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「聖蓮様、聖蓮様ぁ……!」
「ああ、あの方がいなくなったらどうすれば。どうすればいいのですか!お願いします、どなたか、どなたかあの方を助けてください……!」
「聖蓮様のような素晴らしいお方が死ぬはずがない、そのようなことがあっていいはずがない……!」
嘆き嘆く信者達の声が、毎日のように屋敷の随所から聞こえてくる。ある日、ある信者がキリシタンから、キリストの復活祭なるものを聴いたのだと言った。キリスト教えの神は一度死に、その後特別な日に復活を遂げたのだというのだ。
「あの方も、そうかもしれない!きっと、いずれ特別なその日に復活を遂げ、ますます強くなったお力で我々を導いてくれるのだ、そうに違いない!」
「おおおお!そうか、そういうことか!」
その者の言葉は、聖蓮がいなくなったらどうしようと嘆く者達の心を一時慰めた。聖蓮がいつ復活してもいいようにと、以前よりもましてお布施を集めるようになったのである。老いた彼の両親は、息子の病状もそっちのけで喜んでいた。そして僕は。
「……なんと浅ましいことか」
失望していた。彼を散々追い詰め、搾取し、依存しておきながら。まだ彼から何もかも搾り取ろうとしているであろう世界に、呪われた仕組みに。これほど彼が命をかけて人々に尽くしてきたというのに、本当に人々にはその価値があったのだろうか。
僕は彼に、帰ってきて欲しい。
また文学や新しい原稿について語り合いたいし、新しい世の中の動きを共に見ていきたいと願う。だがしかし、それとは別に疑問も抱いてしまうのだ。果たしてこの世界は、彼が戻って来るに値する世界であるのかと。
彼はこの地に、復活するべきであるのかと。
「なあ、聖蓮。僕は、僕はどうすればいい。いつもお前の友人でありながら、側近としての立場を優先してきた。お前が危ない真似をしてもちっとも止めることができなかった。人々を救いたい、お前の崇高な願いはわかる。しかし、その願いとお前の安全を両立する方法は、本当にないものだろうか……」
聖蓮のためにも、この永楽教を、信者達の意識をどうにかして変えたい。
頭を悩ませていた僕に一筋の光明を齎したのは、僕の元を訪れた一組の兄弟だった。いつぞやの、聖蓮が救ってこの家に置いている子供達である。
「宗吉様。本を読んでいただけませんか。ぼくたち、文字が読めないのです」
僕は驚き、そしてこんな簡単なことに気づけなかった己を恥じたのだ。
文字を教えなければ、本が読めない。本が読めなければ知識を学べない。そのようなこと、当たり前であったというのに。
――これだ!
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