三話

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 こつりと靴底が冷ややかな石の床面と触れて音を立てた。途端にひんやりとしたものがマオの肌を、心を撫でていく。  はっと短く息が零れた。  そこには、未練、諦念、哀感・・・・・・様々な感情が込められ、最後には表情のない顔で窓の外を見やった。  窓枠の形に切り取られた空を、一筋の光が横切った。それを目にした瞬間、マオは無駄に大きな窓から外に飛び出ていた。  冷えた夜の空気を裂くように、マオはその光の通った道を辿るように飛んでいた。真っ暗な世界の中には、己しか存在しないようなそんな気分が襲う。  極寒の地でも凍えて死ぬことのない身体が震えた。  そんなマオの頭に蘇ったのは小さな部屋だ。マオが住む城の一部屋分で全てが入り込んでしまうほどの小さな家は、あの城にはない暖かさがあった。  狭いはずなのに、その家でマオが閉塞感を覚えたことはなく、身体から力が抜けていく安堵の感覚は、随分と久しいものだった。  マオを呼ぶ声、不思議な箱から流れる賑やかな人の声や音楽たち。手作りの料理。  己が長く忘れていたものを呼び起こし、そして新しく塗り替えられていく感覚。  これは一時の儚い夢だとマオはよく理解していた。  そう行かずに地面に降り立つ。吐いた息が白くにごった。  当たりをぐるりと見渡してみるが、目的の物は見当たらない。 「やはり、消えてしまったか」  元々、形が残ること自体珍しいものだ。致し方ない。それでも、諦め悪く範囲を変えてじっと地面を見下ろしていれば、暗い視界が小さな光を捉えた。 「あった・・・・・・」  葉月に渡した物よりも随分と小さく、小指の爪ほどしかない。色は濃い黄色で、水泡が入ったようにぷつぷつと小さな丸いものが入り込んでいる。  マオが指でつまめば途端に星の欠片は黒く変色し、最後には炭のようにぼろっと崩れて塵になった。  星の欠片とは星の命の灯火――それらが欠けて落ちた物だ。生命の輝きに魔の力が触れれば、命を奪ってしまう。  当然のことだ。それなのに、何故か胸に落胆が過る。  葉月に渡す時は、マオが直接触れないように欠片の周囲に守護を巡らせていたから無事だった。あれだって魔の力が流れないように制御するには骨が折れた。  今だって手元に置きたかったのなら、そうするべきだった。なのに、どうして変な希望を見てしまったのだろう。  諦めたはずなのに、なぜまた手を伸ばそうとしてしまったのか。 ――マオ  己を呼ぶ声が、耳の奥で木霊する。  あれは夢の世界だからだ。だから、マオは触れることが出来る。そうでなければ、己が誰かに触れるなどありえない。あり得てはいけない。  冷たく、命の気配のない寂しい場所がマオの本来のいるべき場所なのだ。  あの時に、全て諦めた。 ――それなのに、 「どうして思い出してしまうのだろう・・・・・・」  欠片として残る物は少なくとも、流れ星自体は珍しくはない。それなのに、目に入った途端に身体が飛び出すほど、心が揺れてしまった。  冷たい石で出来た見た目だけが豪勢な張りぼての城。石の牢屋でひっそりとその時が来ることを待つだけだった時間が、変わっていく。欲が顔を出す。 「あと、少しだけ・・・・・・繋がってくれているうちは」  いつ途絶えるともしれないものだ。もう次はないかもしれない。だから、それまでは。  それまでは、短い夢に浸っていたいと、そう願ってしまう。  真っ暗な夜空には星の瞬きも感じない。乾いた地面の上で、マオは随分と長い間立ち尽くしていた。
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