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最終話 雨降って愛かたまる
澪との別れから数年後。悠は相変わらず役所で仕事をしていた。周囲が進めるが独身のままの彼。仕事で昇進しこの部署を任されていた。この午後もいつものように仕事をしていた。
「おい。それは本当に当たるのかい」
「そういう評判なんだよ」
「何の話だ」
「あ?小田島室長」
若い部下達。役所内にて噂話を興奮して話し出した。それは銀座の一角の小さな店の話だった。
「そこに、二坪ばかりの傘屋があるんですが」
「小田島さん。そこの店員が天気予報をするそうなんですよ」
「天気予報?素人が」
「はい」
「なんだ、何の話だ?」
ここに大島が話に入ってきた。部下達は説明を続けた。
「その天気予報が当たると評判なんです」
「周りのデパートの人も、その店員に天気予報を尋ねるそうですよ」
「なんでまた?」
大島の驚き顔。悠、しれと話した。
「大島。デパートでは食べ物も売るだろう?それに関係するのではないか?しかも建物の中にいては外の天気がわからないものだ」
「なるほど。しかし、そんなに当たるとは」
「どうせ。占いか何かですよ」
いい加減な話とみた悠。しかし、この夜、その傘屋に行って来た部下の二人は、翌朝、興奮して話した。
「すごかったです」
「そうです。あのですね」
机で仕事をしている悠に彼らは大声で話し出した。
「僕らは行った夜は雨が降らないので、店を早終いすると言っていました」
「それに。本当に近所の人が天気を聞きに来ていました」
「それは聞きづてならないな」
予報は気象台がするもの。素人がいい加減な予報をして混乱をさせてはいけない。この件が気になった悠、大島を誘いその銀座の傘屋にやってきた
都会の夜。おしゃれな街。スーツ姿の悠。夜風に髪を靡かせていた。二人は仕事の話をしながらその店にやってきた。
「おい。あれじゃないか」
「小さな店だな」
この夜。店先には傘が並んでいた。悠達が入る前に、他の客が入って行った。
「おい。店長さん。明日の朝はどうなんだい?」
「あのですね。ご自分で天気予報をご覧になって下さいませ」
「それはあれだよ。東京全部の天気じゃねえか」
近所の八百屋の前かけの旦那。店長の女性に向かっていた。
「俺はここだけの天気が知りたいんだよ」
「……今夜は雨が降りますが、明け方に止みますよ」
「そうか!ありがとさん!」
八百屋の旦那、嬉し顔で帰っていた。ここで、悠と大島は入っていった。悠。店長の背中に早速嫌味を放った。
「傘屋の風情で予報とは、君は何の権利があってそんなことを」
「恐れ入りますが。私は気象台のラジオをお伝えしているだけ、あ」
「……澪」
振り返った女性。綺麗にまとめた黒髪、薄く化粧した女性姿。悠、息を呑んだ。ここに何も気がついていない大島が顔を出した。
「ん。知り合いか。え?澪さん!?」
「はい……旦那様、大島さん。お久しぶりでございます」
丁寧に頭を下げた澪。悠と大島、驚きで声もでなかった。澪、恥ずかしそうに悠を見上げた。
「旦那様。お元気そうでなりよりです」
「あのな。澪、お、お前」
澪が行方不明の経緯。聞きたかった悠。しかし。客が来てしまった。
「あ?いらっしゃいませ」
「この店が開いているってことは、今夜は雨ということかな」
スーツの男。傘を物色していた。
「はい!もうすぐ降りますよ。ね?旦那様」
「あ。ああ」
「どの傘にしようか。これがいいかな」
「……今夜の雨は強い風ですので。こちらの頑丈なものが宜しいですよ」
進めた傘、男は買っていった。これを大島が感心してみていた。
「澪さん。ここは傘屋だけど。晴れの天気だと商売に困るんじゃないか」
「みなさんそう心配されますが。晴れの日は日傘と、折りたたみ傘が売れるんです」
「澪。お前は今までどうして」
「待って下さい!今夜はお店を閉めますね」
傘を片付ける様子。大島と悠も手伝った。澪、慣れた様子で店を施錠した。
「これで終わりです」
「あのな。小田島。俺は帰るよ」
悠の肩に手を置いた大島。笑顔を残し夜の街に消えていた。
「……旦那様?」
「澪。歩きながら話そうか」
夏の夜風。洋服姿に薄化粧の澪と歩く悠、ドキドキしていた。
……ああ。綺麗だ。こんなに大人になって。
別れた時は少女の面影の娘、今、肩を並べて歩く澪、物静かな女性に成長していた。悠、ドキドキしていた。
「あの。旦那様」
「ん?いかがした?」
「もう少し、ゆっくり歩いていただけると」
「す!すまない!」
「まあ?うふふ」
立ち止まりコロコロ笑う澪。二人は公園の道を進んでいた。澪。ぽつりと話し出した。
「心配かけてごめんなさい。澪は。その。あの台風の時、森下さんに見つかってしまって」
「森下に?」
驚く内容。澪、公園のベンチに座った。
「ええ。一緒に死んでくれと言われて。川に落とされたんです。それで気がついたら、私は病院で」
「そうだったのか。しかし、なぜ連絡を」
「全身に骨折があって。字も書けないし、口も聞けませんでした」
「おお。澪よ」
悠。思わず彼女の手を取った。澪。優しく微笑んだ。
「でも。こうして元気になったんです。一度、旦那様のお屋敷に挨拶に行ったんですが。その、奥様がいらしたので」
「澪。聞いてくれ。それは誤解なのだよ」
悠。握り返してきた澪の顔を必死に見つめた。そして事情を説明した。
「そう。だったんですか」
「本当に申し訳なかった!俺も、お前を探していたんだよ」
「……でも。私、良い仕事を見つけていたんですよ」
同じく入院していた女性。その人と一緒に傘工場に勤めていた澪は笑った。
「なので、こうして傘を売っています」
「しかしだな。なぜお前が店長をしているのだ」
「ああ、それはですね。工場で傘が余ってしまって」
過剰の分。工場長が困っていたため澪は工場の外にてこれを販売したと語った。
「私、旦那様の天気予報を聞きながら販売したんです。すると飛ぶように売れてしまって」
「それで銀座の店を任されたのか」
「小さい店でお恥ずかしいですけど」
謙遜している澪。公園の柳の木の下。枝が夏の風で揺れていた。悠。思い切って尋ねてみた。
「それで、お前、今は」
「はい。最近ようやくアパートを借りられるようになって。この近所に住んでいます」
「いや?そうじゃない、そうじゃないんだ」
「え?」
首を傾げる澪。あの時の同じ瞳だった。悠。思わず澪に頬を染めた。
「俺が聞いているのは。お前はまだ。独り身か、ということだ」
「はい」
「……澪よ」
悠。懇願するように囁いた。
「俺はずっと。お前を待っていたんだ」
「旦那様」
「お前はどうなんだ?他に、その……思う男がおるなら。俺はその」
恥ずかしそうに頭をかく悠。澪。彼に目を伏せた。
「私の思うお方は。目の前にいらっしゃいます」
「え」
「澪も、お会いしたかったです」
「おお、澪よ」
抱き合った二人。熱く静かな涙を流した。優しい時間が流れていた。
「……は、ハックション」
「まあ?旦那様。夜風で風邪をひいたら大変です」
さあ!と澪は悠を立ち上がらせた。
「どこに行くんだ?」
「澪の部屋はすぐそこです。二日目のカレーライスでよければ召し上がって下さい」
「カレーだと?早くそれを申せ」
悠、澪と手を繋ぎ歩き出した。
「雨が降る前に、着きますよ」
「なあ、澪」
「はい。旦那様」
「もう離さないぞ。良いな」
「……はい」
繋いだ手。彼女の白い手、悠は口付けた。夏の夜、公園の池、浮かぶ月。虫の音、土の道、夏の匂い。これからの二人を応援するかのようにいつまでも光っていた。
fin
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