152人が本棚に入れています
本棚に追加
調査報告1「残された女」 A Woman Left Ⅼonely / Janis Joplin
(一)
深夜一時、予報に反して雨が降り出した。
今、考えられる選択肢は三つ。近くの事務所まで傘を取りに戻るか、このまま雨に濡れながら張り込みを続けるか、あるいはそこらの軒先から一本拝借するか――。
俺は迷わず三番目をチョイスして串揚げ屋の玄関口にあった傘立てから使い古されたビニール傘を手に入れた。
おかげでひとまず雨は避けられたが、駅前の繁華街とは言えいつまでも一ヶ所に立ち続けているのは不自然極まりない。終電はとうに終わり、ゾンビの群れのように通りをうろついていた酔客たちもいつしか姿を消していた。
新橋駅烏森口から新橋二丁目及び三丁目へと広がる烏森通り商店街は、細く狭い路地が碁盤の目のように規則正しく並び、どの通りからも垢抜けない下町の風情が色濃く感じられた。
それは令和はおろか、平成の時代にさえ迎合せず、ひたすら昭和の灯を守り続けてきた偏屈な昭和の住人たちによる努力の賜物かもしれない。
路地の両側には小料理屋や焼鳥屋、寿司屋、ホルモン屋、中華屋、バー、スナック、パチンコ景品交換所、レンタルルームなど多種多様な店が犇めき合っているが、そのほとんどは終電の終わったタイミングで店仕舞いしていた。
一昔前なら終電後も活気があり、朝まで営業している店も珍しくなかったが、ここ数年で事態は様変わりし、すっかり不景気になったと、誰しもが口癖のようにぼやいた。
俺は一時間半前からビルの隙間にある暗がりで気配を殺していた。そこは烏森通りから一本入った細い路地のほぼ中央、外階段のある三階建てテナントビルの正面だった。
その建物は一階が風俗案内所で二階に二軒のスナック、三階には中国系エステが入っており、その二階・右側の扉が開くのを今か今かと待ちわびていた。
じっと気配を殺しているつもりでも、数メートル離れた公園の入口に立つ中国人按摩嬢とは度々目が合った。その視線が痛くて場所を移ろうかと思案していたその時、ようやくお目当ての扉が開き、中から客が出てきた。
男は濃紺か、黒に見えるジャケットを着ていた。ここからその表情は見えないが、扉を開けたまま中にいる店主と何やら冗談を言い合っているようだ。
さりげなくビルから離れた。すぐに扉が閉まり、階段を降りてくる気配が感じられた。男は通りに出て立ち止まると、おもむろに空を見上げて呟いた。
なんだ、雨かよ――。
そしてジャケットの襟を立てと、肩をすくめて足早に歩き出した。
俺は十分な距離を取って後をつけた。男は公園に入って行く。先程の中国人按摩嬢とすれ違うと遠慮なく訝しげな視線をぶつけてきた。
公園の周囲では〈麻雀〉〈焼肉〉〈台湾料理〉〈ブック&カフェ〉といったネオンが色鮮やかに煌めき、雨に濡れる遊具を色とりどりに妖しく照らしていた。
ふいに男の姿が消え、咄嗟に駆けた――。足音を響かせないよう出来るだけ慎重に、尚且つ素早く。
影を見失った路地に入ると、営業している店はラーメン屋と古びたスナック一軒だけだった。しかしラーメン屋に客はおらず、この時間から他の飲み屋に寄るとも考えにくい。俺は路地を抜けてタクシーの往来する通りに出た。そこで左右に目を凝らし、男の影を探す。
幸い、ものの数分で赤レンガ通りのコンビニエンスストアの中にいる男を見つけた。男は缶ビールとカップ麺の入ったビニール袋を提げて店から出て来ると、そのまま西方向へと向かい、次の角をすぐに右折した。
目立たぬよう開いた傘を心持ち前方に傾けて男と同調して歩く。しばらく行くと男は古ぼけた七階建てアパートへと消えて行った。目指す部屋がどこかはわかっている。築四十五年の賃貸マンション。四十平米弱の1LDKで家賃は月々管理費込み十六万円。
俺は少し先にあるクリーニング屋のシャッター前に移動した。そこには数十センチの庇があって気休め程度の雨除けになる。傘を畳んでシャッターに立て掛けるとジャケットのポケットを探り、皺くちゃになったセブンスターを取り出した。
右手で一度だけ手早く振り、飛び出した一本を無造作に咥えたが、火をつける寸前に躊躇して、折れ曲がった箇所に裂け目がないか確認した。ほんの僅かでも穴が空いていれば、そこから空気が漏れ出して台無しになってしまうからだ。
煙草はどうやら無事らしいのでもう一度口に咥え、古いシルバーのジッポーで火を点けた。途端にスパイシーな香ばしさと、いがらっぽくて癖のある煙が肺を満たす。強いニコチンによって全身の血管が収縮する。俺は二度三度、煙を吐き出してから三階の角部屋を睨みつけた。
部屋の明かりが灯った。カーテンは閉まったまま時折、男の影が横切ったが、それ以上の動きはないようだ。やがて指を焦がす寸前まで短くなった煙草を靴の裏でもみ消し、すぐに二本目に火を点けた。心なし吸い口が軽い。
いつの間にか部屋が薄暗くなっていた。窓の奥で青白い光だけが激しく明滅している。恐らく男はスポーツニュース番組でも眺めながらカップラーメンを啜っているのだろう。
煙草を深く吸い込む。やはり軽い。煙草を挟んだ人差し指のすぐ脇に折れ曲がった際に生じた裂け目があった。そこから空気が漏れている。俺は苦々しい思いで煙草を足元に落とし、踵で踏み潰した。
その時、路地の向こうでタクシーが水しぶきを上げて止まった。すぐに後部ドアが開き、黒いドレスを着た女が乗り込んだ。
俺はため息をついて今夜は店じまいの頃合いだと判断した。そろそろ寝床へ帰る時間だ。最後にもう一度だけ青白い光を睨みつけると、傘を置いたまま歩き出した。
◇
午前九時十五分――。誰かの大声で目が覚めた。
声の主はビルの管理人・小宮勝だろう。ゴミの分別と入居者の噂話に異様な執念を燃やす五十歳前後の元宅配ドライバー。
どうやらこの部屋の真ん前に立ち、廊下の端に現れた誰かに向かって、その良く響く声で朝の挨拶をしているようだ。
もしかしたらしばらく前から俺の部屋の様子を窺っていたのかもしれない。何故ならこのビルと交わした賃貸契約に、住居としての使用までは含まれていないからだ。
半分寝惚けたままベッドから身体を起こす。最初の頃は寝返りを打つことさえままならず窮屈で仕方なかったこのマッサージ用ベッドも、住めば都で今ではすっかり熟睡できるようになった。
ここは縦四メートル、横幅一・五メートルで、コンクリートの壁とアルミの衝立に挟まれた鰻の寝床のような空間だ。
仕事柄、夜中働いて朝方眠ることが多い。だから窓ガラスにカーテン代わりの段ボール紙を貼ったのだが、隙間から明かりが容赦なく漏れてあまり役立っていなかった。
ベッドの並びに電気コンロ一つと小さな流しがある。その隣には食器棚代わりのカラーボックス。リサクイクルショップで手に入れた中古冷蔵庫の上には上京時に持ってきた使い古しの電子レンジを載せた。これで、見栄えはあまり良くないものの必要最低限の機能が備わった自慢のキッチンが完成した。
衝立の向こうはオフィスになっており、そこには自分専用のデスクと間に合わせ程度の応接セットがある。それらを合わせた約十一坪の空間が我が城であり、スイートホームでもあった。
流しの前に立って歯を磨きながら正面の壁に貼られた煤けた鏡を覗き込んだ。そこにいるのは寝癖だらけの髪に白髪交じりの無精髭を蓄えた冴えない中年男――。
男の名は石橋耕平。年齢は四十四歳で、今年が終わる頃には四十五歳になる。
探偵業を営んでおり、屋号は『新橋駅前探偵社』と言う。どこにあって何をするのか、わざわざ説明しなくてもわかるよう、そう名付けた。
格安で秘密厳守――。年中無休――。それが売りだった。
この年まで独身で結婚の経験はない。結婚を考えた相手がいなかった訳ではないが、今にして思えば縁がなかったのだろう。
下の階に住むマッサージ屋の小姐からは会う度に〈アナタ、日本人なのにいつも汚い、少しは綺麗にしなさい〉と決まり文句のように叱られるのだが、俺はそれほど汚くしている意識もなければ、時には風呂上りの場合だってあるのだから、まったくもって勝手な言いがかりに過ぎない。
それでも昨夜は車通りの激しい往来で張り込みをしていたせいか、右の鼻から成長した太い毛が二本はみ出ていた。その内の一本を親指と中指で変則的に摘まんで一息に抜いた。
すぐにクシャミ。続けてもう一本。今度は反応がない、と見せかけて一度目よりも激しいクシャミ。すかさずちり紙をあてがって大きな音で鼻をかんだ。
キッチンの奥は浴室になっている。それはユニットタイプの狭くて小さなシャワールームだが、驚くなかれ隣に同じものがもう一基ある。一つはもちろんそのままシャワールームとして使用しているが、もう一つは贅沢にも乾燥機能付き物干しルームとして活用している。
このシャワーユニットや毎晩寝ているマッサージ用ベッドなどはすべて前のオーナーが置いていったものだ。物件契約時、不動産会社の担当者が〈現状渡しで良ければ保証金を半分にまける〉と約束した、その〈現状〉が、中国式按摩屋が夜逃げしたもぬけの殻のことを意味していたのだ。
残されていたのは計六台のマッサージベッドに、鍵が破壊された空っぽの手提げ金庫―—、割れた食器類―—、尋常じゃない量のタオルーー、片方しかない運動靴——、子供用のリュックサックーー、そして両腕のない人形——。それら大量のゴミを処分するのは丸三日がかりで酷く骨が折れたけれど、その報酬として今から六年前、俺は自分の城を手に入れたのだ。
東京都港区の北東部に位置する『新橋駅』は大都会・東京に相応しく、連日多くの利用客でごった返している。
新幹線は言うに及ばず、羽田や成田など空港へのアクセスも容易だし、JR山手線、京浜東北線の他、複数の地下鉄も乗り入れ、おまけに湾岸地区を巡るモノレール『ゆりかもめ』の出発点でもあるからだ。
それらすべてを合わせた一日の利用客数はおよそ五十万人。まさしく都内屈指のマンモス・ステーションである。
新橋から徒歩圏の北側には銀座や有楽町など日本有数の繁華街があり、西側には内幸町や虎ノ門などのビジネス街が広がっている。
東側にはかつての日本の台所・築地があり、南側には未来的な超高層ビルが立ち並ぶ汐留がある。
宵の口ともなればガード下や烏森口界隈を中心に、昔懐かしい下町情緒を感じさせる気の置けない一杯飲み屋が並び、仕事を追えたサラリーマンたちが思い思いに憩いの時を過ごしている。
こういった地理的要因と新旧ない交ぜとなった豊かな街の風情が新橋に独自の個性と賑わいを育んでいるのかもしれない。
我が探偵社は新橋駅改札から徒歩三十秒の商業ビル『新生ビルヂング』の中にあった。まさしく駅前の一等地だが、昭和四十五年施工とその歴史は半世紀以上に及び、老朽化が激しく寂れている為、空きテナントは多い。
部屋は四階西側にあって家賃は月に約二十六万円。地方なら目が飛び出るような額だが、港区のJR駅前、更にすぐ隣には日本一地価が高いことで知られる銀座が控えていることを踏まえれば決して高くはなかった。
それでも毎月賃料を捻り出すのは容易ではなく、正直なところ青息吐息の連続だった。
探偵業で一番稼げるのは〈浮気調査〉である。かく言う我が社も例外ではない。あまり聞こえの良い仕事ではないので、開業当初はなるべく控えようと思っていたが、実際問題浮気調査を請け負わなければここの家賃は払っていけない。先月も二件の浮気調査を手掛けた。
浮気調査の良いところはハズレがあまりない点だ。つまり夫にしろ妻にしろ、パートナーの浮気をただ疑っている程度で探偵を雇うことはまずない。そこにはっきりとした確信があり、尚且つ結果に対しても絶対的な覚悟がある前提で、あくまで戦う為の証拠固めとして探偵に依頼してくるのが常だった。
その為、依頼者からの情報通りの場所と時間に対象者を張っていれば、十中八九現場を押さえられた。たまたま見逃したとしても、二度三度張っていれば遅からず当たる。あとは言い逃れできない証拠を写真か動画で押さえれば任務完了だ。効率的で危険も少なく実入りも良い。それが浮気調査だ。
だからその日、名古屋からやって来たその女性の依頼も、いつもの浮気調査だろうと軽く考えていた。よくある不倫話のもつれに過ぎないのだろう――、と。
最初のコメントを投稿しよう!