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二度目の食事
清々しい晴れの日、抜けない気怠さを背負って工房に立っていた。空気は冷たい。包丁の刃先も。
太い指が、本日の食材を置いて出ていった。深緑の寝袋みたいなのに、それは包まれている。扉が閉じて厭な静寂が訪れる。
ジッパーをそっと下げる。
おれは血抜きのために切断された手首の断面を見ていた。白いものが覗いている。細い。肌も白い。
掠れた笑い声が響く。
包丁を手にする。今日は、頭の注文は入ってなかったよな。モモと、あとはムネだ。残りは捨てるか、好きにしていいことになっている。無論、おれはこんなもの口にするつもりもなかった。
力任せに首を切る。食材はきまって女だから、骨は細い。女なのはやわらかいからか、それとも香り高いからか。首の骨が擦れる感覚は、手のひらまで鮮明に響いた。
「どう?最高に血生臭いところだろ」
「そうかしら」
と、今しがた体から分離した頭部に、きっちりと備えつけられた唇がうごいた。
「確かにおかしなところだけど、」
くすくす、とピンクに汚れた歯がわずかに覗く。それはただの女ではなく、彼女だった。
「大事なんでしょ?わたしたちの食事には」
「どうだろう…」
頭のことは一旦置いておいて、体の方の解体に取りかかる。四肢を切り離し、薄い皮は軽く炙って削ぐように剝がしていく。包丁は脂で濁ればその都度洗い、肉と骨を分ける。
いくら血抜きをしていても、手は汚れる。おれはそれを自分の唇へと近づけた。血の匂いが濃くなる。
「わたし、このままなの?」
と彼女が言った。目はやや濁ってしまっているが、確かにおれを捉えている。
新鮮の証し。
返答のために息を吸う。
あ、狂気の兆し。
「大丈夫だよ」
「わたし、知らない誰かに食べられちゃうの?」
「大丈夫だから」
おれがなんとかするから。
声が震えた。大丈夫だから。そんな悲しい声でおれに話さないで。
「ほんとうに?」
「ああ、ほんとうだよ」
ほら、とおれは赤い肉に口をつけた。血と脂で唇が濡れる。舌がなめらかに滑り、まるで今も生きているかのような温もりを感じる。
死体から脈打つ生命を感じる。
犬歯を突き立て、肉体を咀嚼する。愛していた彼女との、決して越えられなかった一線を越えて溶け合う。
肉が、溶けていく。
心が、崩れていく。
廃人でもいい。こうでもしないとおれたちは分かりあえなかったんだよ。
「幸せ?」
血の混じった涎が顎を伝った。
「とても」
笑った。
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