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 二手に分かれた狼の群れが一斉に唸り声をあげて、ギザ十を追い立てている。  その名に恥じない彩豊かな紅葉の林と早生のキイチゴが実る潅木をいだいたもみじ谷で、ギザ十は食べ物をもとめてあちこちの土を掘り返していた。  夢中で掘っていた蟻の巣から顔を上げたとき、ギザ十は風下からにじり寄るアカメの群れと、脇にそれないよう配置されたザザの群れに、完全に包囲されていた。  歯を剥いて唸る狼たちに苛立ち、ギザ十は威嚇を繰り返した。  機敏に立ち回るギザ十に、一頭、また一頭と群れの仲間が張り飛ばされたが、ここで退くわけにはいかなかった。  この先、見通しのよい渓流と岩場が広がる斜面の藪に、弥一が潜んでいるのだ。  咆哮をとどろかせながらギザ十は応戦したが、数に圧される形でじりじりと後退しはじめた。  狼たちは後ろからしつこくギザ十の尻や脚を狙った。  ギザ十は何度も振り返って追い払わなければならず、思うように速度が出せない。  じわじわと弥一との距離が縮まってゆく。  間合いを見計らって、アカメがギザ十の前に走り込んだ。  目の前の狼に、猛り狂ったギザ十は仁王立ちになって威嚇した。 「弥一、喉を狙え」  アカメが叫ぶ。  と同時に真横に飛んで、弾を避ける。    バシュ  弾はたしかにギザ十の喉元に命中した。  だが、ギザ十は倒れなかった。  口と喉から血を噴出しながら、小山のような巨体が弥一を目掛け全速力で斜面を駆けのぼる。    獣と血の匂いを風が運んでくる。  全身が武者震いにふるえたが、 弥一は冷静だった。  土煙を上げて突進してくるヒグマの眉間を正確に狙って、引き金を引く。  ガクン、とギザ十の体は揺れ、速度が落ちた。 だが、二発の弾を浴びたのに、ギザ十は倒れない。  強靭な肉体と執念がギザ十を突き動かしていた。 「うわっ」 「弥一!」  銃を取り落とした弥一にギザ十が覆い被さろうとしていた。  アカメはとっさにギザ十と弥一の間に飛び込んだ。  喉を狙った弥一の一発目は確かにギザ十の喉に命中していた。  身動きするたび血が噴き出すその傷にアカメは牙を立てた。  ギザ十は振り払おうと左右に激しく体を揺らし、アカメの頭を狙って力任せに殴りつけてくる。  鋭利なかぎ爪が背中と脇腹を引き裂いたが、アカメは離れなかった。  アカメの顎は正確にギザ十の気管を噛み潰していた。  ブクブクと、血混じりの泡が気管から漏れている。  獲物が弱ってゆくのを、アカメは牙を通じて感じていた。  倒すなら今しかなかった。 「アカメ!」  すぐ真下で弥一の声がした。  熊槍を構えて、弥一の鋭い眼光はギザ十の心臓をひたと狙い据えていた。  ドゥッと衝撃があって、ギザ十はよろめいて、仰向けに倒れた。  アカメを抱き締めるように、腕に巻き込んで、そのまま斜面を転がってゆく。 「アカメ、離れろ」 「川に落ちるぞ!」  仲間の声は届いていた。  けれど、死に瀕したギザ十はせめてアカメを道連れにするつもりらしかった。  もがき出ようと暴れるアカメをさらにしっかりと抱き込んで、二頭は水流豊かな谷川へと落ちていった。 「アカメ!」  驚愕するザザの横を、疾風を追い越す速さで黒い影が走り抜けた。 「スイ⁉」  スイは一瞬の迷いもなく冷たい流れに飛び込んだ。  巨大なギザ十の体がうつ伏せに流れをくだってゆく。  スイはその体の下に潜り込んで、アカメを引き出した。  川を横切るように泳ぎ渡って岸につくと、弥一とザザがアカメとスイを引き揚げてくれた。 「アカメ! アカメ!」  アカメは息をしていなかった。 「どけっ!」  弥一が両手でアカメの胸を押した。  冷え切った身体を揺さぶって、名前を呼び、何度目か肋骨が沈んだとき、固く閉ざされていたアカメの瞼が震え、ゴボッと水を吐いた。 「アカメ?」  スイが顔を寄せる。  アカメはゆっくり目を開けた。  スイの黒い瞳がうるんで見えた。 「スイ……」 「よかった」  スイは濡れたアカメの顔を夢中で舐めた。  その後ろでは弥一が半泣きの変な顔で笑っている。   誰からともなく遠吠えが始まった。   群れの若い狼たちは流されてゆくギザ十の骸を追って渓谷沿いを走り出した。  肉を巡ってはしゃいだ小競り合いをしながら。  
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