第三部:白いシャツの少年

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「受験当日は魔物が潜んでいる、と いうあれですか?天才的な頭脳と確固 たる自信を持った彼を前にすれば魔物 も尻尾を巻いて逃げてしまうでしょう。 それにしても、あなたのこんな笑顔は 初めて見ました。幼いころから彼を 知るからこその歓喜でしょうが、僕 としては少々妬けてしまいますね」  くつくつ、と揶揄うように笑いなが ら顔を覗く御堂に、千沙はぴたりと 表情を止め、目を逸らす。  T大合格の知らせに思わず感情を曝 け出してしまったが、普段はこの学園 を継ぐものとしての威厳を保つため、 毅然とした態度を貫いているのだ。  きっちりと七三に分けた前髪を黒 いヘアピンで留め、セルフフレーム のだて眼鏡をかけ、制服のように毎日 身に付けるスーツはたいがい無彩色。  シンプルな膝下のタイトスカート は、女性にしては長身で細身の千沙が 履くと、少々短めになってしまうのが 難点だけれど……この容貌から色気を 感じる男子生徒は、まずいない。  一部の生徒からは「堅物教師」とも 呼ばれているらしいけれど、いずれ 長となり、この学園の舵を取らなけ ればならないなら、それくらい堅い 印象を与えておいた方がいい。 ――と、千沙は思っている。  だから、御堂の前で素の自分を晒し てしまったのは、誤算だった。  動揺を隠すように眼鏡のフレームを 指先で抑えると、千沙は落ち着いた 声で言った。  「受け持ちの生徒が希望の大学に 受かったんです。“教師”として喜ぶ のは当たり前です」  すっかりいつもの調子に戻ってし まった千沙に御堂が首を振り、苦笑 いする。  「僕の前でそんな見え透いた嘘を つく必要はありませんよ、高山先生。 弟のように可愛がっている生徒が志 望校に受かったんですから。本当は 声を上げたいほど嬉しくて仕方ない でしょう?」  弟、というそのひと言にちくりと 胸の痛みを覚えながら、千沙は御堂を 見上げる。整った顔立ち、と言っても 可笑しくはない彼が、何かを探るよう に自分を見つめている。  果たして、「嬉しくて仕方ない」と いう言葉がいまの心情に当てはまるの か、千沙にはわからなかった。 ――また一歩、侑久が夢に近づく。  けれど、侑久が夢に近づくたびに 自分たちの距離はどんどん開いてしまう。    そんな風に思えば、心は大切なものを 失くしてしまったように、ぽっかりと 穴を開ける場所があった。  でも、そんなことは口が裂けても 言えない。言えるわけが、ない。  千沙は切なさを飲み込むと、ぎこち なく笑みを浮かべた。  「確かに、あなたの前でまで自分を 偽る必要はないですね。本当は…… 本当に嬉しいです。あの子が宇宙に 夢を抱いたときから、私はずっと傍 で見てきましたから。侑久はきっと、 夢を叶えるんだと思います。しっかり と自分の手で、意思で、夢を掴んで 無限の世界に飛び立ってゆくんだと」
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