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その日、三時間ほど残業になった環摩莉子は、本社ビルの社員通用口から裏通りに出た。外はすっかり夜だ。少し急げば、次の下り電車に乗れる。急ぎ足で地下鉄の入り口に向かっていたが、突然聴こえてきた男の大声に驚いて、足を止めた。
数メートル先の道端で、チンピラ風の男が、「お前の職場はわかってんだよ!」と怒鳴り、女が俯いている。
摩莉子は女に見覚えがあった。一瞬怯んだがつかつかと二人に近寄り「やめてください、警察呼びますよ!」と、スマホを耳に当てた。
男は摩莉子を一瞥すると小さく舌打ちし、足早にその場を去った。
女は安堵したように一息吐き、「ありがとうございます。すみません」と、摩莉子に頭を下げた。
摩莉子が「大丈夫ですか?」と返すと、女は「ええ……」と、きまりが悪そうに背を向け、摩莉子から逃げるように、地下鉄の入り口に消えていった。
女は同じフロアの山村マネージャーだった。
摩莉子が派遣スタッフとして勤めているコンサルファームの、優秀なコンサルタントだ。摩莉子とは所属するプロジェクトが違うため、接点は無いが、大手コンサルで三十代前半でマネージャーの役職は、エリートだ。その美貌と相まって、山村は社内でも目立つ存在だった。
それがなぜ、あんなヤクザ風の男と。摩莉子の心に、妙な違和感が残った。
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