温かい氷菓 【水魚シリーズ#3】

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   ◇ 「なんで居るんだよ。具合の悪いやつは早く帰れ」  幼なじみの彼氏と、と言う代わりに、五郎は「これでも持って」とドラッグストアのビニール袋を机に置いた。  放課後の日課となっていた生き物たちへの餌やりに生物室を訪れたのであろう、来たところで力尽きたらしい深結(ふゆ)が机に突っ伏して死に体になっていた。声を掛けると、のろのろと重たそうに頭を上げ、目の前に置かれた袋の中身をがさがさと漁って首を捻る。 「なんで使い捨てカイロなんですか?」 「寒そうだったろ」 「真夏ですよ?」 「それがなんだ」  まあでも他にあったはずだよな、と自分の突飛な思いつきに心の中では五郎もまた首を捻っていたが、面には出さずに否定する。そんな様子に、深結は俯いたまま涼やかに微笑んだ。 「なんでも良い。嬉しいです。先生から貰った初めてのプレゼントですから。使わないで、ずっと大切に保存します」 「プレゼントじゃない。差し入れだ。保存するな」 「この季節によく見つけましたね。私の為にあちこち探し回ってくれたんですか? 素敵」 「いや、一軒目にあった」 「来ないかもしれない私の為に、わざわざ買いに出てくれたんですね。感動です」 「いや、来るだろ、お前は」 「信用あるんですね。私」  信用なのだろうか。執着。惰性。そもそも、なぜこの女生徒が自分を特別に好み、付きまとい、すげなくされ続けても怯まず毎日やってくるのか、五郎には分からない。 「亀の餌はやっとくから帰れ。幼なじみのあいつに送ってもらえ」 「駄目です。幼なじみには彼女がいるので。私を優先されてモメるのは困ります。無事に彼女と帰るまで匿ってください」  当たり前のように恋人より優先される幼なじみって何なんだ。 「男子校出身には分かんねえ」 「先生、自転車で送ってください」 「違法だ」 「あーあ、おまわりさんのいない田舎の高校なら良かったのに。のどかな田んぼ道を先生と二人乗りして帰りたかったな」 「やらないぞ」 「じゃあ、先生と同い年で、保健室の先生になって、暑い最中に走らされている可哀想な生徒たちを眺めながら、涼しい保健室で一緒にアイス食べたかったな」 「……」  拒否しようにも、最新の心当たりがあるだけに言葉に詰まった。 「やらないぞ、とは言わせませんよ」  くすくすと笑った終いに、はぁ、と辛そうな息を吐く深結は、やはり本調子ではないのだろう。生物室に来てからずっと俯いたままこちらを見ないのは、顔色の悪さを気取らせない為だと、五郎は気付いていた。 「帰ります」 「帰るのか」 「駄目ですか?」  漏れた本音に反応して深結が顔を上げたために、今日初めて目が合った。身体の不調から潤んだだけの瞳であろうが、そこに浮かぶ開け透けな好意と歓喜は五郎を戸惑わせる。こいつのこういうところが苦手なのだ、と、うっかり絡んだ視線を解き、「あー……」などと言って濁していると、ある光景が視界の隅に飛び込んできて、思わず窓から身を乗り出した。 「あー…… 引き止めるわけじゃないが。お前の幼馴染み、昇降口を出たとこで女子とモメてる」 「髪の長い二年生なら彼女ですね。やっぱり、もう少しここに置いてください」 「少しだけだぞ」  ありがとうございます、と言う簡素な謝辞の後、またも机に突っ伏して動かなくなった深結の姿にホッと胸を撫で下ろして、亀に餌をやり始める。 「先生、アイス食べたい」 「ここには無い」 「そうじゃなくて。夏休みになったら、浴衣を着て打ち上げ花火を見ながら、金魚すくいして、アイス食べたいです。先生と」  「駄目って言わないでください、独り言です」と、顔を伏せたまま温度の無い声で付け足されれば、それが本気か冗談か判別がつかない。この娘に関して、五郎は分からないことだらけだ。 「……先生」 「なんだ?」 「やっぱり、カイロじゃなくてアイスが良かったです」 「だよな」  保存できないけど、と二人の声が重なって、揃ってぷっと吹き出した。
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