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01.アイリス・キング <アイリス・キング>は、オスカーの父であるクラーク・トンプソンが、学生時代から交流が続く親愛なる友人ニュートン・キング(ライアンの父)に贈ったプレゼントのようなものだった。学生の頃からずっと造船業を営むことを目標としていたクラークは、どんなことでも打ち明けられる友に「いつの日か、お前の名前を船に刻もう」と約束したのだ。<アイリス・キング>はその約束が果たされた二人の友情の結晶だった。そして、この旅が<アイリス・キング>の初航海となったのだが、今やキングの名は失われ、女王の所有物へと変わり果てていた。もしもクラークがこれを知れば、怒り狂ったことだろう。だが、彼はこの場にはいなかった。クイーンの船に乗っているのは、彼の息子オスカー・トンプソンだ。しかし、父の意思や価値観、血をしっかりと引き継いだ彼は、<アイリス・クイーン>と船の名前を勝手に変えられたことを不愉快に思っていた。 死神と名乗った女の放送が終わると、ロビーは沈黙に包まれた。クラシックと滝の流動だけが、彼らの中に入って来る音だったが、やがて誰かが意味のない言葉を口にすると、次々に子供たちは話し始めた。そのほとんどが先ほどの出来事が現実であったのかと疑うものか、死神アデレードとゲームについての疑問だった。次第に最初の騒がしさを取り戻したロビーは、話し声と悲鳴で満たされていき、混乱が広がり始めていた。ずっと黙り込んでいたオスカーは、友人の腕を振りほどくと(そちらが利き手だったからだ)、懐から小さな金属製の笛を取り出した。首から下げるためのネックストラップも取り付けられていた。オスカーは大きく息を吸い込み、勢いよく笛を鳴らした。ピィィッと甲高い音が子供たちの騒めきを打ち破り、静寂が支配した。その笛は学校で監督生を務める彼に教師が預けたものだった。オスカーはこの笛を吹くのが好きだった。笛の音を聞いた生徒たちは、自分を畏敬の眼差しで見つめ、命令せずとも整列するのだ。その光景はオスカーを優越感に浸らせるものだった。学校で放つほどの威力は持ち合わせていなかったが、幼い子供たちはオスカーの手元にある笛に釘付けになっていた。 「静かにしてくれ!話し合いをしなくちゃならない。今さっき起こったことについて、話し合いをするんだよ」 彼の隣で黒いジャケットの胸元に付いた逆十字の飾りをチャリチャリと弄っていたライアンが首を数回縦に振ると「ここに集まれ!」と集合をかけた。台詞を奪われたオスカーは不満げな面持ちを浮かべたが、得意げな顔をしている友人には何も言えなかった。子供たちはぞろぞろとオスカー、ライアン、エリザベートの下に集まった。小さな子達がソファに腰かけ、他にも年長者の少女が一人座り、それ以外のメンバーは立ったままでいたが、オスカーが躊躇いなく床に座り込むと、全員が彼を真似した。 エリザベートが泣かせてしまった幼い女の子をあやしていた眼鏡の少年が、硬い声色で「まずは何から話そうか」と問いかけたのに対し、オスカーは笛を首元にかけながら思考を巡らせた。するとライアンが「さっきの女をどう思う?」とみんなを眺めまわした。 「死神なんて言っていたけど、私は信じられないわ」 エリザベートの現実的な発言に悪魔信仰者である少年は目の色を変えて「どうして?」と訊ねたが、彼女は答えようとはしなかった。そんなものはいないと言ってしまえば、彼が激昂するのは分かりきっていた。悪魔も死神も、妖精も魔女も神様も、すべて彼の中では等しく神聖な存在だった。その中で特に悪魔を崇高しているに過ぎなかった。 「死神に違いない」 自信満々に言い切ったライアンに「どうして?」と次はオスカーが聞き返した。口元をニヤつかせ、胸を張った彼は飽きるほど見た姿だった。 「こういう船はさ、嵐を知って遭遇しないように航路を変更するものだ。なのに、僕たちは嵐に遭遇した。それってこの科学の時代に嵐を先読みできなかったってことだろ?あまりにも突然の嵐だったんだよ」 「地球温暖化が騒がれているのよ。急な天候の変化は別に不可思議なことじゃないわ」 「エリザベートの言う通りだ。今年の夏はいきなり雹が降ってきたりもしたし、そういうことが起こり得る時代なんだよ」 友人二人の反論にライアンは気分を害すると「じゃあ、消えた大人たちは?」と語気を強めた。オスカーが口を開くよりも先にエリザベートが候補の一つを提示した。 「私たちは何故か分からないけれど眠っていたわ。その間に大人たちをどこかに隠したんじゃないかしら」 「僕たちは船中を探索しただろ!大人はいなかった!」 彼の怒号に周りは気押されながらも、いくつかの賛同の声が上がった。怒りに頬を染めたライアンの肩を掴み、軽く揺さぶると「落ち着いてくれ、キング」とオスカーは大人な声で宥めた。舌打ちを零した彼は、顔を逸らして口を閉ざした。すると、眼鏡の少年がフレーム押し上げながら「本当に全部探索したのかな」と思案げに言った。 「船を隅々まで見たとは言い切れないと思うんだ。大人とゲームのホストであるアデレードを探すためにも、もう一度見て回った方がいい」 沢山の声が賛同を表し、彼の意見を支持した。オスカーは友人の肩から手を離すと、全員の意思を尊重しようと頷いた。「今から探索しよう」 エリザベートがため息を吐き、子供たちの顔に視線を転じていきながら、不安げな様子を見せた。彼女が何を考えているかを察したオスカーは、そのことを口にするか迷ったあとに、申し訳なさそうに唇を震わせた。 「小さな子たちはロビーで待ってる方がいいと思うんだ。面倒を見ながら探索するのは難しいんだよ」 己の発言により不満を喚く者が現れるかと危惧したが、心配は杞憂に終わり、幼い子供たちはロビーで待っていることに賛成のようだった。散々船を歩き回り、大人もおらず、更には訳の分からないゲームを始められ、心身共に疲労困憊といったところだった。 「十歳より小さい子は手を上げて」 オスカーの指示に六人の子供が挙手した。 「僕、十歳なんだけど」と地面にあぐらをかいていた右頬に絆創膏を貼った子が、どうすればいい?と無言で聞いてきた。 「探索に行きたい?」 「うん、行きたい」 「なら一緒に来るといいよ」 少年は嬉しそうにニッと笑うと、大きく首を振った。 「君たちは留守番だ」と挙手している子供たちにオスカーが告げると、彼らは仲間が出来たといったように愉しげに話を始めた。水を差すのは良くないと判断し、放っておくことに決めると「他のみんなは探索だ」と言って腰を上げたが、ソファに座っていた赤と黒のコルセットドレスを着た少女が遮った。 「私も留守番したいんだけど。これ以上歩きたくないわよ」 腰まで伸ばされた黒髪を揺らし、頬に伝う短い箇所をくるくると人差し指で弄りながらぼやいた彼女に、オスカーは鼻に皺を作ったが、すぐに眼鏡の少年が彼女の申し出を承諾するべきだと訴えかけた。全員で協力しようというときに、なぜ彼女のわがままを容認出来るのかと反論しようとしたが、彼は悠々たる態度で「子守り役が必要だ」と分かりやすい答えを提示した。ハッとしたオスカーは、そこまで頭が回らなかったことを恥じ、目線を下げなら「そうだね」と同意を示した。 「子守り役?冗談じゃないわ!私、そんな面倒なことやらないわよ」 「何をしろとは言わない。ただ見ていてくれるだけでいいんだ。それなら君にも出来るだろ?」 眼鏡の少年は相手のペースに呑まれることはなく、ずっと余裕を崩さなかった。口元には微笑みが浮かび、彼女をそっと説得していた。その姿は幼い娘を宥める父親のようで、オスカーは感心しながら見守っていた。暫くは赤と黒のコルセットドレスを着た少女は髪を弄って渋っていたが、やがて指を解くと「やればいいんでしょ」と投げやりに応えた。当たり前のことだというのに「ありがとう」とお礼を返した少年は、まさに大人の対応だった。 「それと私にはヴァイオレットっていう立派な名前があるの。君なんて呼ばないでくれる?」 「悪かった、ヴァイオレット。素敵な名前だね」 そんなことは言われなくても分かっているという彼女の佇まいは、傲慢そのものだったが、妙に様になっていてあまり腹が立たなかった。 オスカーは仕切り直すべく咳ばらいをして、未だに隣で拗ねているライアンを一瞥した。二人の間には神妙な空気が横たわったが、ライアンがオスカーの方へと向き直ると、二人は顔を突き合わせた。無言で見つめ合っていたのもつかの間、どちらからともなく、ぷっと吹き出すと、少年たちは腹を抱えた。ライアンが軽く肩をごつくと、同じようにしてオスカーも突き返した。これは何度も繰り返された光景であり、すっかり見慣れてしまったエリザベートは肩を竦めただけだった。他の子供たちは、不思議と彼らが対立しなかったことに安堵していた。まるで誰が言わずとも、彼らがリーダーと副リーダーであると決まっているようだった。どちらがリーダーなのかは言わずもがなだ。 「探索に行くのは十四人だ。二つのグループに別れた方がいいだろ」 ライアンの提案に探索組は誰一人と欠けることなく点頭した。どうやってグループ分けをしようかとオスカーが頭を悩ませていると、エリザベートが友人二人を交互に指さした。 「二人がリーダーでグループを分けたらどうかしら?」 「いい案だ!エリザベートもたまには良いこと言うんだな」 「一言余計よ」 ライアンの嫌味にエリザベートはムッとしたが、それ以上の言い争いに発展することはなかった。馬が合わない二人が友人となったのは、常に間にオスカーがいるからだ。オスカーが居ない時の二人は喧嘩ばかりで目も当てられない。喧嘩するほど仲が良いなんて可愛らしいものではないほど、白熱した戦いが繰り広げられるのだ。オスカーもそれを理解していて、二人だけにならないよういつも取り計らっていた。 エリザベートが提案した案はライアンにとってはとても良いものだったが、オスカーにはあまり賛成出来ないものだった。十四歳にもなって、いくら親友と言えどずっと傍に居たいとは思わない。彼らの父親は学生時代からの級友であり、ずっと英国を離れなかった。結婚する頃にはご近所となり、二人が生まれると、友人として、父親同士として、より強固な関係が結ばれた。母親同士も非常に仲が良く、どちらとも専業主婦ということもあって、週に何度か家での愚痴を零しにカフェへ足を運び、そのままショッピングへと向かうのだ。母親たちだけで旅行に行くことも時折あるほどだ。そんな親の関係に影響され、オスカーとライアンは言葉通り赤ん坊の頃から一緒だった。二人は親友であり、兄弟でもある。相手の良いところと同じぐらい悪いところも知っている間柄なのだ。だからこそ、その絆はちょっとやそっとのことでは崩れない。絶対的な信頼関係があった。相手が知らないところで知らないことをしていても、二人の間の問題にも障壁にもなり得ないのだ。今までは確かにそうだった。しかし、この場所では、アイリス・クイーン号の中だけでは、その絶対的な信頼が意味をなさないもののようにオスカーには感じていた。 「いや、キングは僕と来た方がいいよ。エリザベートもね」 「私はどちらでも構わないわ」 「なんだ、オスカー?寂しいのか?」 揶揄う声色にもオスカーは惑わされず「とにかく一緒のほうがいいんだ」と強く言い聞かせた。ライアンが目尻を下げると、眼鏡の少年がすかさずフォローを入れた。 「じゃあ、もう片方のチームは僕がリーダーを務めておくよ。それでどうだい?」 ライアンは何か言いたげに口を開きかけたが、オスカーの無言の圧力に気が付くと、大人しく身を引いた。友人の様子に異変があったことを察したエリザベートは心配そうに二人を見やったが、言葉を発することはなかった。 そうして、二つのチームに分かれた探索組は手早くメンバーを決めると、それぞれの担当箇所の探索に赴くのだった。
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