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5 小田島家
「あなた!悠はどうしているのでしょう」
「知らん!お前が頼んだその森下にでも聞けばよかろう」
「でも、でも」
小田島本家。母親のチエは森下の話を信じ込んでいた。夫と長男は猛反対したがチエは話を一切聞かず、次男の悠に怪しい治療をしていた。
父親の介二。元々、悠は父親に背いて役人になった息子。勘当に近い扱いだった。このせいで悠が病の時も父親であるに関わらず、つまらないプライドで彼は無視するほかできずにいた。
この小田島家。長男の孝太郎も立場のある仕事。介二にとっては病の次男より、たくさんの従業員を抱える家業や長男の仕事の方が優先課題だった。
そんな介二。妻が仮初の嫁まで呼んだと聞き、いよいよ次男は死ぬのだと思っていた。
「おい。その嫁は本当に仮初なんだろうな」
「もちろんです。籍は入れない約束で。付き添いだけのお嬢さんです」
「どうせ、金をもらってやってきたんだろう。そんな嫁に付き添いなどされて。あいつは最後までついてない」
「ひどいです。そんな言い方をするなんて」
妻の愚行。次男を助けたくても、何も言っても無駄。介二は悲しみを超えた怒りを抱き仕事に行ってしまった。
この昼下がり、森下が小田島屋敷にやってきた。
「奥様」
「まあ?森下さん、どうですか?悠の様子は」
「それがですね。あの澪という嫁のせいでおかしくなっています」
「澪さんのせいで?どうしましょう」
何でも素直に信じてしまうチエ。森下はそう言ってチラシを見せた。
「奥様。今はこの『神水』をお使いいただいていますが、もっと効く『天水』をお勧めします」
「『天水』これはどう違うの?」
効能を述べた森下。これには金粉が入ってると説いた。言葉巧みの森下の言葉、チエはうなづきながら聞いていた。
「体の内側から治すんです。もっと『神水』や『天水』を飲んで。体の毒を出すのです」
「わかりました。悠のためなら買います」
多額の金を支払ったチエ。受け取った森下。澄まして話した。
「それと。奥様。これは私からのお願いです。あの嫁を一刻も早く追い出してください」
「澪さんを?でも、息子にはせめてお嫁さんを」
「嫁……ですか」
森下。怖い顔で首を横に振った。
「あの娘はとんでもない嘘つきです。このままでは悠様を地獄に落としてしまうでしょう」
「でも。澪さんは何もしないはずですよ。それに悠は寝たきりなんでしょう?」
「いいえ?何か企んでいます。早く追い出してください。このままでは悠様の命に関わります」
「命に?それは」
必死の森下。チエは困惑した。
「わかりました。私が行って、実家に帰ってもらいます」
「そうです……奥様。それが悠様のためですよ」
森下の話を信じたチエ。翌日、悠がいる屋敷に出向いた。玄関前、日傘をしまってしまっていると隣人に話しかけられた。
「どうも奥さん!」
「ど、どうも」
「倅さん。嫁さんがきて元気そうですよ。よかったですね」
この話に首を捻りながら。チエは玄関を叩いた。
「はい?」
「開けてください。私は小田島悠の母です」
「は、はい。ただいま!」
澪。慌てて戸を開けた。その頑丈は戸締り、チエは不思議に思った。初めてみる次男の嫁。若い彼女は割烹着姿だった。
……この娘さんが、悠のお嫁さん……
米屋のお嬢様かと思っていたチエ。若く健康そうな娘だった。チエ、家事の途中の様子の澪に一瞬、固まってしまった。
「奥様?」
「あの。悠は?」
「はい。居間にいらっしゃいます。新聞を読んで」
「まあ、そんな!?悠!」
彼女は慌てて部屋に上がった。寝たきりで死にかけだった悠。慌てて廊下を進み襖を開いた。そこには女の着物を体に掛けてくつろいでいる息子がいた。彼は新聞を読んでいた。
「あ、母さん」
「悠。お前……」
母を見た悠。驚いた顔をした。チエ、駆け寄った。
「起きていて良いのですか?咳はどうしたの?」
涙目のチエ。この時、澪、言葉をかけた。
「奥様。旦那様はお話しすると咳が出ますので。お話はちょっと」
「あなたは向こうに行っていて!ねえ。悠。どういうことなの。布団から出るなんて」
チエは必死に悠に縋った。ここで悠。澪を見つめた。澪はうなづいた。
「ええと、奥様。旦那様はですね。今日は気分は良いので、ちょっとだけ起きています、と仰っています」
うんうんと悠はうなづいた。チエ、驚きで澪を見た。
「え?あなた。悠の話がわかるの?」
「まあ。少しだけ……」
ここで悠。湯呑みを見つめた。
「あ?奥様にお茶ですか?では、旦那様も」
うんとうなづく彼。チエは呆気取られた。呆然としている彼女を置いて、澪はお茶を淹れてきた。
「どうぞ」
「澪さん……あのね。私は森下さんに言われて。あなたの様子を見にきたのよ」
……やっぱり。実家に帰れという話だわ。
予感的中。小田島の母は澪をなじった。
「あなた。森下さんの指示通りにしてないそうじゃないの」
チエの様子。心配でたまらない様子。年齢よりも歳をとっているような雰囲気。それに森下の話以外、全く耳に入らない様子だった。
澪。必死に説明をした。
「いいえ。奥様。森下さんとは誤解があるようですが、私は指示通りにしております」
援護のつもり。悠はうんうんとうなづいた。
「でも!森下さんはあなたがいると、悠は治らないと言うのよ!」
ううう、とチエは悠の膝に泣きついた。彼は白髪の母の背に、何も言えずにただ見つめていた。
「だからお願い!実家に帰ってちょうだい。あなたがいると悠は治らない」
本気の涙。それはたとえ間違った考えであるかもしれない。が、彼女は本気で澪を害だと信じていた。澪は心を決めた。
「……わかりました」
拒否権のない澪。それよりも本気で騙されているチエが哀れだった。この場はこうでも言わないと決着がつかない。そんな気がした。
……旦那様はもう、大丈夫よ。私がいなくても。
澪、正座をした。そして三つ指をついた。
「短い間でしたけれど、お世話になりました」
これは互いの家が決めた冥婚。若い二人の幸せを願ったものではない。病の悠に、ただそばにいるだけで呼ばれた澪。その役目もこれで終わった。
澪。ゆっくり顔を上げた。そして立ち上がった。部屋に背を向けた。
「行くな」
「悠?」
「え」
振り返ると。そこには母を押し除け、よろよろと悠が立ち上がっていた。
「こ、ここにいろ」
「旦那様……」
自分を見つめる悠。澪はぐっと泣きそうなのを堪えた。チエは悠の足に縋った。
「だめよ悠!お前は騙されているのよ。この娘さんがいると体がダメになるのよ」
彼に縋る母親。ここで悠、言葉を発した。
「母さん……ゴホゴホ!」
「旦那様?お静かに」
苦しそうな彼の咳。部屋の襖のところにいた澪、急ぎ戻り彼を抱きしめた。そしてゆっくり座らせた。
「ゆっくり、呼吸を……そう、そう……」
「澪さん?あなた……」
澪の世話で悠の咳がやさしくなっていた。彼の病状を知る母親。抱き合いながらおだやかなに収まる様子にびっくりした。
「旦那様……まだお話はダメですよ……ゆっくり、ゆっくり」
「澪さん。あなた、いつもそうやっているの?」
「はい」
そして咳が止まった悠。寄り添う澪の尻をペシと叩いた。
「きゃ?」
「澪さん、どうしたの?」
「はい?ええと……」
彼を見つめた澪。髭だらけの彼の口は『もりした』と動いた。彼の言わんとしていたことがわかった彼女はチエに向かった。
「奥様。あの、私、いつもは森下さんのいう通りに『神水』を旦那様に飲んでもらっています、本当です」
悠、うんうんとうなづいた。母は安心したように息子を見つめた。
「では悠、澪さんはちゃんと森下さんの言う通りにしているのね」
悠、うんとうなづいた。
「澪さんも。森下さんの言いつけを守ってくれるのね?」
「はい!」
この時。悠、澪をそっと抱き寄せた。そして耳にささやいた。チエ、これを見て澪に尋ねた。
「悠は、なんて言っているの?」
「『心配ご無用』と」
「そうね。わかったわ」
チエ。最初は澪を追い出しに来たのに。今ではすっかりそれを忘れていた。こうして彼女は笑顔で帰っていった。
「はあ。疲れました」
見送った後。澪、玄関に入った。そこには悠が立っていた。彼はスッと指した。
「ん」
「あ?そうですね。つっかえ棒をしなくちゃ!」
よいしょ!としっかり施錠する澪。悠、笑みを浮かべていた。そして二人は居間に戻っていた。
こんな事があった夕食時、澪、話し出した。
「やっぱり。森下さんは私を追い出そうとしてましたね」
「ああ」
想定済みの二人。こうなると思っていたがまさか小田島の母が来るとは思っていなかった。
この結婚は、小田島家からお願いされた話のはず。これを小田島から約束を破るとは。澪、振り回されていた。
……私、これからどうなるのかしら。
「ゴホゴホ!」
「旦那様?あの。お茶をどうぞ、ゆっくり飲んでください」
「はあ、はあ」
むせてしまった悠。湯呑みをくれた澪の手。この手を掴んだまま、お茶を飲んだ。澪は必死でそれを見ていた。
「……はあ、はあ」
「ゆっくりですよ。落ち着いて」
そして。彼を優しく寝床に連れて行った。清潔な部屋、新鮮な空気。悠は森下の薬を拒絶し、だんだん元気になっていた。しかし、澪、悲しく部屋の襖を閉めた。
……どうしよう。小田島の家の人も、森下さんを信じているんだわ。
初めて会った悠の母親。あれではどうやって説得しても無理だと思った。澪、居間でため息をついていた。
今日はなんとか誤魔化せたが、そのうち自分は森下に追い出されると思った。
……私が出てくのは良いけど、旦那様はまた逆戻りだわ。
彼の家も頼れない。自分の実家ももちろんのこと。お金もない澪、彼を連れ出して逃げることもできずにいた。
警察への相談を考えたが。これは犯罪と言えるだろうか。澪、居間にて溜め息をついた。
今夜は雨だった。まるで悩む澪の心のように、しとしとと一晩中、降り続いていた。
完
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