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04.怒り
オスカー率いるグループは、三階の探索も終え、結局何の収穫も得られないまま(大人がいなかったというのも、ある意味では収穫となるが)ロビーへと帰って来た。ヘンリーのグループが何か発見したことを祈るしかなく、留守番組の子供たちが遊びまわり、スマホが使えないせいで退屈にしているヴァイオレットが居るロビーで彼らが帰ってくるのを待った。そのあいだ探索に向かっていたメンバーは誰一人として口を開くことはなく、各々が自分の考えに耽っていた。ジュール・マスネの『タイスの瞑想曲』だけが、全員の耳には確かに届いていた。
オスカー達が帰って来てから十分ほどが経過した頃に、ヘンリー率いるグループが姿を現した。彼らの面持ちはオスカー達よりも酷いもので、数時間前よりも何歳か老けて見えた。
顔を青白くさせたヘンリーが地面に座っているオスカーの前までやって来ると「大人はいなかったみたいだね」と疲れた笑みを零し、ロビーをぐるりと見回した。腰を浮かせて尻に付いた汚れを払いながら短い肯定を返したオスカーは「大人もアデレードも、何も見つけられなかった」と己の不甲斐無さを嘆いた。そっちは何か見つけた?とオスカーが口にはせずに訊ねると、ヘンリーの後ろに立っていたユダヤ系の少女が代わりに答えた。
「武器があったの。拳銃にナイフ、鉈や槍、クロスボウに鎖鎌なんかも。他にも本当に沢山の武器が置かれていたわ」
「ただし、ロケットランチャーや爆弾のような、圧倒的に有利になるものは置かれていなかった」
少女に続いてヘンリーが付言した内容に、オスカーは死神の性根の悪さを窺うことが出来た。殺し合ってほしいのだ。醜く、凄惨に、子供たちが、互いに牙を剥き出しにして、殺し合う様が見たいのだ。あの嫌に耳に付く声で笑った女は、惨たらしく子供たちが死んでいくのを見届けたいのだろう。思い通りになってたまるかと、オスカーは拳を強く握りしめた。
「武器は地下の倉庫。右手側の二部屋目にある」
それはほんの一秒程の出来事だったかもしれないが、確かにこの場に居る全員がお互いのことを疑い合い、牽制し合った瞬間だった。誰かが武器庫へ走り出し、武器を手に取って暴れ始めるのではないかと危惧したのだが、そんな緊張感も解かれると、ヘンリーは掛けていた眼鏡を押し上げた。
「それともう一つ。地下のペットルームについて話があるんだ」
「な、な、何かあったの?」
真っ先に食いついたショウタに、飼っているペットを連れてきたのだろうとオスカーは考え、ペットホテルに預けているアラスカン・マラミュートのトニーのことを思い出していた。彼が三歳の誕生日に両親からプレゼントされたトニーとは、大の仲良しだった。ライアンとエリザベートと同じぐらいの親友と言っても過言ではなく、二人とも非常に仲が良かった。あのふわふわの毛並みに抱き着きたいと恋しくなっていると、ヘンリーから衝撃的な発言が飛び出してきた。
「殺されていたんだ。一匹残らず、みんな」
ひゅう、と誰かの喉が鳴る音がして、彼らの間には恐ろしい沈黙が流れたが、やがて息を吹き返したかのように、カトリック信者の少女が「シモン!」と叫ぶと、ロビーから駆け出そうとした。彼女もペットを連れてきて、この船のペットルームに預けていたのだ。しかし、ヘンリーの言うことが事実であれば、その姿はもう彼女の知っているシモンではないはずだ。ヘンリーが慌てて少女を引き留め(無理やり腕を掴んだ)、「行っちゃダメだ!」と声を荒げた。ピタリと彼女の抵抗は止み、瞠目した瞳の端には涙が揺れていた。「目に毒だ」
ヘンリーの一言とは優しさであったのかもしれないが、それは彼女にとっては追い討ちであり、最後の一撃ともなった。どれだけ悲惨な姿で死んでいるのか、様々な想像が膨らんでは弾けて消えていく。ヘンリーのグループの何人かは俯いており、自分のペットの悲惨な死にざまを目に焼き付けてしまったことが分かった。声を上げて彼女が泣きじゃくり始めると、愕然としていたショウタはぐったりと項垂れて何も言わなくなった。まだ実感が沸かないのだろうか。泣くことも出来ないまま茫然とするだけだった。
ボロボロと涙を流し続ける少女を全員が黙って見守っていた(ヘンリーは優しく背中を撫でていた)が、やがて彼女は悪魔をも震え上がらせるような形相で頭を上げると、ぎょろりとライアンを見た。今の今まで泣いていたというのに、彼女の涙はすっと引いてしまうと、その双眸には憎悪が煮えたぎっていた。
「死神のせいよ。死神のせいなのよ!」
気でも触れたかのように叫喚した少女は、ズカズカとライアンの下まで歩み寄ると、真っ白で皺ひとつないシャツの胸倉を掴み「アンタのせいだわ!」と唾を飛ばして怒鳴り上げた。
「悪魔なんて信仰しているから!サタニズムが!穢らわしいのよ!」
「うるさい、黙れ!僕たちは穢わしくなんかない!」
ライアンは己が侮辱されたのと同時に、愛して止まない両親までもを貶されたのだと思い、今日一番に激昂すると、少女の手首を掴んで振りほどこうとしたが、彼女の力が思いのほか強いせいなのか、二人は押して押されてを繰り返していた。「アンタが消えれば、アンタが死ねばきっと私たちは助かるのよ!」
彼女の言葉はライアン本人よりも、親友であるオスカーとエリザベートの方が聞き捨てならなかった。
「貴方、なんてことを…」
エリザベートが怒りを露わにしたのを遮り、無言で二人に歩み寄ったオスカーは、少女の腕を掴むと強引にライアンから引き剥がし、相手の顔面を殴りつけた。誰も予想していなかった暴力に、エリザベートでさえポカンと口を開けたが、オスカーは追撃するべく態勢の揺らいだ少女の足を蹴りつけた。彼女は尻もちを着くと、殴られた左頬を押さえ、怒りと畏怖の念を交えた眼差しでオスカーを見上げた。
「僕の友達を馬鹿にするな!イカれ女が!」
ロビーの子供たちは戦きながら、オスカーとカトリック信者の少女のやり取りを眺めていた。真っ先に我に返ったのはヘンリーで「オスカー、少し落ち着いた方がいい」と優しく宥めながらも彼もオスカーには近寄ろうとせず、座り込んでいる少女へと手を貸した。オスカーは興奮で荒くなった呼吸を整えながら、己のことを見ている全員を睥睨した。誰もがサッと目を逸らしたが、ライアンとエリザベートだけはまじまじと見つめ返していた。「オスカー、やりすぎはよくないわ」
エリザベートの最もな一言に、ようやく正気に戻った彼は、小さく息を吐きだしてからキャスケット帽子を脱ぎ、乱雑に頭を掻いた。「オスカーがやってなきゃ僕がやってた」とライアンが親友を庇うと、エリザベートは疲労を滲ませた顔付きで「暴力を振るうなんて野蛮だわ」と応えた。
「オスカーと、それから…キミの名前は?」
ヘンリーに手を借りて立ち上がった少女は、暫くキュッと唇を結んでいたが、じっと見下ろしてくる背丈の高い少年に負けて「マリアよ」と名前を教えた。カトリック信者。少女の名前。マリア。少女が名乗った途端にオスカーは強烈な吐き気に襲われたが、それは彼女の両親を侮蔑する意であったし、ライアン・キングという名を授けられた友人も、そういった意味では悲惨なのである。必死に胃の中からせり上がってきそうになっている汚物を呑み込み、素知らぬフリをして帽子を被り直した。
「オスカーとマリアは少し頭を冷やしてきた方がいい。エリザベートはオスカーを、エルザはマリアを頼めるかい?」
エリザベートとヘンリー側に居た人形と見間違うほど精巧な容姿の少女は頷き返すと、まるで威嚇し合う猫を引き離すときのように、そろそろと互いに任された人物を連れてロビーを離れた。ライアンは親友の豹変っぷりにエリザベートほどは驚いていなかったが、決して慣れているというわけでもなく、ホッと胸を撫で下ろして「ありがとう」とヘンリーに感謝を伝えた。
「いいんだ。みんな不安が大きいからね。少し情緒が安定しないんだろう」
にこっと笑い返したヘンリーは、眼鏡のフレームを触るとパンパンと両手を叩き、子供たちの注目を集めた。先ほどの騒動でペットのショックが吹き飛ばされてしまったショウタは、よろよろと腰を浮かせると気持ちを切り替えて表情を引き締めた。今はとにかく両親と再会することが、傷を癒す手段なのだ。隣に並んだライアンが彼の肩を叩き、思春期の少年なりの慰めをした。ショウタはたったそれだけのことだったが、己に敵意を剥き出しにしていた彼を少し好きになった。
「みんな、本来ならそろそろ夕食の時間だ。小さい子たちも腹が減っただろう?今から夕食を作ろうと思うんだけど、協力してくれるかい?」
ヘンリーの提案に先ほどまでの委縮したムードが嘘かのように、留守番組の子供たちがわいわいと騒ぎ出し、声を揃えて同じ歌を唄い始めた。オスカー達が探索に向かい、より仲を険悪にしていた頃、彼らは距離を縮めていたらしい。
「私は嫌よ!」と小さな子供たちの歌声に負けんばかりの大声で、ソファで寛いでいたヴァイオレットが批難した。長く手入れの行き届いた髪を払いのけ、澄ました横顔を見せた。
「料理なんてシェフか世話係がやるものよ。私はやんないから」
一貫した彼女の我儘っぷりに、乾いた笑いを洩らしたヘンリーは頬を掻くと「分かった。とりあえず今日はいいよ」と妥協を返した。ヴァイオレットは異常なまでに好き放題しているように思えたが、そのお嬢様っぷりも不思議と憎めない程度に様になっていると、ヘンリーとライアンは思っていたが、彼らに反してショウタは何故みんなで協力し合おうというときに彼女だけ我儘が許されるのだろうかと不満げだった。この場にオスカーとエリザベートがいれば、きっと彼と同じ気持ちを抱き、それを口に出して異論を唱えただろう。
「こんなに豪華な船なんだ。きっと厨房もすごく広くて食材も豊富だよ」
未だに声を揃えて歌っている陽気な子供たちに合わせるわけではなく、本当に楽しみな様子で言ったヘンリーに、ライアンとショウタは顔を見合わせると二人して首を傾げた。
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