全力で走り出す瞬間

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 二階は衣類、寝具、それにおもちゃ売り場がある。お目当ては、おもちゃ売り場だ。  娘が最初に手にするおもちゃをどれにしようか、とここでも悩む。  おしゃぶりは癖になるというし、ガラガラは時代遅れな気がする。  さてどうしようか。  まだ生まれてもいないのに知育玩具なども見て回る。  赤ん坊のおもちゃは口に入れても大丈夫な素材でできているらしい。安全を証明するマークが入ったものが並んでいる。  柔らかいものや音が鳴るものが多い。  スマホを取り出し、写真を撮る。さらに見て回る。  いろいろ撮って今度の休みに妻にも相談しよう。そう思ったときだ。  これはなんだ? 見たこともないおもちゃが目に入った。  白一色のおもちゃだ。作りもシンプルでそれこそ赤ん坊の手のひらをかたどったものだった。  こんなおもちゃをいじってなにが楽しいのだろうか。  すぐ横に山積みされている盤ゲームの箱の上にスマホを置き、おもちゃを手に取った。  指で触れるとピンク色に変わる。強く握るとメロディが鳴り出した。  触れる位置によってメロディや色が変わる。赤ん坊の気持ちはわからないけれど、こういうおもちゃに小さな胸は感動をおぼえるのかもしれない。  ふと目を横にずらすと、隣にも同じように白一色のおもちゃがある。  どうやらシリーズのようだ。  ほおぉ。  珍しさから自然と感嘆の吐息を漏れる。  わ、すっげ。  いろいろいじってはメロディを鳴らす。  ふと視線を感じ、首をひねると、私より一回り上ぐらいのおばさんが二人、私のほうをジロジロ見ている。まるで変質者でも見るような目つきで。  私と目が合うと、あわてた様子で足早に通り過ぎた。遠ざかる背中に向かって、「もうすぐ生まれてくるんだよねぇ。女の子が」声に出してつぶやいてみたが、おばさんたちのでかい声にかき消される。 「そろそろよ」 「急がないと晩ごはんが遅くなっちゃう」  べつに聞くつもりはなかったが、丸聞こえで私の耳に届いた。  そうだ、晩ごはんだ。こうしてはいられない。  おばさんたちの背中を追う格好であとにつづく。ふたりが顔面を引きつらせて振り返ったので、急いで追い越した。  おばさんに用はない。それより惣菜はまだ残っているだろうか。鯛の刺身はまだあるだろうか。あれこれ悩んだ末、いったん保留していた選択をこの期に及んでまだ決めていなかった。  ふたたび一階に下りた。
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