二話

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「料理のレパートリー増やすか?」  スーパーの野菜売り場で葉月はぽつりとそう漏らした。 「今まで料理しなかったからな・・・・・・」  出来合いのものを買ってきたり、先日のようにラーメンだったり温めたパスタソースをかけるだけだったりと、簡単なものしか作れない。  家を出るまでほとんど料理をしたことがなかったからだろう。家事はほとんど母がしていた。母がいないときは姉である奈葉が。 「奈葉、お願いね」  仕事やらで家を出るとき、母は必ずそう言った。それは子供を気遣う母子の会話のようで、言外に葉月にはやるなと言っていた。  葉月にやらせる必要はないから。 「ありがとうございました~」 背後で店員の声を聞き流して外に出る。途端に冷気に襲われる。 「さっむ」  マフラーに顔を埋める。結局野菜をいくつかと豚肉を買った。最終的に野菜炒めになる未来しか見えないが、何かネットでレシピを漁ってみよう。  十月までは残暑で暑いぐらいだった。なのに、下旬から十一月にかけて一気に気温が下がった。 「秋はどこいったんだかな~」  ほっと吐いた息が白くなる。寒いのは得意ではないが、この瞬間を見るのは好きだった。 「ただいま~」  一人暮らしでも玄関をくぐるとつい口から出てしまう。  コートを掛け、買ったものを冷蔵庫にしまってからすることは一つ。 ――ガチャ、パタン 「ここでもない」  トイレ、風呂・・・・・・と順に家の中にある扉を開けていく。どこも異常はない。 「今日は繋がってないのかな」  いや、まだ安心は出来ない。時間が経てば繋がる可能性もあるのだから。  異世界の魔王との不思議な邂逅から一ヶ月。すでに葉月は片手の数ほどあの魔王さまと食事を共にしていた。  何度か繰り返してわかったことだが、向こうと繋がるのに場所や日時は関係ないらしい。最初の二回がそうだったせいで、金曜日にクローゼットの開け閉めにだけ気をつけていれば良いと思い込んでいた。  三回目は風呂の扉だった。二回目の邂逅であり、初めて食事を共にした金曜日の翌日だった。  ちょうど葉月が風呂を上がって髪を乾かしていたときだ。急に視界に映り込んできた美しい尊顔に葉月がひっくり返った。  何度か呼んだそうだが、葉月はドライヤーと自身の鼻歌で気づかなかったらしい。そのため顔をのぞき込んだと供述していた。  そのときに改めて自己紹介をし直した。と言っても、葉月は名前を告げただけだし、彼に至っては「魔王だ」の一言しかなかったが。 「名前はないんですか?」  葉月の問いに魔王は難しい顔をした。不躾に訊いてしまったと即座に撤回する。 「名はあるが、言いたくない」  絞り出したそれに、葉月は頷くしかなかった。  それからだ、こちらとあちらが繋がったときは二人で一緒に食事を取るようになったのは。 呼び名に困ったので魔王のことは「マオ」と呼んでいる。 マオはちょっと不服そうだったが、あいにくと葉月にネーミングセンスはない。考えたところで良いものが浮かぶとは思えなかったので、安直にいかせてもらった。 「お風呂済ませちゃお」  扉の確認を終えていそいそと準備に取りかかる。いつ入れなくなるかわからないから本当に不便だ。 先日買った新しい入浴剤を入れる。途端にゆずとはちみつの穏やかな柑橘系の香りが漂う。 「髪の毛伸びてきたな・・・・・・」  顔のラインに沿うように切りそろえたはずの髪は、もう肩につくまで伸びた。葉月はこれまでの人生で髪を長く伸ばしたことがない。  幼い頃は葉月の意思など関係なく髪型は決められていたし、葉月の持つ勝手なイメージだが、長髪は面倒が多そうだからと、家を出てからも変わらずショートカットのままだった。  髪を洗うのも乾かすのも楽。微動だにせずに寝ているからか髪質のせいか、寝癖もほとんどついたことがなく、セットで時間をかけたこともない。 「お姉ちゃんがずっと長い髪で大変そうだったからな・・・・・・美容室予約しとこ」  今回も例に漏れずショートヘアのままにするつもりだ。風呂の縁で腕を置き、ぐったりと頭をおいてくつろぐ。 「マオの髪は私なんかよりもっと真っ直ぐでさらさらだったな」  夜空よりも深く漆黒を宿す髪は、一本一本は細くそして艶やかだ。魔王はシャンプーにまで気を遣っているのだろうか。  あの顔の良さを持つ人物だ。むしろ何もせずともあれを持ち得ているのかもしれない。  身体が冷える前にさっさと水分を拭き取ってスウェットに着替える。腹がしきりに食べ物を欲していた。 「今日は焼き魚と味噌汁でいいや」  味噌汁はインスタントなので、葉月が調理するのは魚だけである。 洗濯機を回して冷蔵庫に手をかける。まずはビールかな、などと頭の中で算段を立てているとき――。 「葉月」 「ひょお!? あ、マオ・・・・・・来てたんだ」 窺うような声で呼ばれ心臓が飛び出るかと思った。まだばくばくしている。 「すまない、驚かせた」 表情の乏しい美しい貌は、全くすまなさそうには感じなかったが、顔の圧によって頷くしかなくなる。 「あ、ご飯これからだけど食べる?」 「いいのか?」 「もちろん」  すると、こくりとマオの頭が動いて、静かな動きでテーブル脇に丁寧に正座する。食事が出てくるまでの「待て」の姿勢だ。 「じゃあ、さっさと魚焼いちゃうね」  鮭の切り身が二つ入ったパックを買っておいてよかった。下味もついているので、焼くだけで良い。  クッキングシートをフライパンに敷いて切り身を乗せる。後は様子を見ながら火が通るのを待つだけだ。  出来合いの惣菜生活に比べれば、随分と進歩したものである。 (今度お姉ちゃんに簡単にできる料理でも訊くかな・・・・・・)  裏返したら少し焦げが目につくが、まあ及第点だろう。  テーブルに鮭を持って行けば、マオは興味深そうにじっと見下ろしている。手早くインスタントの味噌汁を作ってご飯を盛った。マオの方は少し多めに山を作る。  この二人の夕飯がスタートしてから食器が足りないことに気づいたので、安物だが昨日買いそろえた。 自身の前に置かれたご飯と味噌汁の茶碗に気づいたマオが、赤い瞳を瞬かせた。葉月の胸にこそばゆさが走る。 次いで、葉月を見た赤から逃れるように、「いただきます!」とさっさと食事をはじめた。 「葉月、これは」 「なに? 早く食べなよ、冷めるよ」 「ああ・・・・・・」  マオは箸を随分と優しい手つきで持ち上げた。両手の指を添えるように持ち、そして隅々まで見渡すとほっと息を零すように囁く。 「・・・・・・ありがとう」  返事はしなかった。ほとんど聞こえないようなそんな小さいものだったからだ。聞かせる気がないとでもいうようなつい漏れてしまった感謝の言葉に、照れ臭さが勝ったのだ。  まだ覚束ない手つきでマオが魚をつついている。 「骨があるから気をつけてね。小さくわけて食べなよ」 「うん」  ちまちまと、お上品な食べ方で鮭や白米が消えていく。何かに安心するように、あふれる感情を噛みしめるように、大事に大事に食べるその姿を見ていると、やっぱりレパートリー増やそう、なんて似合わないことを思ってしまうのだ。 「マオって食べるの好きだよね」 「・・・・・・食べる必要が無くなってから、食事にどれだけの幸福を貰っていたのか知った」 「前は普通に食べてたんだ」 「ああ」  肯定だけで返された。踏み込みづらい。  多分、これ以上は訊いてくれるなと線を引かれた。 「これ、鮭って魚なんだよ」 「俺の世界にも魚はいるが、さけというのはいなかった」 「へ~どんなのがいるの?」  葉月には聞き馴染みのない言葉を、マオは一生懸命思い出して一つずつ並べていく。二十を超えたあたりから、考える時間が多くなったのでそこで葉月が止めにかかる。 「見た目はそんなに変わんないのかな」  スマホで「魚」と検索した画像の一覧を見せれば、初めは不思議そうにスマホを眺めていたマオは「大体こんな感じ」と大雑把な返しをした。 「ふ、ふふ、こんな感じか」 「一部はそれに羽があったり、鋭い牙を持って人を食うのがいるが形自体はそんなものだ」 「待って、全然私の知ってる魚じゃない」  首をかしげたマオに、やっぱり住んでる世界が違うんだな、と葉月は肩を落として遠い目をした。
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