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仕事終わり(午前8時)
「ご苦労さん」
一万円の入った封筒を男は受け取った。午後十時から朝八時まで働いて、それだけだ。交通費はでない。
「明日もよろしく」
男は返事もせずに帰った。バスにのり電車に乗った。そのあいだ男はわかれた恋人のことを考えていた。男と恋人は五年前まで、いっしょに暮していた。ふたりは同じ劇団にいて、ふたりとも役者で男は脚本演出も手掛けていた。大学時代に旗揚げして、ふたりは就職せずアルバイトをして、芝居を続けた。働いた金はすべて芝居につぎこんだ。同棲の理由は愛情というよりは金銭的な問題だった。ひとりよりふたりのほうが、生活費がおさえられたからだ。
自分たちは必ず成功すると信じていた。小劇場出身の役者がテレビや映画に出るたびに、自分たちもいつかは、と思った。男は面白い脚本を書き続けた。客はそこそこ入った。だがどこからも声はかからない。
三十歳になるまでに、成功したい。
それがふたりの共通の目標だった。
だが目標が果たされることはなかった。劇団運営にかかる借金だけが増え、ふたりはバイトを増やさざるを得なかった。それでも返せなくて、恋人はデザイン会社に就職した。恋人の仕事は忙しく、芝居に出る回数は減った。男は面白い脚本を書くことができなくなった。
観客は減り、劇団員もやめていった。
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