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6 助け舟
「おはようございます」
「おはようございます、森下さん」
今朝もやってきた森下。この日の彼女はこの家で調理をしていた。蒸し暑くなってきたこの時期。食事が傷みやすいからであろうと澪は思っていた。森下は料理の様子を見られるのを嫌う。このため澪はこの間、居間にて森下が持ってきた新聞を何気なく見ていた。
この新聞。この小田島の家に届いているもの。毎朝ポストに入っている物であるが森下がポストに南京錠をかけているため、澪は取り出せずにいた。この時、澪はふと思った。
……森下さんは、旦那様に来るお手紙が気になるのね。
なぜだろうと思った。悠は元気になってきたが、手紙を書いている節はない。
そんな彼の手紙を気にしていること。それが答えのように思ってきた。
……もしかして。旦那様に見て欲しくない手紙が来ているんじゃないかしら。
機嫌よく食事を作っている森下。彼女の背を見ながら澪はドキドキしていた。
「澪さん。お塩は?砂糖しかないけど」
「あ?はい」
森下は声にハッとした澪。台所に向かった。こうしてこの朝、いつものように森下は帰っていた。澪の食事を食べた悠は横になっており、澪は洗濯物を干していた。その時、塀の向こうに気がつくと郵便屋さんの自転車が去っていくのが見えた。
……郵便が来たんだわ。でも。森下さんが鍵を掛けて開けられないし。
澪。胸の鼓動を抑え、鍵がかかった金属製のポストに向かった。涼しい日だったが、背中には汗をかいていた。
◇◇◇
「やっぱり」
手紙が入っている。しかし、鍵がかかっていて開けられない。これは金属製のポスト。壊しては見つかってしまう。
手紙の入口は細く、手を入れても手紙を持てない。そこで澪、定規や箸を巧みに使い、とうとう手紙を取り出すことに成功した。
悠はまだ寝ていた。居間にて澪はその葉書を読んだ。
『前略。小田島様。お元気でお過ごしでしょうか。返事がなく心配しております』
「この人は……会社の人かしら」
男性の名は大島賢吾と書いてあった。そこには会社の住所と部署が書いてあった。
内容からして。この大島という人は何通もこの家に葉書を書いていると澪は思った。しかし、森下がそれを奪い、見せてくれていないと悟った。
……そうか。森下さんは旦那様が外部の人に助けを求めるのを恐れているんだわ。
ようやくそれが分かった澪。この葉書の名前と住所を控えた。それを部屋に隠すと葉書を元通りポストに入れた。
この夜。寝室。澪は悠に大島の話をした。
「大島が?」
「はい。心配の葉書でしたけど、私は森下さんに見つからないようにポストに戻しました」
「そうか……だが、もう遅い」
「え」
悠、長い髪のまま悲しくつぶやいた。
「私は、森下の甘言に乗せられて、仲間を信じず、ひどいことを言ってしまった……大島も建前で心配しているだけだ」
「でも、お葉書の文ではご心配を」
「……お節介は嫌いだと言ったはずだろう」
怖い顔の悠。そう言って布団に入ってしまった。その夜、彼は何も言わずに背を向けたままだった。澪。寂しそうな背を見ながら寂しく眠った。
翌朝。森下は機嫌悪くやってきた。
「まだいたんですか?」
「はい」
「……図々しいこと?おどき!」
澪を突き飛ばした森下。悠には優しく介護し、そして帰っていった。
……よかった。お葉書のことはバレなかった。
この昼、悠はすやすやと昼寝をした。澪、その寝顔に頭を下げた。
……すいません。澪は、行ってきます……
書き留めた名前と住所。これを胸に澪は外出した。許されない外出。悠も拒否した話。澪、それでも玄関を閉じた。
……私は追い出されればそれで終わりだけど。今の旦那様を、置いてはいけないもの。
眩しい昼下がり。着物姿の澪。足早に駅へと向かっていた。
梅雨の明けた今、彼女のその先には陽炎が漂っていた。
◇◇◇
……うわ?すごい人だわ。
駅で戸惑う澪。東京麹町。北に神田川、北東に日本橋川。ここには役所が揃っていた。澪は人に聞きながら大きな建物にやってきた。
……ええと。住所はここだわ。さあ、行くわよ。
深呼吸をした澪。受付に向かった。そこには化粧をした受付嬢が座っていた。制服はモダンガール。にっこりと笑顔で座っていた。
「あの、こんにちは」
「いらっしゃいませ。どちらに御用ですか?」
「え?ええと。気象部の大島さんにお会いしたいのですが」
明らかに粗末な着物の娘。受付嬢、どこか見下していた。
「気象部の大島……失礼ですが、お名前を伺っても?」
「はい。ええと、小田島の家の者です」
「では。お待ちくださいね」
受付嬢は背後の部屋に入り確認してくれていた。慌ただしい雰囲気のビル。澪はここが何なのかも知らずにいた。そんな受付嬢、澪に向かった。
「内線で確認しましたが、あいにく会議中でして」
「そうですか。どれほどかかりますか?」
「始まったばかりなので、時間が読めないですね」
「そう、ですか」
待っているのが一番である。しかし悠がいるので帰らないといけない。
……でも、また来れるとは限らないし。
ここに来るまで。澪は持参したお金を使った。これを思うと何度も足を運べる場所ではない。
……お手紙を書いて帰るしかないかな。
「お客様。そこでお待ちになるのは困りますが」
「すいません!」
……どうしよう。
泣きたくなった澪。助けてくれるのは大島しか思いつかない。しかし、彼には会えない。
「お客様」
高圧的な雰囲気。澪。今日は諦めた。
「あの。私、また明日来ます。すいませんでした」
こうして彼女はとぼとぼ帰ってきた。
帰宅しても悠はまだ寝ていた。澪、この夜は悠の会社に行ったことを話さなかった。
翌日。森下が帰った後。澪は早めに出て行った。お金がかかる電車を使用せずなるべく歩いて行った。着いた時間は昨日よりも遅くなっていた。受付は昨日と同じ女性だった。
「すいません。気象部の大島さんは?」
「……お待ちくださいね」
後ろの部屋に引っ込んだ受付嬢。やはり会えないと言った。
「そうですか」
「お客様。何か。大島と約束のものがありますか?」
「それは」
あの葉書を見せれば会えるかもしれない。しかし。それは森下の手にあった。
「ありません」
「そうですか。では申し訳ありません」
「では。明日、また来ます」
とぼとぼと帰っていく娘。これを見た男性社員の一人が受付嬢に尋ねた。
「ねえ、君。あの娘さんはどうしたの?」
「気象部の大島さんに会いに来ているです」
「へえ。彼に?何の用事だろうね」
受付嬢。口紅の顔で答えた。
「場違いですよね……どうせ憧れてきているだけです。あ?大島さん、こんにちは」
「やあ、どうも」
社内でも素敵な男性の大島。受付嬢に挨拶をした。頬を染めた受付嬢。彼に向かった。
「私、今度、受付嬢のコンテストに出るんですよ!」
「へえ。すごいね」
「優勝したら。ごちそうしてくれませんか?」
「あはは。楽しみだね」
大島はそうやんわり交わした。彼は階段でニ階に上がった。その事務所に入った。
完
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