三話

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 葉月の小さな願いを、神様は叶えてくれたらしい。次にマオが現れたのは、大晦日の前の晩だった。  普段よりもどこか落ち着きのないマオに、前回の言葉を覚えていてくれたことに気づく。服を探すようにマオが顔を動かすので、葉月はタンスにしまっていた服を一式取り出した。 「はい。今日は一日早いけど一緒にお蕎麦食べよっか」 「そば・・・・・・?」 「前に食べたうどんの種類違いみたいな感じ。明日で今年が終わるから、年を越すときにはお蕎麦を食べる習慣があるんだよ」 「そうなのか」  渡した服が、随分と優しい手つきで抱え込まれた。 「マオのところでは年の変わり目とかに何かするの?」 「家族で集まって、一緒に食事をする。一年を無事に過ごせたことと、次の一年をまたみんなで過ごせるようにと・・・・・・」  細まった瞳は、その光景を懐かしんでいるようであり、どこか苦しさを感じた。 (家族と何かあったのかな・・・・・・)  魔王に家族はいるのだろうか、という疑問は葉月の中にはなかった。今まで見てきた彼があまりにも葉月たち人と変わらない様子を見ていたからだろう。  マオが人とは違う生物だと理解していても、彼の中にある人間味に家族、もしくはそれに近い優しい誰かがいたのだということは簡単に想像が出来た。 「私は年越しはいつも一人だからさ、マオがいてくれてよかったよ」 「お前は、家族は・・・・・・」 「離れたところにお母さんとお姉ちゃんがいるよ。みんなそれぞれ暮らしてる。年が明けたら一回顔は見せに行くんだ。だから、もしかしたら私がいないときもあるかも」 「そうか。楽しんでこい」 「・・・・・・うん」  楽しめる、ということはきっとない。けれど、マオの気持ちを粗末に扱うようなことも出来なかった。  着替えておいでよ、と背中を押して葉月の寝室に押し込める。 「着方がわからなかったら言ってね」 「わかった」  襖越しに衣擦れの音が聞こえる。 なんだか居たたまれない。いけないことをしている気分になる。いや、聞き耳を立てているのだから悪いことなのか。 テレビでもつければ良い。そうすれば賑やかになって気にもしなくなる。そうは思っても、身体が石になったみたいで動かなかった。 自分の全神経が耳に集中していることに恥を感じて顔が熱くなった。 「葉月」 「は、ひゃい」 「これは・・・・・・これであっているのだろうか・・・・・・?」  隙間からひょこりと頭を出していたマオが、少しずつその姿を露わにする。 (やっぱり、思った通りよく似合うじゃん)  藍色の鮮やかなニットセーターと、黒いデニムパンツ。白いシャツの襟元には、金色のカラーチップがつけられていて、適度にフォーマルで堅すぎない印象になっている。  この上に薄いベージュのハーフコートを着れば、また違った味を感じるだろう。 「シャツの裾はセーターから見えててもいいかも」  セーターをめくってパンツからシャツを引き出せば、マオがびくりと腰を揺らした。多分、驚いたが葉月が服を直していて距離を取れなかったのだと思う。 「ふふ、似合ってる。どこか苦しくない? サイズとか大丈夫かな・・・・・・?」 「特に問題はない、と思う」 「動かしにくいとかない?」  そう訊けば、マオは腕を回したり首を動かしてみる。 「ない」  どうやら大丈夫だったらしい。とりあえず一安心だ。 「外に出るときはこの帽子被ってね。角があるのがばれたらちょっとまずいから」 「気をつける」  キャスケットを被せれば、マオは神妙な顔で頷く。あまり気負わないで欲しいが、気をつけるに越したことはない。 「とりあえず外に出たら私のそばを離れない、言うことは必ず訊く。オッケー?」 「おっけーだ」  すっかり陽は沈み込んで夜の真っ只中だが、葉月の心境としては朝一番に陽光を浴びたような清々しさがあった。 (夜に出かけるのって、違ったドキドキがあるよね)  どうやら緊張しているらしい己の身体を、靴を履くときの合間にトントンとつま先をたたき叱咤する。 「じゃあ、行こっか。そんなに距離はないから大丈夫だと思う」 「ああ」  葉月が玄関を開けて外に出る。ドアノブを持ったまま視線だけでマオを促した。大して広くもない玄関のたたきを、マオがじりじりと数歩かけて渡る。  そして、ついにマオのつま先が玄関の敷居を跨ぐとき。 「え・・・・・・」  トン、と弾かれるようにマオの足が中に押し戻された。もう一度やっても同じ。  今度は宙に浮かせた足を、探るようにつま先を動かして距離を詰めていけば、ちょうど敷居の真上ほどで何かに突き当たった。 「これは・・・・・・」  そして、今度はその位置を両手で触れて見せた。 外にいる葉月と中にいるマオの間には何も存在しない。しかし、そこには透明な壁が立ちはだかっており、マオが外に出ることを拒んでいた。 「え、なに・・・・・・? どういうこと?」  葉月が手を伸ばしてみてもそこには何もない。試しにマオの手を引いてみたが、ある一点に差し掛かると、マオの手だけが何かに弾かれる。 「なんで」 「・・・・・・どうやら、俺はこの世界では葉月の部屋の中でしか活動できないらしい」 「そんなことある!?」  ショックと驚きと少しの怒りで声を上げた葉月に、マオはしょうがないと首を振った。 「こうして俺がここにいること自体がまずあり得ないことだ。何があっても不思議ではないさ」 「そうだけど・・・・・・そんなぁ」  ここまで来てそれはないじゃないか。嘆いたところで、この見えない壁がどいてくれるわけでもない。  けっとむしゃくしゃした気持ちをぶつけるように軽く足を曲げて蹴り込んでみるが、どうやっても葉月はそれに触れることは出来ない。 「すまない、葉月」 「えっ?」 「せっかく服まで見繕って貰ったというのに・・・・・・無駄な金を使わせてしまった」  どこか力なさげにマオはうっすらと笑った。 ――寂しい、どうしよう、諦め、申し訳ない。  大きくは変わらないマオの表情だが、その分、彼の美しい紅玉の瞳は雄弁に語る。 「普段から俺の分まで食事の準備をしているだろう。本当はずっと止めなくてはと思っていた。俺のこの身体は食事をしなくても生きていけるのだから、無駄な気を遣わせてはならないと・・・・・・」  さっきまでマオの頭に深く被されていたキャスケットが外される。すまないと彼の頭が下がった。絹のような黒い髪がさらさらと揺れる。その姿が、今はひどく腹立たしい。 (ずっと、ずっとそんなことを・・・・・・) ――そんなことを思いながら、あんたは私と食事をしてたの?  シャツの襟ぐりを掴み、自分の方に引き上げた。背後でドアが閉まる。  されるがままに顔を上げさせられたマオは、目を白黒させて葉月を見ている。紅玉に映る自分は、表情をなくして瞳孔が開いていた。 「なにそれ、なんなの? なんの謝罪なの」 「っ、今までお前に気を遣わせていたことを」 「だから、それが何でなのって言ってんの。私が好きでやってんの。あんたが一回でも飯を用意しろなんて言った? 全部私からでしょ? なのに、なんであんたが頭下げんのよ」  頭が圧縮されたように重く感じて、何も考えられない。痛む胸からそのまま言葉が零れ出て行く。 ――ふざけんな、ふざけんなふざけんな・・・・・・ 「私だけなの? 楽しみにしてたのも、もっと美味しいの食べさせてあげたいって思ったのも、もっと喜ばせたいって思ったのも、全部、ぜんぶ・・・・・・私だけだったって言うの?」 ――ねえ、マオ  最後に呼んだ彼の名は、悲痛さからか掠れていた。葉月の眼前で呆ける美しい男の輪郭がぼやけた。  勢いのままに喋ったせいか、一段落すればじわじわと熱が下がり、葉月の頭に冷静さが戻ってくる。  それによって腕から力が抜け、支えを失ったマオの身体がふらついた。 「謝んないでよ・・・・・・」  そんなことをされれば、私が虚しくなる。  突き放された気分に陥る。楽しんでいたのも、喜んでいたのも、舞い上がっていたのも自分だけだったのだと実感させられてしまう。  堪えきれなかった一粒だけがぽろっと落ちて慌てて拭う。情けなくて俯いてしまった。 「は、葉月・・・・・・」  おろおろとマオの戸惑う気配がする。マオの両手が、葉月に触れるか迷うように揺れる。 (よく考えたら手も隠さなきゃ駄目だったな)  と、もうマオと外に出ることは出来ないと知っているくせに反射的にそう思ってしまった。  本当なら、葉月にだってマオの心情も理解は出来るのだ。  もし葉月がマオの立場だったなら・・・・・・。  たまたま繋がってしまった先の世界で出会った相手に、毎度会うごとに食事を貰うだけの関係。常識的な思考を持つものなら、その回数が重ねていくごとに、心にもやがかかる。  いつも相手にばかり尽くさせてしまっていると。苦労や面倒をかけていると思ってしまう。  わかる。わかっているのに――。 (でも、それをマオの口で言われるとすごく悲しかった)  マオからしたら、この葉月の感情はきっと理不尽な怒りだ。大きな声で、責めるように彼にまくし立ててしまった。 「ごめん、まお。急に怒鳴ったりして・・・・・・困るよね・・・・・・」 「いや、はづき・・・・・・」  もごもごと言いよどむマオの様子に、自己嫌悪が募る。なんであんなに感情のままに動いてしまったのか。呆れられたかもしれない。怒らせたかもしれない。  ひらりと黒と赤のマントが視界を舞った。マオが翻すように背中を向けたからだ。そのまま葉月の寝室の方に消えていく。 ――帰るんだ。  サッと血の気が引いた。もつれる足を踏み出して後を追う。しかし、マオがクローゼットに消えていく姿を目に留めることしか出来なかった。  フローリングにへたり込む。猛烈な後悔だけが胸に残った。 「マオ・・・・・・?」  受け取る者のいない呼びかけだけが部屋に取り残された。  もう、彼には会えないということだけがありありと葉月の頭に残される。 「まお、マオ」 「なんだ」 「ぁえ?」  あるはずのない声に、葉月の声帯が誤作動を起こした。 「なんで・・・・・・?」  座り込んだ葉月の前に、マオがいた。急いで戻ってきたのか僅かに焦燥の滲む表情で、葉月を訝しげに見下ろしている。 「何かあったのか?」 「いや、だってマオ、向こうに帰ったんじゃないの?」 「確かに一度戻ったが?」 「えっ?」  ここで葉月は頭を傾げた。どこか食い違っている。  「帰る」という言葉の重みが、葉月とマオの間で異なっているのだ。 「な、何しに帰ったの?」 「これを取ってきていた」  そう言ってマオが差し出した手は拳を作っていて、その中にあるものを葉月に渡そうとしているらしい。掌を上に向けるようにして両手を差し出す。途端にマオの手から力が抜けて、コロンと親指大ほどのキラキラした宝石のような何かが転がり出てきた。 「星の欠片だ」 「ほしのかけら・・・・・・?」  葉月は宝石には詳しくはないが、多分こういうものをいうんじゃないだろうか。透き通っていて、照明をきらりと反射して葉月の瞳に光をさしてくる。  そして、不思議なことに星の欠片を囲うように光の輪が輝いているのだ。 「向こうでは、時折夜空から星の欠片が降ってくる。大概は空中で燃え尽きでしまうが、稀に形を残したまま地上まで落ちてくるものがいる。薄黄色から橙色までの暖色の色素を持ち、透明度によっても価値が変わる。コレクターもいるほどで、特に薄らと黄色に色づいた月と同じ色は価値も高い」  早口な説明をぽかんと聞き入って再び自身の手に目を落とす。 ――ということは、これはとても価値のあるものなのでは?  光の輪が少しずつ光量を減らしていき、最後にはパッと細かい粒子となって消えた。すると星の欠片本来の色がよく見える。  葉月の手元にある欠片は、白に近い眩さを持つ黄色だ。 (月って白っぽい黄色だよね・・・・・・? まって、じゃあこれ一体いくらなの!?)  自分の両手でそんな高価なものを持っている事実に震える。どうにか落とさないように力を込めてマオに差し出すが、彼は葉月の意図を汲み取ってはくれない。 「な、なんでこんなものを私に?」 「・・・・・・それは、詫びに」 「詫び・・・・・・?」  まさか、ここまで来て今までの謝罪だと宣うのだろうか。  さっきは後悔に苛まれていたくせに、また面と向かって言われれば腹が立つ。さっきのことがあったから、まだ冷静に胸中だけでおさめられている。  しかし、押し黙った葉月の気配を察したマオが慌てて言葉を訂正した。 「いや、詫びというか、その対価としてだな」 「対価」 「やはり、食事やら色々と用意して貰うだけなのは気が引けるので、その代わりに何か渡せればと思ったのだが・・・・・・あちらの金貨はこちらでは使えないだろうと思って・・・・・・」 「だから、星の欠片を・・・・・・!?」 「あ、ああ・・・・・・気に入らなかったか?」  心配そうにしょんぼりと眉の下がったマオが葉月を見下ろす。 「私のために、わざわざ取ってきてくれたの?」 「あ、ああ。その、きらきらして綺麗だから葉月も喜んでくれるかと思って・・・・・・」 ――やはり、別のものが良かったか?  その言葉に葉月はふるふると首を左右に動かして否定した。  そういうことなら、素直に受け取っておこう。それでこれからも気兼ねなく二人の時間が過ごせるのなら。 「うれしい。でも、そんなに高いものじゃなくても良いよ。逆にこっちが気が引けちゃうし、私の作ったご飯じゃ釣り合わないもん」 「違う。釣り合わないのはこちらの方だ。こんな、物に代えられるようなものではない」  これしか渡せないのが口惜しいと、マオは苦悶の表情で低く呟いた。 「俺ばかりが貰ってばかりだ。それなのに、俺が与えたのは傷と痛みとこの星の欠片だけ。到底足りない」  葉月の腕――今はまっさらな肌を見て、マオは痛むように顔を歪めた。初めて出会ったときのあの傷を、彼はずっと悔やんでいたのだろう。  傷も残っていないあの時のことを、ずっとずっと気にしていたのだ。  葉月など、とうに忘れていたというのに。  あの時もそうだった。傷を受けたのは葉月だというのに、怖い思いをしたのも葉月なのに、それなのに葉月よりもマオの方がずっと痛みと恐怖に怯えていた。 「マオ・・・・・・」  葉月の知るお話の中の魔王とはあまりに似つかない臆病で優しい人。 「お蕎麦、家にもあるからさ・・・・・・一緒に食べよう?」  もしかしたら、別の世界だから大人しいだけなのかもしれない。あちらでは、お話の中の魔王みたいに人々に残虐を強いたりしているのだろうか。 (そんなことあるわけないか・・・・・・)  彼のことを、葉月は名前すら知らない。  魔王だと言うけれど、彼自身を表す名前がないわけではない。それならば、名を訊かれて頑なに拒否する理由がない。名がないのなら、そう言えば良いだけだから。  何も知らないけれど、知っていることもある。  ご飯を食べるときに、口元と目が穏やかに緩むこと。あちらに帰るとき、どこか名残惜しげなこと。葉月が台所にいるとき、じっとその背中を見ていること。  そして、そのどれもが遠くの何かを懐かしんでいるからだと、葉月は知っていた。  こくりと頷いた黒髪に、葉月は微笑んでリビングに誘う。  歓喜の中に混じる寂しさに気づかぬふりをして、手の中の星の欠片を握りしめた。  ――いつか、いつかでいいから。 (あなたのその表情の理由が知れたらいいな・・・・・・)  心の中で、ひっそりとそう願うことぐらいはきっと許されると思う。 「大きい声出してごめんね」 「いや、元々俺が怒らせたのがいけないから気にするな」  鍋を火にかけて、沸騰するのを待つ。いつもは座っているマオが台所まで付いてきたので沸騰したら教えてね、と告げて葉月は一度部屋に戻った。  アクセサリー用の小瓶で一つ空きがあったはずだ。それを引き出しから取り出して、星の欠片をしまう。  透明な瓶の中で薄らと黄色く発色する欠片を見て、葉月はゆっくりと蓋をした。
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