300から66への手紙

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「なんでだよ、意味がわかんねーよ」 目の前にいるのが幽霊であるということも忘れ、栄次は普通に訊ねた。小学校低学年くらいの男の子が「あの人、なんで鹿としゃべってるの?」と母親に訊ね「見たらだめ」と怒られている姿が横目に映った。なんとでも思え、と心の中で毒づきつつも、やはり、また咳払いをしてごまかしてしまった。 「だって、お父さんとお母さんが出会わなければ、僕は生まれてこないじゃん。そうしたら、お母さんは悲しまなくてすむんだよ。僕が死んだら、お母さんが悲しむんだよ。だから、僕は生まれてきちゃだめなんだよ」  少年の言葉は徐々に早口になっていき、聞き取りにくくなっていった。それと比例するように、顔は真っ赤に染まり、目が潤んでいく。身体が小さく震え、拳は強く握られている。まるで、全身が爆発するのを必死にこらえているかのようだった。栄次はどうしていいのかわからず、ただその場に立ち尽くしていた。 少年の奥で退屈そうにしていた鹿が自分の役目はもう終わったとばかりに,ノソノソとどこかへゆっくり歩き去って行った。栄次は頭を働かせ、少年にかける言葉を必死に探した。だが、どれも喉の一歩手前で霧のように消えていく。
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