0人が本棚に入れています
本棚に追加
食傷気味
錆びついた手は今宵も離しがたく、食事が終わると彼女を自宅まで送り、上がっていいよという言葉に甘えた。
「壊したいな」
と彼女は呟いた。
ベッドの上。上がってすぐ、押し倒されてそのままだ。
「君を」
その言葉が彼女にとっての愛してると同義だとおれは知っている。
両手首を押さえつけられ磔になったまま、おれは目を瞑った。乱れたシャツから目を逸らす。
「君はつれないね、いつだって」
「疲れてるんだ」
「慰めてあげようか」
「いらない」
彼女の体温がじわりと沁みる。
仕事か……と彼女は噛み締めるように呟いた。
「君がいなかったら、わたしはおいしいお肉を食べれないのね。見てみたいなぁ君のキッチン」
牛、豚、鶏、ああそれと鯨とか?桜、紅葉、牡丹、綺麗な言葉もたくさんある。あなたは一体何を想像している?
目をひらく。
彼女は笑っていた。
「血生臭いだけ、だよ」
「きっとそうね。でもそれがいいの。血みどろの現実が見たいの」
「かわいそうに」
拘束された片手をほどき、彼女の頬に触れた。
「あたは現実に食傷気味なんだ」
「どういうこと?」
このときはじめて、彼女の表情が曇った。怪訝そうに眉をひそめる。
おれは微笑んだ。
「でなきゃそんなこと、言わないさ」
かわいそうなあなた。
ヒトを喰うヒトというのは、案外こういう存在なのかもしれない。堅実に現実と向き合うからこそ、彼女は日々たくさんの破片をこぼし、欠けた存在になっていく。
そして足りない部分をおれと、おれの日常に求める。
現実に飽きた彼女と、非現実的な仕事にいそしむおれ。唇を重ね、抱擁しあうことしかできない。ふれ合う肌を暖めて、現実と非現実の境界線をゆるゆると融かす。
深く交わり混濁することのない、表面だけの関係。
かわいそうなあなた。
かわいそうなヒト。
別れ際、気ををつけてねと声をかけた。すると彼女は気をつけるのは君の方でしょと無邪気に笑った。
夜道、気をつけて帰ってね。
最初のコメントを投稿しよう!