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 罪悪感はあるものの、俺はチケットを片手に天使のリサイタルへ向かった。  何年ぶりかの天使のピアノに、変わることなく胸を打たれ…心揺さぶられた。  こんなピアノが弾ける天使は…やはり俺の憧れの人で…初恋の人だ。  そして…今も大切に想える人だ… 「島沢様。」  公演が終わり、ロビーを歩いていると…声をかけられた。 「はい?」 「控室へどうぞ。」 「え?」  ま…まさかの展開だった。  控室へ!?  天使と話せるのか!?  俺は自分のライヴでも、こんなに緊張した事はない。というほど…ひどく手に汗をかいた。  控室までの道のりが、遠く遠く感じられた。 「では。」  案内してくれた男性がお辞儀をしていなくなり…  俺は一度深呼吸をして、ドアをノックした。 『はい。』 「し…島沢です。」 『ああ、はい、どうぞ。」 「失礼します…」  ドアを開けて中に入ると… 「素敵なお花を、ありがとうございます。」  天使は…俺が贈った深紅のバラの花束を手にして、微笑んだ。  ああ…いくつになっても、やはり天使は天使だ… 「今日、奥様はご一緒ではなかったの?」 「あ、は、はい…体調が優れなくて…」 「あら、それはいけないわ。お引止めしてごめんなさい。」 「いえ……あの。」 「はい?」  俺はゴクンと生唾を飲み込んで。 「…小さな頃から、あなたに憧れていました。」  おい。  俺。  何勢い付いて…告白なんかしてんだ!! 「…え?」  天使は驚いた顔。 「あなたのピアノに…魅了されて…その…」 「まあ、嬉しいわ。」  天使は俺に近付くと、両手でギュッと俺の手を握った。  俺と天使の間に、深紅のバラ。 「あっ、ああ、いえ…」 「世界のDeep Redと言われるバンドで、鍵盤を担当されてる方にそう言われるなんて…あたしもまだまだ頑張れそうだわ。」 「も、もちろんです。貴女のピアノは…俺にとって、ずっと世界一です。」 「島沢さん…」  天使の指は、思った以上に細かった。  近くで見ると、年齢よりは若く見えても…やはり相応にしわがあった。  だが、それが何だ。  それも全てが美しい。 「…あの…」 「はい。」  俺も、空いた手を天使の手に添える。 「聞いてもらえますか?」 「なんですか?」  …告白するのか?俺。  どうかしてるぞ?  …だけど。  変わらなきゃいけない。  このままで、いいわけがない。  …終わらせるんだ。 「…貴女は、俺の初恋の人です。」 「……え?」  さすがに、驚かれた。 「9歳の発表会の時に、控室でバッタリお会いして…天使だと思いました。」 「……」 「あの時からずっと、貴女は、俺の天使です。」 「…こんな、おばあちゃん捕まえて、天使だなんて…」  天使が、手を引こうとした。  俺はそれをギュッと掴む。 「…島沢さん…」 「貴女はきっと、いくつになられても…俺の天使だと思います。」 「……」 「貴女への気持ちが…ずっと残ってしまって…前に進めませんでした。」  俺のバカな告白を、天使は優しい笑顔で聞いてくれている。 「妻がいます。なのに…貴女への想いを断ち切れなくて…」  …ああ?どうした?俺…  俺の目から…涙が… 「…辛いんです…」  俺は、なんだって…こんな無様な告白を…天使に!? 「…島沢さん。」  天使はゆっくりと手を離して…  俺を、抱き寄せた。 「…きっと、あたしは島沢さんの理想の天使なんでしょうね。」  天使は俺の耳元で、ゆっくりと喋る。 「理想のままでいてあげたいけれど…あたしも妻で母で…ピアニストとしてやっていくために、色んなものを犠牲にしたり…色々思い悩みました。」 「……」 「天使と言ってもらえるような、人間じゃないんですよ。」 「…それでも、俺には…」 「ありがとう。島沢さん。」 「……」 「あなたの、その言葉で…あたしも踏ん切りがつきました。」 「…踏ん切り?」  天使は俺の頬を撫でながら。 「息子のような方から、こんな光栄な言葉をいただけるなんて…あたしは世界一幸せなおばあちゃんです。」 「…貴女は、永遠に天使です。」 「ありがとう。」  頬を合わせた。  バラの香りが、二人を包んだ。  天使への片想いが…  愛美と結婚して、苦しくなった。  違う。と言い聞かせながら、精神的な浮気だと自負していた。  愛美は気付いていたのかもしれない。  天使のレコードやCDを聴く時だけは、俺は部屋にこもる。  …まあ、気付いてても気付いてなくても、それはいい。  …ちゃんと、話し合おう。  そして…この数ヶ月後。  天使は引退発表をした。
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