149th-夢と現実の堺で

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149th-夢と現実の堺で

 溶けるように眠ることはなんて気持ちがいいんだろう。  どのくらい、廊下にいたのかわからない。  もう俺には何も見えないから。  ただ咳をするに伴ってソレが苦しそうに身体を折り曲げていたのは覚えている。  案外ソレも根性が無い。  死に際でもズルーを誑かしていたくらいなんだから、あれくらいの不調なんとも無いだろうに。  何も無い白い夢。  ただ全身が気持ちいい。  温かいお湯に身体が浸されているみたいに。  身体を苛んでいた冷たさが嘘みたいに心地よくて、俺はもう目を覚まさなくてもいいかなと思い始めていた。  ずっと死にたくなかった。  目の前で人が死んでいくのを見ながら、俺もあんな風に死んで何もなかったかのようになくなるのは嫌だった。  けどこんなに気持ちいいのなら、このまま消えていけるのならそれもいいのかもしれない。  もうつらい思いしなくていいんだと思ったら、夢の中なのにどっと眠気が増した。  このまま眠ってしまったらどうなるんだろう。  でも消えるのは怖い。  怖いのに、とっても気持ちいい。  もう何も考えなくて良いのかなって思うと少しだけどうでも良くなった。  そうだよ、このまま消えてしまえば良いじゃないか。  今なら怖くない。  このまま意識手放すだけで楽になれるなら、この心地良さが続くならそれでいい。  事の顛末を見届ける必要もない。  俺の身体で愛される誰かなんて存在しないんだ。  全部全部俺の悪い夢。  ここで眠れば全てを夢にしてしまえる。  全てを無かったことに。  いいこともいっぱいあったけど、ソレ以上に傷つける事の方が多かった。  起きていたらまた傷つくところを見てしまうかもしれない。  全部夢、眠ってしまえばもう悪いことなんておきない。  まだ村でいた頃、大樹の側で眠る心地良さを思い出す。  本当の俺はまだ村から出ていなくて、大樹の側で眠り続けているのかなって思えてきた。    そうだ、あんなのが俺の現実な筈無い。  今まで見たのはただの悪夢。  きっと土の精霊様の悪戯だ。  だとしたら、すごく手のこんだ夢を見たんだな俺。  ズルーの手の熱さ、一緒にいて欲しいと言われた時の喜び、すごく良く出来た夢。  ディープシーとのキスもすごく気持ちよかったな。  こんな風に溶けて身の全てを委ねてしまいたい気持ちよさがあった。  あのままついていって恋人同士になる選択肢もあったんだろうか。  俺はずっと選択を間違え続けて来たんじゃないのかな。  なんであんなにズルーにとらわれていたんだろう。    それが分からなくて、俺は眠りに付き付きかける。  夢の中で消えていく。    最初から全部無かった。  もうそれでいい。 「ジスト」  だから、俺の名前をもう誰も呼ばないでくれよ。  眠っていたいんだずっと。  ここから引きずり出さないで、また悪夢を見せないで。  どうせ、全て消える夢なんだから。  俺に何も掴ませないで欲しい。 「ジス君」  呼ばないでくれ、俺の名を。 「ジスト」  一層熱を帯びた声が俺の意識を呼び覚ます。  身体が押し上げられるのを感じた。  白い光が背中を抜けて遠のいていくのを感じる。  身体が自ら引き上げられたように、重くなっていく。  嫌だ、ここから出たくない。  このまま眠り続けていたい。  このまま、気持ちよさに包まれていたい。 「アメジスト」  力強い黒い手が、薄暗い明かりの中に俺を引きずり込む。  頼むから、起こさないで。  俺をこのままにしておいて。  けれど、その願いは虚しく俺の瞼は開かれた。
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