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彼が十八の誕生日を迎えたその日は、関東も大雪に見舞われていた。東京でこれほどの雪は珍しい。珍しいということはつまり、それだけ雪の事故が起こりやすくなっているということである。
「近隣の山が心配だし、少々見に行ってくるよ。あの山の構造だと雪崩が起きるなんてこともありうるからね」
「それはお前が直接行く必要があることなのか?」
「あるとも。俺にはなんの力もないが、俺をそういう存在だと信じて慕ってくれる人は少なからずいる。ならば、そういう人達の前に姿を見せて声をかけるだけで意味があるんだ。それだけで彼等は救われるんだからね」
「……そうだな」
未だに聖蓮は、自分は皆に慕われているのは神様の子だと信じられているからだと思っている。しかし、僕もこの頃になると薄々気づいているのだ――聖蓮に特別な力などないと知っている信者も、けして少なくないのではないかと。それでも彼が皆に愛されるのはなんてことはない、彼個人が積み重ねてきた善行の結果である。
親を亡くして、寒空の下ボロ切れ一枚纏って彷徨っていた兄弟招き入れ、温かい湯殿で体を洗ってやったのは誰であったか。
教団の施設に忍び込み、まんじゅうを盗んだ少女を叱らず、その理由を尋ねて彼女とその親を招き入れて支援を約束したのは誰であったか。
散歩中に暴漢に襲われた女性を助けて怪我をしたこともあったし、倒れていた老婆をおぶって病院に連れていったこともあったではないか。
彼は己のそのような行為を、“たまたま自分にできることがあったからそうした”としか思っていない。善行だと思っていないからこそ、そこまで己が好かれる理由にはなり得ないと本気で考えているのだ。
それは彼の純粋さゆえのことであり、同時に非常に悲しいことでもあった。聖蓮の着替えを手伝いながら、僕はいつも唇を噛み締めるのである。
彼の背中には、未だに消えない酷い蚯蚓腫れのあとや、切られたような傷跡がいくつも残っている。幼い頃、思い通りに動かない我が子に業を煮やし、両親が折檻を加えた跡であった。近年は両親も衰えてそのような行為をすることはなくなったが、ほんの数年前まで彼は両親の機嫌が悪くなるたび見えないところで殴られ、蹴られ、洗脳を受けていたのである。お前は神様の子として、自分達の思い通りに動けばいいのだ、と。余計な人助けなんぞをする必要はない、と。
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