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『これからは、ここが私の居場所』  投稿サイトで小説を書いているエレラは、主人公のセリフで締めくくって最終回を配信した。近くの商店街を舞台にした、喫茶店で働く少女と隣接する書店員の恋愛と成長物語だ。 「んー」  ダイニングテーブルにタブレットを置いて、大きく背伸びをする。 「ホットミルクでも飲む?」  春には少し遠い。暖房は必要ないと言うが、ソファーで毛布を敷いて丸まった背後の月子に聞いた。白髪に筋ばった腕、まだそんな年ではないのに老婆のようだ。  一方のエレラは厚い上着を羽織り、作品が完成した興奮もあって頬が上気して愛らしい。とても血の繋がった親子には見えない。 「いらない」  月子はけだるそうに言うと頭まで毛布を被った。 「そう……。何か欲しくなったら言ってね」  先に原稿を上げるために、取り込んだままの洗濯物をたたみタンスに片付ける。洗った食器を拭いて食器棚にしまう。家事の一切はエレラの役目だ。  母と娘の二人暮らし。父親はとうに亡くなり、各地を転々として身を寄せあって生きてきた。今の場所は比較的住みやすい。だがここも長くは居られないだろう。  そう考えていると着信音がして、エレラは飛ぶようにしてテーブルに駆け寄る。 「もう読んでくれたんだ!」  軽くウエーブのかかった長い髪を耳にかけ、タブレットの画面に見入った。 「いつもの人?」  本当はその輝くような表情で、聞かなくてもわかる。 「うん、そう。『完結おめでとうございます。今回のお話も毎日楽しく読ませて頂きました』……」  サイトには読者が直接コメントでき、その人は更新する度にメッセージをくれる。エレラの好きな小説の主人公と同じ名前の『深見影彦』からの言葉はいつも嬉しい。続きを読みあげようとして月子に遮られた。 「もう寝るわ、電気消して……」 「お布団敷いたよ?」 「…………」  もうすぐ「探偵深見影彦」のドラマが始まる。本当は予告を見てから楽しみにしていた……。だがドラマは明日の配信で見ればいい。月子の機嫌が悪くなる前に灯りを消して、隣の部屋に行きふすまを閉めた。  六畳のLDKと四畳半の和室。備え付けの家具とテレビはあるが録画機器はない。いつでも引っ越し出来るよう身軽にと心がけている。  こんな生活はもうたくさんと首を振り、一方でいつまでも続いて欲しいとも思うのだ。  この世に唯一、信じられる血の繋がった家族のいる幸せ。それは自分のエゴなのかもしれないが……。  隣の部屋から寝返りする気配が感じられ、まだ眠くはないけれど目を閉じた。  数日後の夕方、珍しく月子の方から外出したいと言いだした。ところが突然道端でうずくまり動けなくなってしまった。痩せているとはいえ大柄な月子を背負って歩くほどの力はエレラにはない……。 「どうしよう……」  交通量の多い大通りから一本中に入った細い道。昼間は人通りさえまばらだ。  困っているところに、背後から来た車が停止する音がする。 「大丈夫ですか?」  車の中から若い男が声を掛けてきた。
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