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8話 人を信じる心
「よっ!隆人!」
「うおっ!?……って、なんだ。今日はお前か」
次の日の朝、俺は学校へ歩を進めていると未來に勢いよく声をかけられた。
「"お前"じゃない、"未來"」
「何度もうるさい」
「ねぇ、なんで名前で呼んでくれないの?名前で呼ぶことなんて、容易いものでしょ?少なくとも、絆を救うことをよりかはずっと」
俺は未來のその言葉に一瞬言葉を詰まらせる。
「……俺にだって理由があるんだ、察してくれ」
「……ねぇ、その理由を教えてはくれないの?」
その問いに俺は、
「……今は、無理だ」
そう返した。
「そっか。じゃあ待ってるよ、いつか言ってくれることを信じて」
「助かる」
「ううん。私も、辛い過去を問い詰めちゃってごめんね」
俺はその言葉に目を見開く。
「……なんで、辛い過去だってわかるんだ?」
「だって……」
未來はそう置くと、哀しげに微笑んで言った。
「隆人の顔、すごく苦しそうなんだもん」
瞬間、俺の心臓が飛び跳ねる。
未來の声には、心配の色が滲み出ていた。
「……ごめん。心配かけて」
「大丈夫。そんなときは周りよりも、自分を心配してあげるの。大丈夫か?自分って。そうすれば、気持ちがいくつか楽になるから」
その声に、いくつか救われたような気がした。
「……ありがとう」
俺は、静かにそう告げる。
「……昨日は絆だったんでしょ?」
「あぁ」
「……どう、上手くいきそう?」
未來はさっきとは打って変わった不安げな声で俺に訊ねてくる。
「昨日で絆の気持ちは理解できた。」
「そうなの!?だったら!」
「待て」
俺は未來が催促しようとしていることを察し、静止をかけた。
「……なんで?」
「少なくとも、これは俺から言うことじゃない。お前が絆本人から聞くべきことだ」
「……そっか。そうだね」
「お前の聞きたい気持ちもわかる。絆がどう感じていたか、どんな気持ちでいたか。でも、こればっかりは俺の口からは言えない。知ることよりも、聞くことに意味があるんだ」
「……わかった」
未來は瞳に決意の色を浮かべながら首肯した。
「聞くよ、私。絆から直接__」
未來と絆は、普段は時間をずらして登校しているらしい。
昨日だけ絆のほうが先に家を出たが、いつもは未來が先に家を出ているという。
今日も未來のほうが先に家を出てきた、だから、ここで待っていれば絆が登校してくる。
未來がそう言ったので、俺らは校門をくぐってすぐのところで絆を待っていた。
俺は、ふと未來のほうに視線を向ける。
「……緊張してるんだな」
「うっ……」
未來の身体は明らかにガチガチに固まっている。
そして緊張ゆえか、一点を感情のない目でずっと見続けていた。
「……しょうがないじゃない。こうやって絆にちゃんと向き合って話をするのは久々なんだから」
「俺は別に緊張していることを咎めているんじゃない。……少し、微笑ましくてな」
俺は口元を緩める。
「微笑ましい部分なんて何もないじゃない……」
未來が項垂れる様子を見て、更に口角が上がる。
「……絆は、こんな姉を持てて幸せだな」
俺がそう言うと、未來は顔をほんのり赤らめた。
その姿が不意に可愛く思えてしまって、俺の心臓が高鳴り、顔が熱くなってしまう。
「……隆人、本当に丸くなったよね」
「未來のお陰なんだぞ?」
「私の……?」
未來は首を傾げた。
「お前じゃなかったら、俺はこんなに心を開けてねぇよ」
「……それって」
未來はそう言いかけて、それ以来口を開かなくなってしまった。
俺はそれが気にかかり未来のほうへ視線を向ける。
そこには、顔を真っ赤に染め上げた未来がいた。
なんだ、なにか変なことを言っただろうか?
俺は自分の言った言葉を頭の中で反芻していく。
「……あっ!?」
失言だ。
「いや、今のは別にそう意味で言ったんじゃなくて……とにかく!お前が思ってるような気は全くねぇよ!」
「えぇーなんだ。期待してたのになぁ。隆人が私に惚れたって」
未來は顔に赤色を残して、頬を膨らませる。
「うるさい。ほら、目当ての人が来たぞ」
俺はそう言って羞恥から目をそらすように校門に視線を移す。
未來は俺の声に、再び身体を固まらせた。
校門をくぐってきたのは、斎藤絆だった。
絆は俺達を視認すると、驚いたような表情を見せてこちらに向かってきた。
「隆人くんと……お姉ちゃん」
絆は俺達の前まで来ると、そう言葉をこぼした。
「絆」
未來は優しい声で言う。
「……何?」
絆は不満げに、そして訝しげに俺達のほうを見た。
未來は何かを言おうとして口を開くが、なかなか言葉が出てこなかった。
不安なのだろう。
自分が言うことに、絆がどう反応してくるかが。
怖いのだろう。
自分の言葉一つで、絆が遠くに行ってしまうかもしれないと感じて。
「……何もないの?っていうか、なんで隆人くんがお姉ちゃんと一緒にいるの?」
絆はそう言って、俺のほうに視線を向けた。
「俺か?未來が絆に言いたいことがあるからって。俺はその付き添いだ」
「ふぅん……で?私に言いたいことって何?」
絆は何か言いたげに俺のことを見つめると、再度未來に視線を移した。
「それは……その」
「何?」
絆が未來の言葉を催促する。
その姿は、完全に未來を敵対視しているようだった。
俺は若干の焦りを感じながらも、絆と未來のやり取りを見守る。
「……今まで、絆はどう思ってたのかなって」
不安げに未來は言った。
「どう思ってる?」
絆は苛つきを隠すことなくその言葉を反芻させる。
「教えてほしいの。絆が今までどんな気持ちでいたか、私と接してきて何を感じたか」
「何よ、いきなり」
絆は未來の言動に戸惑う様子を見せる。
「……私は、今まで絆に酷いことばかり言ってきた。それは全部絆のためだと思って接してきたけど、間違いだったことに気づいた」
「何よ……何……?」
絆は両手で頭を抑えて一歩後ずさる。
「わからないの、絆にどう接していけばいいのか。だから教えて?私はどうしたらいい?」
訴えるように未來は言葉を紡ぐ。
「……そんなの、自分で考えてよ」
ぼそりと、絆は言った。
「考えた!貴女のことをたくさん!でもわからないの!だから教えて……私は貴女を……」
「うるさい!!」
未來の言葉を遮るように絆は叫ぶ。
未來はその声に大きく一回、身体を震わせた。
「なんなのいきなり。昨日、一昨日までは私に冷たくしてて、急に今日優しくなってさ!……意味がわからない。お姉ちゃんは私の気持ちも知らないで、そうやって私のことを考えてるのも結局自己満足でしょ!?だから答えが出ないのよ!」
「違う!私は!」
「もういい!!……お姉ちゃんなんか……お姉ちゃんなんか……」
そうして叫ぶ。
二人の仲を引き裂く、決定的な一言を。
「お姉ちゃんなんか、大っ嫌いっ!!!」
「あっ……」
気づいたときには、もう遅かった。
絆はどこかに走り去って言ってしまった。
やってしまった。
まだ早かった。
後悔が俺を一気に襲う。
そんな中、未來はコンクリートが敷かれた地面にへたり込んでいた。
顔を覆い、嗚咽を抑えこんでいる。
「未來!」
俺は未來の前に膝をつき、未來の肩に手を置いた。
「しっかりしろ!」
「しっかりしろ!?できる訳ないじゃない!もう全て終わったの!全部失敗したの!私は……私は……!」
わなわなと肩を震わせる未來。
俺は、そんな未來を優しく抱きしめた。
「えっ……」
急な出来事に驚く未來に、俺は囁く。
「……お前は、こんなところで終わっていいのか?このまま、絆を手放していいのか?」
「そんなの……」
一拍を開けて、未來は叫ぶ。
「嫌に決まってるじゃない!」
「だったら!」
俺はそう叫んで、未来から離れる。
肩に手を置いたまま、俺は優しく囁く。
「手を退けて」
未來は俺の声に素直に反応した。
手を退けて、その顔をあらわにする。
目は充血して、頬は涙で濡れていた。
しゃくり上げながら、縋るような瞳で俺を見つめる未來に、俺は静かに訴えかける。
「お前がそんな顔してたら、絆はどこへ帰ったらいい?」
俺のその一言に、未來は大きく目を見開く。
「お前は帰ってきて欲しいんだろ?絆に」
静かに頷く未來に、俺は微笑んで言った。
「だったら、笑顔でいるんだ」
「……笑顔?」
未來がそうつぶやくと、俺は笑みをより一層強めて、今一度未來を抱きしめた。
「大丈夫だ。お前は何も心配しなくていい。絆は俺が絶対救ってみせる。ただ、最後に絆を、お前が受け入れてやってくれ。お前が絆の居場所になってやるんだ」
俺はそう言って、未來の弱々しい瞳に自分の姿を見せる。
「できるな?」
未來は俺の言葉に、顔をくしゃくしゃにさせながら頷いた。
そんな未來の頭に手を置いて、
「その意気だ」
優しく微笑んだ。
「俺は絆を説得してくる。未來は……」
俺はそう言いかけて、
「……じゃあ」
そう言葉を置き、未來にあることを告げた。
「絆!」
そうして俺は中庭に来ていた。
そこには、俺に背を向けている絆がいた。
「こないで!」
絆の悲痛な叫び声が中庭に響く。
「なんであいつを突き放したんだ!俺はあいつを拒否しないでくれと言った!それなのになんで……!」
「信じられないの!隆人くんやお姉ちゃんの言葉が!……信じたくても、信じられない」
絆のその言葉に、俺の心臓は一回、大きく反応した。
「信じようと努力した!隆人くんの言葉だって、お姉ちゃんの言葉だって……でも、気づいたらお姉ちゃんを突き放してた!……身体が信じることを拒否したの!……私は、それだけの過去を持ってる」
意味ありげにそう付け足す絆。
そう言うってことは、そういうことだろう。
絆の意図を感じ取った俺は、今まで避けてきたことを口にする。
「……その過去ってのはなんだ」
俺が静かにそうこぼすと、絆はゆっくりと踵を返す。
その顔は、涙で濡れていた。
目が充血しているその姿は、自然と未來を彷彿とさせた。
「……私の両親は離婚したって、だから再婚して、私にお姉ちゃんができたって言ったよね?」
震える声で絆は話し始める。
「あぁ」
「その離婚の原因ね……お父さんの不倫だったの。お父さんとお母さんは、私が生まれたときからすごく仲がよかった。そんなお父さんとお母さんが、私は大好きだった。」
絆は遠い目で虚空を見つめる。
きっと、楽しかった頃の両親との思い出を、再び思い出しているのだろう。
でもその姿も束の間、絆は顔をしかめた。
「けど、お父さんの不倫が発覚してから、私の家族は離れ離れになった。お父さんは不倫相手と何処かへ行っちゃうし、お母さんはそんなお父さんを想ってずっと涙を流してたけど、ある日人が変わったように嬉しそうな目で私に再婚することを話したの」
話し続けて乾いた口を唾液で湿らせ、絆は再び口を開く。
「愛していたはずの人を、そんな簡単に捨てきれるはずがない。そうして私は思っちゃうの。本当は愛していなかったんじゃないかって。あのときの思い出は偽物なんじゃないかって」
そうして俯かせていた視線を俺に向けると、絆は縋るような瞳で言った。
「だから私は、人を信じることができない。もう、どうしようもないの!!」
絆が叫んだその時、俺は思わず舌打ちをした。
チャイムが鳴った。
1時限目を報せるチャイムだ。
直に教師達が俺らを探しに来るだろう。
焦りを感じながらも、俺は必死に説得の言葉を探す。
「……チャイム鳴ったから、私、教室戻るね。隆人くんも早く戻ったほうがいいよ」
そう言って、俺の横を通り過ぎていく絆。
「そうやってまた逃げるのか」
静かにつぶやくと、後ろで歩く音が消えた。
「お前はそうやって、また人を信じることから逃げるのかよ」
俺は振り向いて、絆に声をぶつける。
「お前は独りになりたいのかよ!お前が望んだのは、本当にそんな未来かよ!!」
精一杯叫ぶことに必死で、俺は吐き終えると酸素を貪った。
そうして待つ。
ただひたすらに。
絆が自分で答えを出すまで、俺はただ待ち続けた。
……何分経っただろうか。
どんよりとした重苦しい沈黙の中、焦りと緊張を俺が必死に抑え込んでいると、やがて絆が沈黙を破る。
「……違う」
最初は小さな声だった。
けどその声は、いつしか俺の心を震わせるような叫び声へと変わっていく。
「違う……違う、違う!」
そして後ろを向いていた絆は、俺に今にも崩れそうな瞳を見せつけて、言った。
「もう、周りから人がいなくなるのは嫌っ!!私は、もう独りになりたくないっ!!」
それは、意思だった。
初めて"独りになりたくない"と叫ぶ絆を目の当たりにして、俺は優しく微笑んだ。
「……それが聞ければ十分だ」
そうして俺は"あいつ"がいるであろう茂みに向かって言った。
「おい。あとは"お前"の仕事だぞ」
俺がそう言うと、"そいつ"は姿を現す。
「えっ……」
驚きを隠せない絆に、"未來"が歩み寄る。
「お姉ちゃ……」
絆が言葉を言い終える前に、未來は絆を抱きしめた。
「……ごめんね。今までずっと辛い思いをさせて。私、絆が独りが嫌なこと、気付けなかった」
震える声で、嗚咽を抑え込む未來。
そんな未來の声を耳にしたからか、絆も未來の背中に腕を回し、涙をこぼし始める。
「……ううん。私のほうこそ、今までお姉ちゃんを拒んでごめんなさい。私、お姉ちゃんの優しさを信じることができなくて……」
「大丈夫。もう大丈夫。だって、お姉ちゃんは絆の味方だから。お姉ちゃんは絆の居場所だから。絆は……もう独りじゃないから」
「お姉ちゃん……」
そうして二人は泣いた。
今まで心にこびりついていた粘着質の不安を、涙で洗い流すかのように。
俺は二人の様子を、唇に笑みを浮かべながら眺めていた。
「おい!そこで何やってるんだ!」
後方から俺ら以外の別の声が響く。
教師達が来ちまったか。
俺は未來と絆のところへ行って、
「お前らはそこで待ってろ」
そう小さな声でつぶやき、教師達を説得しに向かうのだった。
……ったく。
最後まで、世話の焼ける奴らだ__
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