300から66への手紙

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 奈良公園で一人、缶コーヒーを飲みながら鹿を眺めていた本条栄次は腕時計に目をやった。約束の時間をすでに十五分過ぎている。残りわずかだった缶コーヒーを、一気に飲み干した。目の前を鹿が横切る。薄茶に白のまだら模様の身体を揺らしながら、眠そうな顔をしていた。  携帯が鳴った。相手はわかっている。ため息まじりに舌打ちをし、 「もしもし」 『もしもし。遅れるから先に行ってて』 「もうすでにお前は遅刻している」 『あっ、バスきた。じゃあね、そういうことだから』 「お前、まだそこかよ」  電話はすでに切れていた。まだ電車にも乗っていないのならば、まだ一時間半以上かかる。やれやれ、と栄次は立ち上がり、少し公園内を散策することにした。  だが、やはりその前にもう一本コーヒーが飲みたい。栄次は欠伸をし、目を擦ると、自動販売機へ向かった。 缶コーヒーを買った後、栄次はそれを飲みながら歩き始めた。シカがプリントされたTシャツが並んだ売店を横切り、鹿がなかなか鹿せんべいを食べてくれず泣きそうな顔をしている幼稚園児をチラリと見、外国人観光客にカメラのシャッターを押すように頼まれていると、二十分ほど経過していた。
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