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いつも通り一泊だけして姉妹揃ってそそくさと実家を後にした。
もう少しゆっくりしてけばいいのに、と言いつつも母は強く引き留めるわけではない。建前のような物だ。もうお人形遊びには飽き始めているから。
夕暮れを背に駅から自宅に向かっていたが、玄関を開ける頃には辺りは真っ暗になっていた。
背後で意外と大きい音で扉が閉まった。暗闇の部屋を眺めていれば、何かの動く気配にぎょっと後ずさる。
「・・・・・・マオ?」
慣れ始めた眼のおかげでぼんやりと相手を捉えることが出来た。目を凝らして見れば、確かにそこにいたのはマオだった。
「どうしたの? 電気わかんなかった? ここ押すんだよ」
明るくなった室内で、スイッチを指さして伝える。前に一度言っただけだったので、もしかしたら忘れてしまったのかもと思ったのだ。
「はづき・・・・・・?」
「うん、どうしたの?」
どこか虚ろでぼんやりした赤い双眸が、段々と焦点を葉月にしぼる。
「夜なのに、お前が部屋にいなかったから・・・・・・さめてしまったのかと思った」
「今日はご飯作ってないけど・・・・・・お腹すいたの?」
マオがふるふると頭を揺らす。どうにも普段と様子が違う。しかし、原因が思い当たらなかった。
「メモ残したんだけど、よく考えたらマオの世界とは文字が違ったかもね。よく考えればよかった」
「気づかなかった」
「真っ暗じゃ気づかないよね」
テーブルに置いたままの紙切れを折りたたんでゴミ箱に放り込む。葉月の一挙一動を、マオはなぞるように眼で追いかけていた。
「あ、そうだ。マオにさこれ買って来たんだよね」
寝室に置いたままの袋を渡せば、首を傾げてマオが戸惑いがちに受け取る。
「うちにいる間ぐらいさ、ゆっくりしても良いんじゃないかなって。この服ならゆっくりできるかなって」
「服・・・・・・?」
「そう。部屋着」
きょとりと瞬く眼が自分の手元を見下ろす。「へやぎ」と繰り返すどこか辿々しい口調に、葉月の頬が緩む。
「着てみてよ。せっかく来たんだし、今日からうちにいる間はそれね」
ほらほら、と背中を押して寝室に突っ込む。慌てたように短い声を発していたが、葉月は構わず扉を閉めた。そうすれば、マオは素直に着替えるとわかっているからだ。
案の定、扉を一枚隔てた隣室からは衣擦れの音が微かに届く。
テレビでもつけようかと思ったが、どうにも気分が乗らない。
実家で散々見たせいだ。流れてくる正月の特番を三人で流し見た。大して面白くもないところで大げさに反応しては時間を埋めていく。無意味で、苦痛で、息苦しい時間。
しかし、そうしないと更に息の詰まる沈黙か母からの話題が提供されると知っているから、葉月はテレビに目を釘付けにしていちいちリアクションを声に出さなくてはならない。
奈葉は我関せずと茶請けに手を伸ばしていた。葉月だけが、あの空間で一人必死になっていた。
「あ~~・・・・・・」
意味もなく声を吐き出してみる。溜まったものが、幾分か軽くなった気がした。
「葉月」
「あ、マオ着替え終わった?」
「これでいいのか?」
がらりと開いた部屋の先で、少しぼたついたスウェットに身を包んだマオが佇んでいた。
上下共にグレーのスウェットは、近所のスーパーのレジ横に置いてあったものだ。上下セットで千円足らず。しかも裏起毛で暖かい。冬のパジャマに困っていた葉月は、ほぼ即決で紺色を手に取った。そして隣に置かれた色違いのグレー見て逡巡。そして数秒でもう一つぽんとカゴに放り込んだのだ。
なんの変哲もない無地のスウェットだ。家で着るには楽で良いが、これで外に出る気にはならない。そんな微妙なダサさを兼ね備えた機能性のみを重視したスウェットの上に、マオの上品な美貌がちょこんと乗っかっていた。いつもよりも幼く見える。
なんともアンバランスだ。それなのに美しさは少しも損なわれていない。むしろ、普段の近寄りがたい美しさが和らぎ、可愛らしいという新たな一面を醸し出しているのだから恐ろしい。
「ふ、ふふ・・・・・・まじか、すご」
ふへっと息が漏れて、崩れるように膝を抱えてしゃがみ込んだ。驚いたマオがぱたぱたと葉月の横に屈んだ。
「ど、どうした、葉月?」
「ふへへ、かわ、かわいい・・・・・・マオ、かわいすぎ」
「葉月? 泣いてるのか?」
動揺したマオには悪いが、今はそちらに構う余裕がなかった。口元は無様に歪んだ笑いをなんとか保っているが、どうしてか眼から滲んだ涙が止まってはくれない。
少しずつ自身の膝が濡れていく。それでも、顔を見られるよりはマシだった。
「まおが、可愛いから、泣いちゃった・・・・・・可愛いんだもん、ほんと反則」
「な、なんだそれ・・・・・・本当に大丈夫か? また、星の欠片持ってくるか?」
なんだそれ。もしかしてマオは、葉月が星の欠片で泣き止むと思っているのか。
「は、葉月!?」
このままどこかに行かれてはたまらないと、葉月は手を彷徨わせてたどり着いたマオの手を掴んだ。ぎょっとマオが声を上げて身体を強ばらせる。
「いい。いいから、ここにいて」
それだけでいい。別に星の欠片が好きなわけじゃない。マオがくれるから嬉しいだけだ。
自分でもどうして泣いてるのかなんてわからない。ただ、マオの姿を見ていたら、さっきまで何も感じなかった心が急に活動を始めたのだ。
停止していた間の虚しさが一気に押し寄せてくる。それでも、目の前にはいつもと変わらぬマオの姿があって、色々と感情が溢れかえってその混ぜ合わさった激情が涙となって表面に出てきている。
「ふ、うぅ~~・・・・・・」
唸るように喉を鳴らし、ぐりぐりと自分の膝頭に眼を擦り付ける。
震えるマオの手が、まるで離せと訴えているようで腹が立った。震えすら押さえ込むように、葉月は更に力を強めてその細く皮膚の薄い手に指を回していた。
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