちはな。趣味で天気予報をしているのではない!人に役に立つために、人を守るために行っているのだ!そんなちっぽけな権力争いに巻き込まれて、国民がどうなっても良いのか」
「小田島。少し落ち着け」
「離せ」
悠。怒りで廊下を早足で進んだ。そしてそのまま自宅に帰ってきた。
「今、帰った!」
「おかえりなさいませ。お早いですね」
「ああ」
機嫌の悪い悠。それを隠せないまま風呂に入った。それでも怒りが収まらず部屋に引きこもってしまった。
「旦那様?」
「すまない。少し疲れたんだ」
「……お悩みがあるのでしたら……澪にお話しくださいませ」
「お前に?」
「わ、わかるかどうか、わかりませんが」
恥ずかしそうな彼女。悠、怒っている自分がおかしくなってきた。思わず愚痴をこぼした。
「つまらない権力争いがあってな。正しい行いをしようとせぬのだ」
「そうですか」
「皆自分のことばかりで。人の命など何とも思っておらぬ。全く。役人とはなんと虚しい者だと、悲しくなったよ」
「では、旦那様は正しい行いをしようとなさっているんですね」
澪。うなづきながら話した。
「澪は旦那様のお仕事が天気予報としか、知りません。でも、今日のラジオを聴いていていたら、『本日は晴天。良い天気です』って放送したんです」
「ああ。今日は確かに晴天だったからな」
「でも旦那様。昨夜あんなに雨が降ったのに。どうして晴れたんですか?」
「ははは」
可愛いことを言う澪。悠、思わず目を細めた。
「説明が難しいが。全国の情報があればわかるものだよ」
「確か。気温、気圧、風力で計算するのすよね?澪はすごいと思います」
目をキラキラさせている澪。悠に向かった。
「おかげで、助かる人がたくさんいますものね。旦那様のお仕事は、とても良いお仕事ですね」
「良い仕事か」
澪に褒められた悠。やれやれで頭をかいた。
「さあ!そろそろ。お夕食にしましょうね」
「ああ」
嬉しそうな澪。粗末な着物。優しい笑顔。真っ直ぐで清らな心。悠、己の心が透き通っていくような気がしてきた。
夏の終わりの屋敷。庭では蛍が飛んでいた。優しい夜風、二人は静かな時間を過ごしていた。
翌朝。悠は大島に告げた、そして再度、二人で上層部に願い出た。悠、一歩前に出た。
「お願いします。それに、この予報が外れた時は、予報の責任者として、私が辞職します」
「小田島?」
隣にいた大島。驚き顔で見つめたが、悠はまっすぐ前を見ていた。ここで一人の上役が悠に尋ねた。
「君がそこまで言うなら。よほど予報に自信があるのだね」
「いいえ」
「何を申すのだ!無責任ではないか」
「みなさん。これは人命が掛かっているのです。大型台風が上陸せず、私の予報が外れて空振りなら。むしろ喜ばしいことです」
ここで、一人の髭の役人が静かに悠に尋ねた。
「小田島君と言ったね。その大型台風の特徴をもう一度教えてくれたまえ」
「はい。横浜から東京にかけて上陸です。東京では隅田川と荒川が氾濫。横浜でも沿岸部まで高潮のため浸水です」
「荒川まで」
「はい!そして。この台風は勢力を弱めず、北海道まで行きます」
「まさか?北海道には行く頃には、台風は弱まっているであろう?」
「今回は規模が違います。低い土地や沿岸部は最大級の備えが必要なんです」
しんとなった会議室。ここへ係の役人が伝言を伝えに来た。
「海軍から問い合わせです。台風についての情報です。それと総理大臣官邸からも」
「……わかった。では、小田島君と大島君」
「はい」
「はい」
髭の役人。二人に命令をした。
「大型台風特別対策本部の指揮を任せる!全責任はこの私が持つ」
「いいのですか?」
同席の役人たちの言葉。髭の大佐、うなづいた。
「私はもうすぐ引退の身。若者たちの礎となろうじゃないか?さあ、行け」
悠と大島。指揮を任された。こうして嵐の幕開けとなった。
◇◇◇
「澪」
「まあ。こんな時間にお帰りですか?」
「いや、しばらく仕事で帰れないのだ」
悠。準備をしに戻っただけと告げた。用意の合間。澪は事情を聞いた。
「まあ、そんな大きな台風が?」
「ああ。この屋敷は問題ないが、お前はくれぐれも用心しておくれ」
「はい。澪は大丈夫ですよ」
頼もしいのが嬉しいやら寂しいやら。支度をした悠。澪を見つめた。
「何か?」
「……本当は一人にしたくないが。お前、実家に戻っているか?」
「いえ?それは本当に大丈夫です」
「だが。私はそばにいてやれぬ」
「旦那様」
澪。彼の手を握った。
「本当に。澪は大丈夫です。この屋敷を守ってみせます」
「澪よ」
悠、ふわと抱き締めた。
「すまない。いつも力になれなくて」
「旦那様。澪の心にはいつも旦那様がいます。どうぞ、どうぞ。ご存分にお勤めをなさってくださいませ」
いつの間にか震えている澪。悠。そっと頬に口付けた。
「では。参る」
「はい。お食事はちゃんと取ってくださいね」
「わかっているよ」
最後は笑顔で。悠は仕事へ戻る車に乗った。その車見えなくなるまで手を振った。
なぜか涙が出てきた。
……平気よ。すぐにお戻りになるわ。
本当は不安であったが、澪、彼を見送った。嵐の前の空、怖いくらい晴天だった。
◇◇◇
「どうだ。その後の動きは」
「はい!小田島さん。まだ中心は沖縄付近です」
「……動きが遅いな」
これに新人部下が悠に尋ねた。
「どうして動きが遅いとまずいんですか?」
「遅い分。周囲の海水を巻き上げて。大きな台風に育ってしまうんだよ」
「では。これは相当大きくなりますね」
気象部で話し合いの最中、大島はラジオの原稿をまとめていた。
「『現在、沖縄に上陸。今後の進路について九州を直撃。時刻は明日の夕刻。満潮になるため沿岸部の人は最大級の備えをしてください』っと。今はこれで放送してください」
「はい!」
受け取った係員。慌ててラジオ放送に走っていった。こうして気象台ができて初めての大型台風。悠の予報と大島の指揮で進めていた。
新聞やラジオでも流した情報。関東上陸という内容に俄かに騒がしくなっていた。悠、職場にて夕刊を読んでいた。
「鉄道はどうなったであろうか。誰か知っているか」
「ああ、小田島さん。私鉄は普段通りに動くようですよ」
「なんだって」
驚く悠。部下は確認してきたと話した。
「便数を減らして運行すると」
「ちょっと、行ってくる」
「あ?どこに」
悠。足早に部屋を飛び出した。
つづく
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