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「だいぶん、感傷的になってるな……」
千沙はつい、物思いにふけてしまった
自分に自嘲の笑みを浮かべた。
こんな風に切なく思うのは、卒業の時
が刻々と近づいているからだ。年が明け
れば、受験本番を迎えた高三生はほとん
ど学校に来なくなるし、推薦で進路が決
まった生徒は卒業式まで登校しなくなる。
だからこうして、窓の向こうに彼の姿
を見ることもなくなる。そうなれば、
この歴史資料室に足を運ぶ楽しみも薄れ
てしまうのだろう。
それも致し方ないことなのだけど……。
千沙は自分ではどうすることもできな
い運命というものにため息をつきながら、
再びカーテンの影から自習室を覗いた。
けれど、そこに二人の姿はすでにな
く、がらんとした空っぽの部屋が見える。
自分が感傷に浸っている間に、自習を
終え帰宅したのだろう。
千沙は窓の隙間から流れてくる冷えた
風に背を伸ばすと、カーテンのタッセル
に手を掛けた。
――その時だった。
コンコン、と、開け放たれたままの
ドアがノックされ、千沙は振り返った。
入り口を見やれば、長身痩躯の男性
が何かの書類を手に立っている。
この学園の数学教師であり、いまは
千沙の恋人でもある、御堂弘光。
その人がうっすらと笑みを浮かべ、
自分を見つめていた。千沙はぎこちな
い笑みを返すと、自分に向かって歩い
てくるその人の名を呼んだ。
「御堂先生」
「やはり、隠れ家にいましたか」
「……隠れ家、ですか?」
「ええ。ここは高山先生お気に入り
の、隠れ家でしょう?職員室の、僕の
隣の席はいつも空っぽだ。あなたと話
をしたければ、ここに来るしかない。
もっとも、ここなら誰にも邪魔されず、
ゆっくり話が出来るので僕も気に入っ
ていますがね」
眼鏡の奥の目を細めると、御堂は
千沙の前に立ち、悠然と腕を組んだ。
――御堂弘光。
この数学教師と恋人と呼ばれる関係
になったのは、二カ月ほど前のことだ
った。彼は侑久の担任であり、千沙は
副担任なのだが、その間柄になったの
も実は同じころだ。
元々副担任を務めていた教師が産休
に入るタイミングで、千沙は代わりを
務めるよう父親に言われたのだった。
そうして一週間が過ぎたころ、この
配属には父の思惑が絡んでいたのだと
知らされる。
「いま近所の中華料理店にいるんだ
が、たまには一緒に飲まないか?」
休日の夕方。
自室でテストの採点をしていた千沙
は、携帯越しに媚びるような声でそう
言った父親に違和感を抱きつつも、
「行く」とひと言返事をして、行って
しまったのだった。
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