俺はくじ運が悪い

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 今月もハズレだ。  俺はむしゃくしゃしながらスマホを裏返した。ひるどきの定食屋はサラリーマンであふれている。そのうち八割がちらちらとスマホをみているのは、俺と同じように当選を確認しているからだ。政府主催〈マインくじ〉の抽選は毎月一日の十二時に行われる。 「ミヤ、どうだった?」  俺のうしろで箱崎がたずねた。俺は無視しようとした。 「どうだったの? 当たった?」  あのな、俺はおまえを無視している――無視しようとしているのだ。空気を読め。どうだったって? そんなこと聞かなくてもわかるだろうが。この―― 「うるさい。俺はくじ運が悪い」  がまんできずに俺はふりむいてしまった。箱崎は人気特撮番組のアクション俳優みたいな爽やかな顔で、爽やかにいった。 「またダメだった?」 「いうな。今度こそ当たると思ったのに……せめて七等くらい……」 「七等なら僕が当たったよ。お祝いに今晩どこかに行こう」 「おまえそんなあっさりいう? 今月で十年連続なんだぞ。十八歳になった十年前の十二月一日から、じゅ・う・ね・ん!」  思わず強調してしまったが、中学生のころからの腐れ縁の男は動じなかった。 「だったらなおさらじゃないか。マインくじに十年間当たらない人なんて、そうそういないよ。さすがミヤだ。お祝いをしよう」 「おまえにいわれたかないね」  心からの言葉だった。何しろ箱崎は俺が知るかぎり、もっともくじ運のいい男だから。    *  俺が生まれるずっと前、この国はくじ引きベーシックインカム制度をはじめた。ベーシックインカムとは政府が国民に金を配って最低収入を保証する制度で、これに宝くじ抽選がついてくるものだ。  十八歳で成人した国民は勤労していてもいなくても、定期的に開催される政府の抽選会に参加する。参加といっても自分で何かする必要はない。毎月一日の十二時に「マインナンバー」を使った抽選が自動的に行われるのだ。  結果はネットで確認できる。ハズレの場合は基本金額の五万円ベーシックインカムが振り込まれるだけだが、当たれば一等(一千万円)から七等(五十万円)までの金額が追加して振り込まれるのである。これが〈マインくじ〉。  マインくじの賞金は政府支給のボーナスみたいなものだ。コンピューターを使った抽選は全員に平等で、所得制限も回数制限もない。くじの賞金の出どころはもちろん税金。再分配と国民福祉政策の一環として考え出された制度なので、意外に当たる。一等も幻ではない。親戚のおばさんには五年前一等が当たったし、上司は大学生の頃に三等(五百万円)が当たったという。 「あの時は嬉しかったね。奨学金を一気に返済したよ」  政府主催のくじは他にもある。代表的なのはシーズンスクラッチで、これはボランティア活動でもらったポイントで交換できる。ボランティアといっても大げさなものではなく、リサイクルへの協力だとか町内の清掃とか、普通に生活する範囲でも適当にたまる。選挙くじというのもある。投票に行くともらえるスクラッチだ。  他にも何かと機会があるたびに政府はくじを発行する。スクラッチの賞金は五百円から一万円、時に十万円台の場合もある。この当選率もけっこう高いからボランティア活動はけっこう賑わっていて、参加が抽選になる場合もある。  おかげで税金がめちゃくちゃ高くても現政府の支持は圧倒的だ。俺だって一度もやめてほしいと思ったことはない。俺がこれまで当てたのが、スクラッチの五百円しかなくてもだ。  その夜箱崎に連れていかれたのはみるからに値段の張りそうな料亭だった。七等当たったというからまあいいか、と俺は思った。箱崎が奢ってくれるのだろう。この男がマインくじに当たるのははじめてじゃない。かつて一等が当たり、それを元手に起業した人間なのだ。  箱崎が勧めた日本酒は口当たりがよくて、ふだん日本酒を飲まない俺にも飲みやすかった。料理もとても美味しかったし、十年ハズレつづけた腹いせもあって、俺はぐいぐいと盃をあけた。 「ミヤ、そんなに飲んで平気?」 「平気だって……今日は記念日なんだよっ……じゅうねん……はずれ記念……」 「ミヤが当たらないのは才能なんだよ。それに当たらなくても五万入るんだし、他の国は政府から金なんかもらえないんだぜ?」 「そういう問題じゃない! 俺だって一度はマインくじに当たってみたいっ……スクラッチの最高金額を当てて自慢したいっ……ひっく……」  息を吸い込んだとたんに胸が上下して、しゃっくりがではじめた。 「……ひゃっ……くりが出るぞ、この……お、俺なんか、これまで当たったのは……ひゃっく……子供のおつかいみたいな金額ばっかで……ひっ……うう、苦しい……」 「ミヤ、あのさ」  いつのまにか箱崎の手が俺の背中をさすっている。失望としゃっくりのはざまにいた俺は、その目がやたらと真剣なことに気づかなかった。 「僕と結婚しよう。な?」 「は?」  俺はぽかんと口をあけ、それからごっくんと唾を飲みこんだ。 「なんで?」 「ミヤが好きだから。ずっと一緒にいたいんだ。僕と結婚して」    *  ずっと前から俺が好きだったと箱崎はいった。俺を抱きたいともいった。でも俺が嫌だったら肉体関係もなくていい、プラトニックでいいから結婚したいといった。  驚いたせいか俺のしゃっくりは止まってくれたので、なんでこんなタイミングでと問い詰めると、同性婚ができるようになった十年前から決めていたといった。箱崎には一等が当たり、俺には何もなかった十年前から、プロポーズするつもりだったというのだ。俺が別の誰かとつきあっていたらあきらめるつもりだった、ともいった。でも俺は誰ともつきあわなかった。  だいたい俺も箱崎も、大学を出てからずっと忙しかった。何しろ俺は起業した箱崎の会社でずっと一緒に働いているのだ。  元手に箱崎の一等当選金があっても、スタートアップとかかっこよくいっても、一から作った会社をやっていくのは簡単じゃない。今でこそ何人か従業員がいるが、最初のうちは不安ばかりだった。こいつについていって大丈夫かなと思いながらがむしゃらにやっていたし、そんなときに誰かとつきあってうまくいくほど俺は器用じゃなかった。そして十年目の今日、俺はまたくじにはずれた。 「いやだ。断る」  そういった時の箱崎の表情が忘れられない。眉が一瞬ゆがんだあと、眸にさっと無表情の膜が降りた。でも、そのあとすぐいつもの爽やか君に戻って「なんで?」とたずね返してきた。さっきの俺と同じように。 「なんでって……おまえと結婚とか……考えたことなかったし……」 「だったらこれから考えればいい」 「それにほら、俺だってそのうち独立するかもしれない」 「僕と結婚していたらミヤが独立したくなってもずっと協力しあえる」 「結婚しなくても大丈夫だと思うけど」 「でもミヤに何かあった時は一緒にいられない」  誰もみていない料亭の個室で俺たちはいつのまにか肩と膝をくっつけて座っていた。俺のしゃっくりをとめるために箱崎はしばらく俺の背中をさすっていたから、たぶんそのせいだが、こんな風に隣り合って座っていたことは昔からよくあった。  こういうのがよかったんだよな、と俺はぼんやり思った。いや、こういうのがまずかったというべきなんだろうか? 今のこれがこのまま続くというのなら、箱崎と結婚してもべつにかまわないと思った。  そのくらいになると俺の酔いは半分くらい醒めていたはずなのだが、箱崎の手が背中に回って、唇が触れたときも、俺は拒まなかった。  箱崎の唇は甘かった。たぶん日本酒のせいだ。それに気持ちよかった。  何度もチュッチュッと唇を押しつけられ、ついばまれ、舌が口の中に入ってきたときも、俺はぼうっとしたままで、拒まなかった。投げやりになっていたとか、そんなのじゃなくて……ただ気持ちがよかったのだ。  いつのまにか俺は畳に倒れていて、箱崎と唇をおしつけあっていた。襟が楽になったと思ったら、飲んでいるあいだに緩んでいたネクタイが消えていて、箱崎の手が俺の背中をおりていく。腰を撫でられ、尻を触られてもなぜか俺は抵抗する気になれない。それどころか口から箱崎がいなくなると物足りなさを感じてしまう。あ、馬鹿、そんなとこ舐めるな……耳はだめっ。 「ひゃ、はこざきっ」 「ミヤ……」  箱崎の唇が近づいて、もう一度キス――唾液をぜんぶ交換するみたいないやらしいキスをしかけてくる。股間がむずむずして、箱崎に擦りつけたくなる。俺は腰をずらし、箱崎に足を絡めようとした。ズボンを通して太ももの熱を感じながら、ふと、酔っていなければ俺はとっくに勃ってるんじゃないかと思った。思わず箱崎の股間を直視する。  こっちはとっくに大盛況だった。  箱崎は本当に俺を抱きたいんだ。じゃあ俺は? 俺は……。 「ミヤ。結婚して」  箱崎の声はなんだかひどく遠いところからきこえてきた。俺は首を振った。 「結婚しない」    *  俺はひとりで外に出て、ふらふらしながら歩いた。タクシーを捕まえようと思っていたが、大通りの喧騒を歩くうちに気分が変わった。俺はふりむかないようにした。箱崎はまだ店にいるだろうか。明日から俺たちはどうなるんだろう。自分が決定的な選択をしてしまったのだとしたら、と考えて、ふいに怖くなった。  決定的な選択というのは後戻りのできない選択のことだ。それも悪い方、間違った方の。  なんで悪い方かって? 俺がくじ運の悪い男だからだ。マインナンバーの抽選は俺を避けて通るし、スクラッチを引き当てたこともない。いやいや、馬鹿な。くじ運と俺自身の選択はまたべつの話だ。俺はただ単に……箱崎のようなくじ運のいい男に、これからもずっと一緒にいよう、そのために結婚しよう、といわれるのが嫌だったのだ。あいつを利用しているように思われそうで。あるいは、あいつに俺の悪い運をわけてしまうような気がして。  料亭の個室で起きたことを思い出して、抱かれるというのがあれの延長なら悪くない、なんて思ったのも、良くなかった。俺は記憶を振り払うように顔をあげ、数メートル先にスクラッチ引換所の看板が点滅しているのをみた。  そうか。十二月一日から年末スクラッチ企画がはじまったのだ。吸い寄せられるように引換所に近づくと、三つ並んだ窓口のひとつが空いていた。俺はマインナンバーカードを取り出し、スキャナーにかざした。 「何枚換えられますか?」 「五十二枚分ありますが、どうされます?」  そんなに貯まっていたのか。  十枚で――といいかけて、俺は考え直した。 「全部換えてください」  はい、五十枚と二枚。渡されたスクラッチの束を持って引換所を出た俺は、迷わず隣のカフェに入った。温かい紅茶を飲みながら、スプーンの柄でスクラッチを削りはじめる。五十二枚もあるのだ、今度こそ高額当選があるに違いない。一枚、二枚……ハズレ。ハズレ。ハズレ。ハズレ。ハズレ。ハズレ。ハズレ。ハズレ。ハズレ。九枚連続ではずれたところで俺の手は震えはじめた。十枚目、おっと何か出た! いくら……ごっ……五百円……。  俺は気を取り直して次にとりかかった。ハズレ、ハズレ、ハズレ、五百円、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ……。  ほらみろ、俺のくじ運の悪さを舐めるなよ。俺は頭の中に箱崎を思い浮かべながら削りつづけた。当たってもまた五百円。こんなに枚数があるのに、年末スクラッチは最高賞金二十万円だってのに、五千円も一万円も来ないじゃないか。銀色の屑がトレイに溜まっている。もう残り十枚を切ったが、戦果は合計二千円というところ。だんだん指が痛くなってきて、最後の一枚を削るとき、俺の手は震えていた。何か……出て来た。どうせまた五百円……いや? これはに……二等…?  十万円!  はじめての高額当選だ! 俺の頭の中でくす玉が割れ、ファンファーレが鳴り渡った。マインくじの七等に及びもつかないが、それでも二等だ! いつものスクラッチなら一等と同じ! ついに、ついに!!  俺は当選したスクラッチをかきあつめ、内ポケットに入れた。二等以外はどうでもいいような気分だったが、五百円でも当選には変わりない。これまでの俺は五百円だって嬉しかったのだ。でも十万円の嬉しさには格別なものがある。有頂天になりながらカフェを出ると、十二月の寒さもどこかへ行ってしまったような気がした。すぐに引き換えることもできたが、そうするとこの当選スクラッチがなくなってしまう。――そうだ、写真を撮ればいい。  さっと辺りを見回すと、脇道に入る角のところに待ち合わせスポットになっている噴水があった。こんな時間だからあまり人もいない。俺はポケットをさぐり、噴水のへりに二等、十万円当選のスクラッチを置いた。それから考え直して、五百円のスクラッチを並べ、スマホを取り出して写真を撮った。パシャ、パシャ――二度目を押したとき、ふいに冷たい、強い風が吹いた。 「わわわっ、待って!」  びゅっと宙を舞ったスクラッチを俺はあわてて追いかけた。なんとかつかまえて、噴水の中に二枚、外に落ちたのを一枚拾った。これは五百円のやつ……これも……んんん? 二等はどこだ? おっと、ここか。  二等のスクラッチは足元に落ちていた。ほっとして拾い上げようとしたとたん、また冷たく強い風が吹いた。街路樹から落ちた木の葉が舞い上がるほど強い風だった。つまり俺のスクラッチも。  俺はあわてて走り、スクラッチを追いかけようとした――が、一緒に舞い上がった木の葉と夜の景色のおかげで、どっちに飛ばされたのかもわからない。なんてこった、俺の! 俺の初高額当選! どこへ行ったんだ!  それらしい影を追いかけて道を渡ろうとすると、ププーと警笛を鳴らされた。みると歩道にはスクラッチがたくさん落ちていた。俺は一枚拾ってみた。ハズレ券だ。あれもこれも、みんなそうだ。引換所を出て、スクラッチを道ばたで削って、ハズレ券を捨てて行ったやつがたくさんいるにちがいない。俺のアタリをみつけるには、この中から探して……。  気が遠くなりそうだ。 「ミヤ!」  突然呼ばれて俺はぼうっと声の方を向いた。箱崎が通りの向こう側にいる。  俺はぼうっと手を振った。信号が青になり、箱崎は大股でこっちに渡ってきた。あいつの顔をみると妙にほっとするな、そう思いながら俺は説明もせず、歩道を指さした。 「俺のスクラッチがどこかに落ちているはずなんだ。二等の」 「二等?」 「当たったんだ。ほら」俺はスマホを取り出した。 「写真もある。風で飛んでしまったけど、俺の人生初の高額当選だ。そのあたりに落ちているはずだから、一緒に探してくれよ」  箱崎の表情は硬かった。 「ミヤ……」 「竜巻みたいな風で、どっちに行ったのかわからなくなっちゃってさ」 「悪い。探せない」  俺は驚いて箱崎を見返した。 「なんで?」 「ミヤは断ったじゃないか」 「さっきの話か? それは……」俺は口ごもった。 「でも俺たちはまだ……友だちだろ? ずっと協力してやってきただろう? それに今さがしてるの、くじ運の悪い俺がやっと当たった高額当選券なんだぞ。どうしてだめなんだよ?」  箱崎はポケットに片手をつっこんだまま俺をみた。 「ミヤが僕と結婚するなら、一緒に探す」 「なんで? なんでそうなる?」  思いがけず大きな声が出て、俺はあわてて口をつぐんだ。でも頭の中ではぐるぐると言葉が回っていた。――この野郎、何度も高額当選しているくせに、なんでそんなことを!  俺は、くじ運の悪い俺は、もう二度とスクラッチで二等なんて当選しないかもしれないのだ!  俺は箱崎ににじり寄った。 「わかったとも! おまえがみつけたら結婚していい!」 「本当に?」 「本当に! おまえが俺のスクラッチをみつけたらな!」    箱崎は爽やかな笑顔を浮かべ、ポケットにつっこんだ片手を抜いた。 「ここにあるよ。さっき道の向こうから飛んできた」 (おわり)
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