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03.十字架と聖ペトロ十字 二階の客室(全七室)、スパ、スタジオ、ギャラリー、図書館、ショップ、アクテビティルーム、エンターテインメントルームのすべてを徹底的に探索したが、大人一人も見つけられることが出来ず、オスカー達は焦燥感に駆られながらエレベーターに乗り込み、三階に向かった。 ふとフランス生まれらしきチリ毛の少年が、懐から電子端末を取り出すと、ロック画面を俯瞰して「あっ!」と声を上げた。現代社会の若者が、電子端末の存在を今の今まで忘れていたなんて、いったい何事だろうかとオスカーは己の頭を叩いてしまいたくなりながら「どうかした?」と少年に声をかけた。彼の瞳孔は見開かれ、そこには衝撃的なものが映っていることを安易に想像させた。チリ毛の少年は突き出すようにしてオスカーに電子端末を見せると、他の子供たちは一斉に身を固めて、その画面を見るために顔を覗かせた。 ロック画面には彼の両親であろう若い男女と少年が映っていたが、仲睦まじい家族写真などいまは心底興味がなかった。彼らが目を引かれたのは、画面上部に表示されている時間。そこには、66:06と本来なら絶対に表示されない(存在しない)数字が示されていた。画面を凝視したオスカーは「六百六十六。ヨハネの黙示録の…」と呟き、すぐ様に灰色の髪を肩上で切りそろえた少女が「悪魔の数字!」と叫んだ。弾かれたように顔を上げたライアンの表情は憤怒に彩られ、オスカーは良くない事態を生み出したことを悟った。 「言いがかりだ!ヨハネの黙示録?イエス・キリスト?聖書?そんなもの当てになるもんか!」 「侮辱よ!逆十字の飾りなんて付けてるから、怪しいとは思っていたけど…」 相手の少女がキリスト教(カトリックであったが、そこまでは分からなかった。後にオスカーが気が付く)を深く信仰しているのだと察したエリザベートは、二人の間に体ごと割って入り「落ち着いて」と相手を宥めた。オスカーは心の中で彼女に陳謝しながら、悪魔信仰の友人の瞳を覗き込んだ。怒りにメラメラと燃えていた双眸は友人にじっと見つめられたことにより鎮火され、次第に冷静さを取り戻していった。硝子細工のように澄んだ青い瞳がエレベーター前の明かりに反射し、オスカーはあまりの美しさに息を呑んだ。この世のものではないように感じられ、少年の体に悪魔が憑依したのではないだろうかと不安になったが、そこに立っていたのは紛うことなき、ライアン・キングだった。 怒りを鎮めた彼は深く息を吐きだすと「ミガ様を否定するな」と震える拳を握りしめた。ミガ様とは、少年が、少年の家族が、代々信仰する悪魔の名前だった。 至って落ち着いた表情を崩さずに「否定なんてしてない」とオスカーが応えると、ライアンは目を逸らして唇を噛み締めた。エリザベートに宥められた少女は胸元に下げた十字架を両手で持ち、ライアンを睥睨した。 「アンタみたいな奴がいるせいよ」 その場は痛々しいほどの静寂に包まれ、子供たちは気まずくて逃げ出したくなったが、チリ毛の少年がおずおずと沈黙を破った。「時間が進まない」 その一言に、オスカーは全員に電子端末を確認するように命令した。憎悪に煮えたぎる少女も、屈辱に震えるライアンも大人しく電子端末を取り出し、時間を確認した。わざわざ答えを聞かずとも、各々の面持ちや零れた声から、そこに表示されている数字が理解出来た。 電子端末を壊してしまわんばかりに強く握りしめながら、66:06と奇妙奇天烈な時間を表示する画面を見下ろしていたオスカーは「どうして進まないんだ」と不満を露わにした。 「死神の仕業だよ。やっぱりアデレードは死神なんだ」 確信を宿らせた声色で囁いたライアンを全員が注視したが、すぐにエリザベートがその発言を否定した。「電波ジャックよ」 またライアンが激昂するのではないかと、オスカーは肝を冷やしたが、彼は口を閉ざしてエリザベートの方を見ようとはしなかった。目尻を下げた彼女は「外から電波を妨害されているんだわ」と説明した。現実的かつ説得力のある説明に、周りの子供たちには安心感が広がった。 「ひとまずは三階の探索を済ませよう。大人を見つけるのが一番いい方法だからね」 もしも集められたのが大人たちで、姿を消したのが子供の方だったら、大人はこんな無益な争いはせずにもっと上手く事を運べていたのだろうと妄想し、オスカーは己の実力不足を実感した。十四歳の少年が大人のように振舞うのは難しかったが、彼はそうでありたいと願っていたのだ。この緊急事態は自分を成長させる良い機会になるかもしれないと考えられるほどの向上心を持っていた。大人があっと驚くほどに完璧な指揮を執り、子供たちを扇動し、この非常事態を乗り越えてみせるのだと心の中で固く誓った。子供たちを纏めていたリーダーがオスカーだと分かれば、大人たちからの絶賛の嵐が待っている。誰かに認められ、褒められることの快感を彼はよく知っていた。しかし、何よりも大切なのは終わった後の称賛ではなく、全員で危機を脱したという結果であることを履き違えはしなかった。 「大人が一人でも見つかれば、とても安心出来るわ。だって私たちはまだ子供だもの」 「それが僕の父様か母様だったらいいな」 ライアンの台詞は自分本位な発言だと周りの子供たちは眉間に皺を寄せたが、オスカーとエリザベートだけは顔色一つ変えなかった。自分たちの親の方が素晴らしいに違いないという意思はあったが、彼の両親も多才ある人だと知っていたからだ。この事態を纏めるに相応しい手腕を振るってくれるに違いないと期待していた。無論それは見つかれば、の話に過ぎないのだが。オスカーは二回目の探索の途中で、大人が見つかるというのが希望的観測に思えてならないのだった。 三階の客室(キング・スイート)は他の宿泊客の立ち入りは禁止され、南北の両方にある出入り口に警備員が立っていたが、もちろん彼らの姿も今や幻となっていた。エレベーター側の出入り口から見て、部屋はマーティン家、トンプソン家、キング家と並んでいた。スペアキーを使い、マーティン家の宿泊する客室へと入ると、子供たちは感嘆の声を洩らした。船の中に王族の部屋を丸々運んで来たかのような室内に、誰もが感動していたのだ。 エリザベートが不安げに辺りを見回してから「壊さないように気を付けるのよ」と母親みたいな注意を促した。部屋を調べようと一歩を踏み出しかけたオスカーの傍に、いつの間にか立っていた東アジア系のふくよかな体つきの少年が、おもむろに彼らに話しかけた。 「あ、あの、あの、あのさ…」 彼の吃った一言目にライアンは面白い玩具でも見つけた無邪気な子供の表情で「あ、あの、あの、あのさ…」と揶揄ってそっくり少年の真似をして見せた。オスカーは似ている物真似にクスクスと笑い、二人は意地の悪い様子で顔を突き合わせた。気まずそうにアジア系の少年は口を閉ざすと俯いてしまったが、エリザベートが助け舟を出した。 「揶揄うのはやめなさい。吃音症でしょう?ゆっくり喋ればいいわ」 「あ、ありがとう」 叱責を受けた二人はバツが悪くなり、オスカーは帽子の隙間から人差し指を忍ばせると、ポリポリと頭を掻いた。しかし、少年が話し出すよりも先にライアンが質問を投げかけた。 「お前、中国人だろ」 「違うよ。ぼ、ぼ、ぼ、僕は日本人だよ」 「なぁんだ。ニッポン人か。ポケモンなら知ってる。ポケモンやったことあるか?」 「う、うん。あるよ」 まるで友人のように接してもらえた少年は少しばかり嬉しそうな気色を滲ませたが、すぐにライアンが冷やかしを含んだ笑みを零すと、ハッとしてまた口を噤んだ。目に角を立てたエリザベートが「ライアン!」と叱咤したが、彼はべっと舌を出すと、右肘でオスカーの肩をご突いた。オスカーは友人に応えることはなく「それで、僕たちに何か用?」と本題へと移った。これ以上はふざけないというオスカーの佇まいにライアンはつまらなさそうにすると、早く話せと少年を無言で急かした。 「す、す、少し思ったことがあるんだ。この船にや、やっぱり大人たちは居ないんじゃないかって」 オスカーは薄々とそのことを感じていたが、いざ他人に口にされるとどうにも納得がいかなかった。鼻頭に皺を寄せた彼に、気分を害してしまったのだと悟った少年はしどろもどろになったが、次はエリザベートではなく意外にもライアンが少年をフォローした。 「その通りさ、カビゴンの言う通りだ!この船に大人はいないんだよ」 「ぼ、ぼ、僕の名前はショウタだよ。ウツノミヤ・ショウタ」 「名前なんてどうでもいいだろ。まぁ、とにかくショウタの言う通りさ。おデブのくせにいいこと言うな」 褒められているのか、貶されているのか分からない複雑な台詞にショウタは曖昧な面持ちを浮かべたが、それは申し訳なさそうに沈痛したものへと変わった。 少年はライアンが悪魔を信仰し、死神アデレードの存在も信じていると、この数時間でよく理解していた。しかし、ショウタは違っていた。オスカー達よりも幼い年齢ではあったが、死神の存在を懐疑していたのだ。"大人たちがこの船にはいない"という意見に関してはライアンと一致していたが、その理由については全く異なるものだった。 話せば悪魔信者の少年が再び怒り狂い、己を敵視すると分かっているからこそ、ショウタは話すべきかどうか躊躇っていたが、その部屋に居た全員が彼を注目していた。 「死神がふ、ふ、不思議な力で隠したとはお、思わないよ。ぼ、ぼ、僕たちが眠ってる隙に、別の船で移動させたのかも…」 オスカーは正しく盲点だった!と瞳孔を見開き、息を呑んで数秒は呆気に取られていたが、我に返ると「確かにその通りだ」と囁いた。案の定オスカーの支持は得られたが、代わりにライアンが酷く傷つけられて頬を紅潮させた。「異論があるぞ!」と物々しい態度でライアンは日本人の少年を睨みつけた。 「外は嵐だった!そんな中あれだけ大勢の人間を別の船で移動させただって?そっちの方がずっと現実的じゃないな。船客と船員とでどれだけいると思ってるんだ。とんでもない人数が関わってることになるぞ。それとも洗脳でもして自分たちの足で移動させたのか?説明してみろ、カビゴン!」 詰問されてすっかりと狼狽えてしまったショウタは、だんまりとしながら頭を落とした。ライアンの否定も無視は出来ないものであり、この船に大人が居ても居なくても、とても不可解であることには変わりがなかった。オスカーは静かに息を吐きだすと「キングも正しい」と冷静な声色で囁いた。 「大人たちは、いったい何処にんだ」 オスカーの一言は、その場の子供たちを恐怖させ、誰もが船内に漂う不穏な空気を感じていた。
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