エピローグ

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 「いまは赤ちゃんの分の気持ちも、蛍里 の心の中にあるのだろうね。いつもより悲 しくなるのも、きっとそのせいだ」  「やっぱり、そうなんでしょうか?でも、 悲しくなるばかりじゃなくて、嬉しいと思 う気持ちも溢れてしまうんです。だから、 本を読んでもドラマを観ても、感情が行っ たり来たりで、忙しくて……」  お腹を眺めながら蛍里が肩を竦めると、 一久が可笑しそうに白い歯を見せる。その 笑みにほっとしていると、一久が思い出し たように言った。  「それはそうと……来週の結婚式は本当 に大丈夫なのかな。出版記念パーティーと 重なってしまったから、僕は行けないけど」  心配そうに蛍里の顔を覗き込む一久に、 大丈夫です、と頷く。  来週末は滝田と結子の結婚式に出席する のだ。だから安定期とは言え、長時間外出 するのは身体に負担がかかるのではないか と一久は心配している、のだけど……蛍里 は楽しみで仕方なかった。ドレスの試着や ブーケのセレクトなど、打ち合わせの度に 結子から相談のメールが写メ付きで届く。  それを見ていれば二人の幸せな様子が 伝わってくるし、自分も結婚式の準備に参 加しているような気分にもなる。結子が 選んだドレスは華やかなシルバーレースに 繊細な刺繍が施されたもので、落ち着いた 大人の雰囲気を持つ彼女にとても似合って いた。  「お医者様も大丈夫だと言ってくれたし、 式場までは拓也が送り迎えをしてくれるか ら心配いりません。私こそ、一久さんの晴 れの日に傍にいられなくて……」  「僕の方は何も気にしないで。会場は 立食パーティーだから、もともと蛍里を 同席させるつもりはなかったのだし」  とにかく、気を付けて行っておいでと 念を押す一久に笑みを返すと、蛍里はふと 庭の枳殻を見やった。  さわさわと、緩やかな初夏の風を受けて 緑の葉先が揺れている。  その手前には、少し色あせた物干し台が あり、洗濯物を干せば枳殻の緑がいっそう 眩しく見えることだろう。  「朝ごはんにしましょうか。お洗濯も、 しなきゃならないし」  そう言って立ち上がると、一久は小首を 傾げて見せた。その仕草を不思議に思って 蛍里は耳を澄ます。すると和室の向こう、 浴室の方から微かに、ごうんごうん、と 振動音が聞こえてくる。  「……もしかして、もう?」  「あと少しで止まるだろうから、一緒に 干そうか」  寝巻のままで隣に立ったその人に笑みを 返すと、二人は風光る空を見上げたのだった。                                 =完= *ごあいさつ*  この物語を最後までお読みいただき、 誠にありがとうございました。 「恋に焦がれて鳴く蝉よりも」の番外編 は、これですべて終わりです。蛍里と一久 の物語を応援してくださった読者様に、 心よりお礼申し上げます。  これからも心を込めて物語を執筆させて いただきますので、機会がありませたら ぜひお立ち寄りください。  橘 弥久莉
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