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02.現実と妄想の区別
オスカーは友人二人も合わせて四人の子供たちを引き連れ、自分たちが担当することになった階を探索していた。アイリス・キングは一階から三階までと地下倉庫、十のデッキから形成されていた。その中には客室、操舵室、動力室、無線室、船員室、厨房、倉庫、ペットルーム、レストランなどの主要なものを始め、船のなかで優雅な時間を過ごすために用意されたエンターテインメントルーム、ショッピング、ギャラリールーム、スパやアクテビティルーム、ダイニング、バー、ラウンジ、会議室などがあった。オスカーたちは二階と三階、そこから繋がるデッキの探索を請け負った。
全員がロビーに集まる前、子供たちは船内を隈なく歩き回ったと豪語したが、それは実際のところ立派な嘘だった。何故ならば彼らは船客として入れる部屋にだけ入り、廊下で自分たちの親を、そして誰かも知らぬ大人に呼びかけただけだったからだ。本当に隅々まで探しつくすというのなら、船客が立ち入り禁止とされているエリア(主に船員が利用する部屋と地下倉庫なのでオスカー達には該当しない)と、自分たち以外が宿泊している客室も確認するべきなのだ。そんな肝心なことを教えてくれたのは眼鏡の少年-ヘンリーだった。オスカーは最高学年に上がった時には彼のようになりたいと憧れを抱いたが、やや物腰が柔らかすぎるのは好きになれなかった。彼の最もな指摘に探索組は賛成すると、従業員ルームから鍵(客室の場合はスペアキー)を拝借し、探索へと赴いた。
今はフレデリック・ショパンの『幻想即興曲』が支配する船内。傷も汚れも一切見当たらないクリーム色のモダンな壁紙には、童話の世界から飛び出してきたかのようなゴシックワンピースを着たチェリー色の瞳の少女が描かれていた。まるですべてを見透かし、世界の真理に辿り着いたかの佇まいで、彼らに微笑みかけていた。通路の脇には時折アイリスが活けられていた。床に敷かれた絨毯は優しく彼らの足を包み込み、足音を吸収していた。暖色のライトに照らされながら、客室エリアで一室ずつスペアキーを使い、部屋の中を確認していた。もちろん開ける前のノックは忘れない。
アイリス・キングには四種類の客室があり、最も安価なのが船内側のスタンダードルーム。場所は一階に八室。次にオーシャンビューのスタンダードルーム。一階に四室。次がスイートルーム。二階に七室。ここがフォーリー一家の宿泊する客室だった。彼女らはトンプソン家に招待された客人だった。皮肉ながら、彼女らの家庭では招待を受けない限りはスイートルームに泊まることは厳しかっただろう。最後が最も高級なキング・スイートルーム。三階に三室。トンプソン一家とキング一家はこの客室に宿泊していた。ちなみに残り一室はマーティン家。ロビーで留守番をすると言った少女-ヴァイオレットの家族だった。
「アデレードが死神かどうかは置いておくとして、必要なものは用意したと彼女は言ってた」
ノックに対する返事が得られないと、スイートルームの一室に鍵を差し込み、片側に捻るとガチャリと音がし、施錠が解かれたのがオスカーの手に伝わった。そろそろと扉を開き、中に足を踏み入れる。部屋の灯りは付けられたままになっており、開いた状態で放置されたキャリーバッグが部屋の片隅に置かれている。ベッドは使われた痕跡があり、バスローブが脱ぎ捨てられている。卓上には飲みかけのワインがあった。シャワールームやクローゼット、ベッドの下まで徹底的に探すよう指示を出しつつ、オスカーはライアンとエリザベートに目配せした。
「必要なものっていうのは、殺し合いの道具ってことだろ」
「物騒なことを言わないでちょうだい」
「いや、キングの言う通りだよ。アデレードは僕たちに殺し合いをさせたいんだから、その為の道具-凶器を用意してるはずなんだ」
バスケットに盛られた色彩豊かな果物を一つ手に取り、意味もなく眺めましてから元の位置へと返すと、オスカーは深刻そうな表情で息を吐きだした。ライアンがシルク製ソファの下を覗き込み、腰を浮かせると、衣類に付いた汚れを払い落とした。
「それを僕らが先に見つけたい。大人やアデレードを探すのも大事だけど、二十一人の誰も物騒なことを起こさないという確信はないんだ」
「気を許してちゃ、グサリといかれるってわけだな」
いつの間にか気配を消して忍び寄っていたライアンが背後からオスカーを刺す真似をすると、オスカーはギョッとしたが、すぐにいつもの戯れだと気が付き、クスクスと笑って刺された人の呻き声を洩らしながらその場にしゃがみ込んだ。すっかりとお遊戯に耽る二人は愉快に笑い、エリザベートを呆れさせた。
オスカーは学校で監督生を務め、成績が良く、身体能力も高く、明朗快活で統率力もある正に模範的な生徒だった。教師は彼を素晴らしい生徒だと称賛し、男子たちからは羨望の眼差しを受け、容姿にも恵まれたおかげで女の子からのお誘いは絶えなかった。トンプソン家の誇りだと父は鼻高々とし、まだ十四歳だというのに、どこに出しても恥ずかしくない子だと母は頭を撫でた。実際に彼に足りないものと言えば、多くの人が年を重ねてから得る貫禄だけだと答えるだろう。それだけに欠点の見当たらない少年だったのだ。しかし、それはあくまでもオスカーがトンプソン家の長男として、恥ずかしくないようにと作り上げた"大人たちの理想の姿"でしかなかった。思春期の少年に相応しい思想を持ち、はしゃぎたい欲求が彼の中には常にある。根底に眠る彼を思う存分に引き出せる相手が親友のライアンとエリザベートなのだった。だから、周りの大人や生徒たちが二人と遊んでいる姿を見た時には、決まって「意外な一面だ」と口にするのだ。決して意外な一面ではない。もう一人のオスカー(きっと二人と一緒にふざける彼が純真に近い)に過ぎないのだ。もちろん二人が隣に居ても、しっかり者の一面が衰えることはないが、彼は同時に権力を振りかざすことを愉快だと感じている独裁者の顔もあった。権力に酔いしれるのは子供らしい感情と言えばそれだけだが、オスカーの時折見せる傲慢な態度は、いつも傍に居るライアンとエリザベートには見過ごせないことがあった。独裁者としての素質があるのは疑いようがなかったのだ。
オスカーは監督生として権力を振るい、周りに称賛されることも、親友たちとふざけ合い、馬鹿なことをするのも、どちらも楽しいと感じていた。両方譲ることのできない大切なもので、とても手放せそうにはなかった。
「まるでB級スリラー映画の世界だよ。キューブより酷い」
「キャビンよりもだ」
「あれは笑える!」
映画の内容を思い出したオスカーはニヤニヤとしながら片手を振ると、エリザベートが険しい顔つきで友人たちを睥睨した。「これは現実よ」
厳しく粛々とした声色に二人からはすっと笑顔が消え去ると、気まずそうに視線をさ迷わせた。彼女を怒らせたのはお前だぞ、という無言の罪の擦り付け合いを一頻り済ませると「ごめん」と二人は声を揃えた。
部屋の奥から「誰もいない!」という少女の報告が、三人の耳には届いた。
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