4人が本棚に入れています
本棚に追加
2話 安心、そして……
「……お前って、料理できるんだな」
「何よその言い草は」
未來は素早くツッコミを入れてくる。
現在俺は、テーブルに置かれている未來の料理に目が吸い寄せられていた。
未來が作る料理はがっつりと和食だった。
白飯はもちろん、玉ねぎや人参、わかめなどが入った具沢山の味噌汁、脇にちょこっと添えてあるきんぴらごぼう。
そしてなんと言っても今日の目玉は、真ん中に鎮座し、いかにも出来たてを表すようにもくもくと湯気を立てている肉じゃがだ。
疲れている身体に和食はぴったりである。
優しい味で、身体の疲れを溶かしてくれる。
まぁ、その全ては作り手である未來にかかっているのだが。
キッチンの方から声を上げた未來は、後片付けが終わったのかハンカチで手を拭きながらリビングへと戻ってきた。
「いや、お前って料理出来なさそうだったから、料理を作るって言って何かとんでもないものを食べさせられるのかと……俺の晩ご飯を託して後悔してたところだったから」
「貴方は一体私をなんだと思ってるの……他人に食べさせられるものが作れないって分かってたら、そもそもあんな提案なんてしてないよ。私そんなに馬鹿じゃないし」
そう言って未來は俺の向かいの席に座る。
「……まぁ、それもそうか」
「口に合うかどうかは分からないけど、少なくとも不味くはないと思うよ」
「じゃあ、ひとまずは安心して食べれそう……か?」
「なんでそこで疑問形になるのよ……そんなに気になるんだったら一口食べてみたら?」
「言われずともそうするつもりだ」
俺は食い気味にそう言って、橋を手に取り合掌する。
「いただきます」
「……はい、どーぞ」
「なんだその間は」
「いや、なんかここまで行儀よく挨拶されると、ちょっと面白くなってね」
未來はそう言うと、我慢の限界を迎えたかのように口に手を当てくすくすと笑い始めた。
「勝手に面白がってろ」
吐き捨てると、俺はまず味噌汁に手を伸ばし、お椀を持って、ゆっくり口に流し込んでいく。
舌先に味噌汁が触れたその瞬間、俺は目を見張った。
来るインパクトは味噌だが、それを昆布の出汁が柔らかく包み込み、味噌にあるはずの棘を消し、極めて心地よく口全体に広がっていく。
味噌の濃さも俺にとっては丁度よく、出汁の香りは優しく鼻腔を突き抜けていく。
「……これは」
思わずそうつぶやいてしまう。
「どう?」
「ちょっと待ってくれ」
未來が俺に感想を求めてくるが、俺はそれを後回しにし、次に味噌汁の具材を口にする。
玉ねぎや人参などの野菜たちからは、まるで自分の個性を主張するように味が出てきていて、味噌や出汁の風味がそれを邪魔していない。
わかめも咀嚼を楽しませてくれている。
たっぷり1分間ほど味噌汁を味わって、口の中が落ち着いたところで一言。
「……上手いな」
「ほんと!?良かった〜頑張って作った甲斐があったよ」
未來は満面の笑みを顔に浮かべる。
そんな未來を尻目に、俺は次にきんぴらごぼうに箸を持っていき、口に含む。
俺にとってきんぴらごぼうは辛いイメージがあったが、このきんぴらごぼうは甘かった。
ごぼうの歯ごたえがいいアクセントになっている。
そしてこれは……
俺はきんぴらごぼうが口に残っているうちに、白飯を口に放り込んだ。
「……やっぱりな」
「おっ、何が?」
未來は俺のつぶやきにわくわくしているようだ。
そんな思いに応えるように、俺は口を開く。
「お前、このきんぴらごぼうはご飯に合うようにわざと濃く味付けしただろ?」
「当たり!よく分かったね!」
未來は人並みにはある胸の前で手を合わせた。
パチン!と、小気味いい音が鳴り響く。
「これくらいすぐ分かる……それじゃあ、最後はこれだな」
そう言いながら俺は肉じゃがに手を伸ばし、口にいれた。
じゃがいもは歯を必要としないほどに柔らかく、肉の存在感もまた、じゃがいもを邪魔しない絶妙な立ち位置にいる。
具材こそシンプルだが、一つの料理の中で二つの食材が織り成す安心感のある味に、俺は舌鼓を打った。
この安心感は、以前母さんの肉じゃがを食べた時と全く同じものだった。
あの時の情景、味がフラッシュバックする。
……ふと食の世界から現実へ戻ってくると、未來は自分の作った料理を食べもせず、テーブルに肘をつき、ただ俺をガン見していた。
「食べないのか?」
俺は思わず問い質す。
「食べるよ。食べるけど、貴方があまりにも美味しそうに食べてくれるから、なんか見惚れちゃって」
未來の顔には、引き続き笑みが浮かんでいた。
「食べないんだったら、俺が全部食べるぞ」
「あっ!待って!私の分!」
未來は焦りながら箸を手に取り、料理を口の中に放り込んだ。
「……ご馳走様」
「お粗末様でした」
食べ終わる頃には、身体の疲れは既に溶けきっていた。
本当に身体に疲れが溜まっていたのかと錯覚してしまう。
さっきまで未來に向けていた心の牙も、食事を介したことですっかり引っ込んでしまった。
「食器は俺が片付けるよ。流石にそこまでお前にはやらせられない」
「そう?じゃあお言葉に甘えるとして……」
未來はそこまで言うと、急に不機嫌そうな顔を見せた。
「お前じゃない。私にはちゃんと"斎藤未來"っていう名前がついてるの。だからちゃんと名前で呼んで」
「はぁ?別にお前のことをなんて呼ぼうが俺の勝手だろ?だから俺はお前のことを"お前"って呼ばせてもらう」
「勝手じゃない!貴方にはちゃんと"未來"って呼んで欲しいの!」
駄々をこねる未來に、俺はため息をつく。
「お前、傍から見たらただのメンヘラだぞ?」
「メンヘラじゃないもん!」
「そういう奴に限ってメンヘラなんだよ。いいから黙って座ってテレビでも見てろ。俺は食器を片付けてくる」
俺はそう言ってキッチンに向かった。
未來の喚き声を背に受けながら。
「お前、こんな時間までここにいて大丈夫なのか?流石に親が心配すると思うんだが」
俺は後片付けを終えたあと、未來に尋ねていた。
時刻は7時半。
普通の家庭なら、もうそろそろ子供の帰りが気になってくる時間帯だ。
「お前じゃないのに……まぁ、いいのいいの。ちょっと前に連絡したし、うち結構放任主義だし」
「というか、俺がそろそろ帰って欲しいんだが」
「えぇ〜もうちょっといいでしょ?あと少しで家に帰るから!お願い!」
顔の前で手を合わせ、お願いしてくる未來。
俺はため息をつきながら、
「……しょうがねぇな。少しだけだぞ」
その声に反応するように、未來の顔に明るく花が咲いた。
「ありがとう!」
そう言って、未來はソファに腰を下ろした。
そして間もなく未來は思いついたように、
「あっ!それじゃあ……」
そうつぶやいて俺の目の前に立ち、両腕を前に広げるようにして出した。
「何してるんだ?」
俺が訝しんでいると、未來はいきなりこんなことを言い出した。
「見て分からない?ほら、"ぎゅー"だよ」
「……はぁ?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「な、なんで俺がお前なんかに、ぎ、ぎゅーしなくちゃならねぇんだよ」
急な出来事に声が上ずってしまう。
「ほら、私の料理美味しかったでしょ?」
「……まぁ、そりゃな」
「私は隆人に美味しいって言って欲しくて一生懸命作ったんだよ?」
「……だから?」
「だから、ご褒美!」
未來はそう言って、再度両腕を突き出してくる。
頬をほんのりと赤く色付け、目をキラキラさせるその姿は、まるで幼児が親におねだりをするかのようだった。
いや、童顔などの容姿も相まって、完全に幼児のそれである。
「……ダメだ」
俺は拒否をする。
「なんでダメなの?」
「ダメだからだ」
「理由になってないんだけど……」
困惑する未來。
いや、困惑したいのは俺の方なんだが。
「ほら、隆人はさっきみたく『しょうがねぇな』って言って大人しく私とぎゅーすればいいの!」
「これはしょうがねぇじゃ済まないだろ!」
「いいから早く!ほらもう腕疲れてきちゃった!」
「なんでしなくちゃいけねぇんだよ……」
俺はため息をつくと、腰に手をやる。
「一回だけだからな。これ終わって次はもうねぇからな」
「わかった!わかったから早く!」
急かす未來を見据えながら、俺は意を決する。
こいつに思い入れなければいいだけの話だ。
このハグはあくまで動作だ。
作業だ。
それ以上のことはないし、なんならそれ以下まである。
俺は心の中でそう唱えつつ、未來の背中に両腕を回した。
俺と未來の間がゼロ距離になる。
その瞬間、ふわっと甘い香りが鼻腔を満たしていった。
けど、嫌な香りじゃなかった。
この香りは間違いない。
未来の香りだ。
柔軟剤の香りではない。
どこか嗅ぎ心地があり、安心感のある優しい香り。
その香りで、俺の脳みそは溶けそうになってしまう。
「……んぅ」
未來の安心しきった声が聞こえると同時に、未來はあろうことか俺の肩に顎を乗せた。
「い……!」
そんな情けない声が口から漏れ出てしまう。
「どうかした?」
「お前……顎乗せてくるなよ」
「別にいいでしょ?」
「良くな……い……」
俺がセリフをつき終わる前に未來は今度、首に顔をうずめてきた。
「隆人の匂いだ……」
俺はその言葉に眉をひそめながらも、それを無視する。
心臓の鼓動はまるで未來に聞こえているのではないかと錯覚するほど強くなった。
「なぁ、もういいだろ?早く離れてくれ」
「や。もうちょっと」
「勘弁してくれよ……」
そうして俺らの"ぎゅー"はまだ続く。
下手をすれば腕に力を入れてしまいそうになるが、俺はそれをなんとか抑える。
なぜなら、このまま力を入れてしまえば、未來が壊れてしまうからだ。
言い過ぎかもしれないが、そう表現しても差し支えないくらいには未來の身体はものすごく華奢だった。
しかし、その華奢な体躯はそれに見合わない力で俺のことを抱きしめてくる。
けど、それはただ力強く抱きしめているのではなく、どこか温かい、幸せな気持ちにさせた。
そして、未來のこのぬくもりは、俺に安心を与えてくれる。
あまりの気持ちよさに一瞬我を忘れてしまいそうになるが、俺はなんとか頭を働かせ、絞り出すように言い、
「……もう限界だ。離れてくれ」
白旗を上げた。
完敗だった。
このままでいたら、俺は俺の原型を失ってしまうような、全てが溶けてしまうような、そんな危機を感じた。
「えぇー、もうちょっとこのままが良かったんだけどなぁ」
そう言いながらも離れる未來。
俺は即座に未來に背を向ける。
「どうしたの?」
「話しかけるな」
「ねぇ。もしかして隆人、恥ずかしがってるの?」
未來のにやけ顔が頭に浮かんだ。
「……うるさい」
俺の声を聞くや否や、またくすくすと笑い出す未來。
「ありがとう。私のわがままを聞いてくれて」
それは、感謝だった。
声だけでわかる。
嘘偽りない、透き通るまでの純粋な感謝。
未來は、俺に初めて感謝をした。
いろんな人から感謝される出来事が今まであったが、未來からの感謝は、なぜか全く違うもののように感じられた。
……その一言で、俺は救われたような気がした。
そしてそれがなんだかまた小っ恥ずかしくなってしまって、
「あぁ」
そう返すことしか出来なかった。
最初のコメントを投稿しよう!