終奏 アウトロ / Outro

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終奏 アウトロ / Outro

 病室で事情聴取に応じた。  担当刑事はもちろん虎ノ門署・生活安全課の陣内瑛士(じんないえいじ)警部補である筈もなく、警視庁組織犯罪対策課(そしきはんざいたいさくか)原田冴子(はらださえこ)という三十代の女性警部補だった。  原田は陣内がでしゃばるのが面白くないようで当初かなり不機嫌そうにしていたが、それでも全国重要指名手配犯の検挙を前に俄然やる気になっていた。  俺は過去の経緯やこの数年間の個人的な調査内容については一切何も話さなかった。いずれ事件との関連が判明するにしても今はもうこれ以上、捜査関係者に纏わりつかれたくなかったからだ。  今回の事件はたまたま同じビルの同じフロアにいたテナント契約者、それぞれが誘拐の実行犯であり、被害者であったと言う説明に終始した。そして俺は行き掛かり上、被害者の親族に請われて監禁場所を探し、運良く救出する事が出来たのだ。  それが一貫した説明の骨子だった。  俺と同じく新浦安の『栄典堂総合病院(えいてんどうそうごうびょういん)』に救急搬送された加藤毅(かとうつよし)の容態は一時期かなり危ぶまれたが、現在は回復傾向にあると聞いた。  その加藤については元妻である船山洋子と娘たちとで身の回りの世話をしていると知り随分驚いたが、願わくばその動機が宝石珊瑚目当てでない事を祈るばかりだった。  シオンの怪我は幸い軽傷で済んだ。額の裂傷は三針ほど縫う事になったが、傷跡は一切残らないと聞いて安心した。まだうら若き乙女の顔に一生モノの傷を負わせたとあっては、死んで詫びる以外に責任の取りようがないからだ。  それでも見舞いに来た田中亮からはいつにもまして厳しい言葉で糾弾された。お前がシオンを守ると約束したんじゃないか――、と。田中の言葉は耳に痛かったが、それでも田中の正しさが有難かった。  誘拐の現行犯として逮捕された中村健一(なかむらけんいち)こと孔健(コン・チェン)の事情徴収が既に始まっていたが、本人は頑なに完全黙秘(カンモク)を貫いていると聞いた。  また弟である中村辰男(なかむらたつお)こと孔琳(コン・リン)についても同様で何を聞いても黙秘の一点張りだと言う。  これまでのすべての経緯について俺の見立てはこうだ。  福岡で福建マフィアの劉鵬飛(リュウ・ペンフェイ)を名乗っていた孔健は、盗難車をアジア各国に輸出する仕事で知己を得た北九州市の中古車屋・芝山芳樹を犯行グループに誘った。  そのグループには最初から弟の孔琳もいたのだろう。彼らは実際に犯行を成功させると分け前を独占する為にあっさりと芝山を斬り捨て、岡山県山中に犯行で使用した車両共々葬った。そして芝山の身分証を使って本人に成り済まし、芝山の古物商免許を利用して新橋で中古楽器屋を開業したのだ。  もちろん整形手術で顔も変え、エセ関西人を装い、完全な別人に成り済ましていたのだから当然誰にもばれる筈がないと、そう過信していたのだろう。  玄人はだしのギター趣味はあまりに犯人像からかけ離れていた為、意外だったし、近くにいながら最後まで正体が掴めなかったが、それでも最終的には俺の勝ちだ。つまりはそういう事だ。  担当の原田警部補は今回の誘拐事件のみならず大昔の『南福岡・周南市連続強盗事件(みなみふくおか・しゅうなんしれんぞくごうとうさつじんじけん)』など他の余罪についても徹底して追及すると息巻いていたが、その道のりは容易くないように思えた。  だがどちらにせよだ――。取り調べにどれほど時間がかかろうとも、どれだけ完全黙秘を続けようとも、彼らが犯した罪の重さと照らし合わせれば二度と自由の身となって娑婆を歩く事はできない。  良くて終身刑――。仮に彼らがこれまで犯した罪の半分でも明らかになれば問答無用で死刑が求刑される。つまりこの先、彼らの人生は確実に灰色の塀の中で終わる。その事実だけが一縷の希望であり、心の救いだった。  陣内は原田警部補がいないタイミングを見計らって病室に現れた。見舞いを持ってくるどころか、こちらの怪我を案ずることすらなく一言目に、石橋、悪いけど幾らか回してくれるか――、と言った。  俺は相変わらずの事に辟易したが、それでも五万円までなら貸せると答えた。そしてまだ俺の事を「石橋」と呼び続ける陣内を内心訝しく感じた。  陣内は最初から俺の本名が浅田慎也(あさだしんや)だと知っていた。しかしそれも当然だ。所轄に届け出た書類の名義はすべて本名だったからだ。  その上で俺が偽名を騙っている事を面白可笑しく感じていたのだろう。事あるごとに「イ・シ・バ・シ――」と一文字一文字にアクセントを付けて呼ぶので毎度落ち着かない気分を味わったが、それでも陣内は偽名の理由について一度も訊ねてこなかった。 ◇  高校二年の夏、俺と石橋耕平はどちらがライト・ウェルター級の代表になるかを競い合い、僅差で俺が選ばれた。  耕平は俺よりも体が大きかったが、県内の上の階級にはオリンピック・クラスの強豪が犇めいていた為、一階級下のライト級まで落とす事になり、相当厳しい減量に苦しんでいた。  そんな中、他校との練習試合があった。耕平は格下相手の他愛もないショートジャブをもらって、糸が切れた人形のようにリング上で卒倒し、そのまま意識不明の状態で病院に搬送された。医師による診断は一過性脳虚血発作(いっかせいのうきょけつほっさ)による脳梗塞(のうこうそく)だった。その原因として成長期の過度な減量による血流不全を指摘された。  耕平はそれから約五ヶ月間、植物状態のまま無為無策な時を過ごし、回復はもはや見込めないと断言する病院からの勧めもあって両親は尊厳死を選択した。  それは何の前触れもなく、また何の予兆もなかった。俺の親友だった石橋耕平は突然、目の前から消えた。俺は大切な親友を失い、同じくらい大切なボクシングも失った。  耕平の死の一因が自分にあると言う事実は疑いようがなく、だからこそ二度とリングに上がる事が出来なかったのだ。 ◇  事件から十三日後に退院し、ほぼ半月ぶりに新生ビルヂングに戻れた。  車椅子用のスロープがある烏森口側のエントランスで出迎えてくれたのは管理人の小宮勝(こみやまさる)と、『睡蓮(すいれん)』の雇われママ、王依依(ワン・イーイー)の二人だった。  ビル管理人と店子という以外に何の繋がりもない二人が何故揃って一緒にいるのか不思議でならなかったが、敢えて質問はしなかった。  小宮は今回無事に加藤毅を救出した俺に対して、今までの考え方を全面的に改め、尊敬の念すら抱いたと言った。俺はが気になったが、聞き返せば面倒な事になりそうなので一切無視した。  そして自力でタイヤを押して前に進もうとしたところですかさず俺の背後に回り、車椅子を押そうとしたその小宮を突き飛ばすようにして王依依がその座を奪った。小宮は苦笑いを浮かべて戦線離脱した。  王依依は今夜、退院祝いの祝宴を用意していると言った。だから十二時になったら食べに来て――、と。俺は大量の唐辛子が浮いた真っ赤な鍋を思い浮かべて内心怯えたが、必ず行くと約束した。  そのまま依依に押されて館内中央にあるエレベーターホールに向かった。車椅子だからしばらくエスカレーターは使えない。事務所への上り下りは自然とエレベーターだけになる。  退院前に、これから懸命にリハビリを頑張れば一年くらいで歩けるようになりますよ、一緒に頑張りましょうね――、と若い担当医が言った。  しかし俺はそんな温さでは困る、せめて三ヶ月だと主張し、その担当医は下手に口答えする事なくただ曖昧に笑って肩を竦めた。  事務所に戻ると部屋の設えが変わっていて面食らった。以前はドアから入ってすぐにソファーが二つ向かい合うよう配置され、その奥に窓ガラスを背にして俺のデスクがあった。  しかし今はソファーの位置こそ変わらないが、俺のデスクは壁際に追いやられ、窓の前には一回り小さなデスクが置かれていた。その上には二台のラップトップPCと小型タブレット、さらに三台の携帯電話が充電器に繋がれている。  部屋の右側にあってオフィススペースとプライベートエリアを仕切る衝立の出入り口に掛かっていた〈ゆ〉の暖簾はなくなり、代わりにザ・ローリングストーンズのシンボルマークである真っ赤な唇のタペストリーが飾られていた。  その唇の奥から真っ青な髪の色をした小娘が現れた。 「お帰り――。こっちさ、洗ってない汚い服とかいっぱいあってマジでキショかったから燃えるゴミの日に処分したからね」  そんな事は頼んでいないし、当然それはゴミではない――。けれども俺は言い返す事なく無言で降参した。  確かに田中亮からは当面、車椅子生活の間だけでもシオンを助手として雇うよう進言されていた。それを直接本人に打診してはいなかったが、テレパシーが通じたのか、あるいは田中が余計な事を言ったのか、そのどちらかだろう。……もしかしたら前者かもしれない。  俺は車椅子のタイヤを押して窓際に向かった。そして見慣れた景色――、灰色に煌めく新橋の街を眺めた。  先の事はまだ、何ひとつ決めていないし、今の俺は完全に燃え尽きた残り滓でしかない。  すべて終えれば北九州に帰ると決めて、今まで生きてきた。けれど気が付けばここ新橋の、今にも崩れ落ちそうな古びたビルの一室が、俺にとって最も居心地の良い場所になっていた。  それにこうやって迎え入れてくれる仲間もいるし、少しは――、そう、少しは誰かに必要とされている、そんな気分にもなれた。  だから俺は無駄な抵抗をやめて、運命の針に身を任せる事にしたのだ。  きっといつか自分を許せるようになる――。  そんな日が来る事を俺は心の底から願っている。  そして祈っている。 The End Or To Be Continued
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