第三部:白いシャツの少年

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第三部:白いシャツの少年

 分厚い遮光カーテンの影から外を覗く と、冷えたガラス窓の向こうにいつもと 変わらぬ光景が見える。  紺色のコートに身を包み、ぞろぞろと 校門へ向かう生徒たちの背中。夏休みを 境に部活動を引退した高三生たちは、 下校時間とともにほとんどが帰宅する。  だから、いま時分は遊歩道を歩く背中 が多く見えるのだが、その光景はなぜか 千沙の心を、ざわざわと落ち着かなくさ せた。  千沙は、ほぅ、と細く息を吐き出すと、 視線を向かい側にある本校舎に向けた。  僅かに目を凝らせば、二階の自習室の 窓の向こうに生徒の姿が見える。 ――その人影は二つ。  一つは千沙の妹であり、この学園の マドンナと称される高山智花(たかやまともか)、その人 のもので、もう一つは、千沙の幼馴染 みであり、この学園の知能と謳われる 蘇芳侑久(すおうたすく)のものだ。  その二人が肩を並べ、時折り言葉を 交わしながら勉強をしている。  「仲がいいな、本当に」  千沙はいままさに、青春を謳歌して いる二人の瑞々しい姿に目を細めると、 誰もいない歴史資料室を振り返った。  藤ノ森財団の会長である曾祖父がこの 地に学園を設立してから、100年が経つ。  歴史的地位の高い教育現場として、 また、難関大受験の盤石な礎としても 人気を誇る中高一貫校、藤ノ森英明学園(ふじのもりえいめいがくえん)。  千沙はこの学園の世界史の教師であ り、現理事長の長女だ。その千沙が由緒 ある学園の資料を展示した歴史資料室の 管理を任されたのは、この学園に着任し てすぐのことで。生徒はもちろん、近所 に住む同窓生さえも滅多に訪れることの ないこの場所が、千沙は気に入っていた。 ――ここは落ち着くのだ。  設立当時の模型や、震災、戦火を逃れ た史資料が展示されている展示室のほか に、小さな執務室も併設されている。  そこには展示しきれない資料の他に、 昭和の遺物に違いない木製のデスクが 置いてある。理事長の娘ということで 何かと気を遣われる職員室で仕事をする よりも、誰もいないこの執務室でひとり、 コツコツと作業をこなす方が千沙は気が 楽だった。  それに、ここからなら誰の目も気に せず、彼を盗み見ることができる。  そんなことを心の片隅で思いながら、 彼の姿を目で追うようになったのはい つだったか……。  千沙は教師として、決して抱いてはい けない想いに胸を焦がしながら、在りし 日の姿を思い起こした。    「ちぃ姉!捕まえたっ」  少し舌足らずにそう言いながら自分の 足にしがみつく侑久は、食べてしまいた くなるほど可愛かった。  千沙が小学五年生の時、斜め前に越し てきた7つ年下の幼馴染、蘇芳侑久。  同い年の智花がいたこともあり、侑久 とはすぐに家族ぐるみの付き合いとなっ た。だから幼馴染というよりも、弟のよ うな存在だったと思う。高山家の敷地は 広く、子供たちが駆け回るに十分な庭を、 千沙は緑色の風呂敷を首に巻き、怪盗29 面相に扮してよく遊んでやった。
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