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5話 お願い
『隆人には、絆を救ってあげて欲しいの』
そんな未來の声が脳裏に響く。
絆が未來に勝負を仕掛けた次の日。
俺は学校へと歩を進める中で、昨日の未來との会話を思い出していた。
「……俺が、絆を救う?」
俺は目を細めて頭に疑問符を浮かべる。
「こういうのは、他人に頼まないものだって……私がやるべきことだって、分かってる。でも、さっきの私たちの会話を見たでしょ?私が何を言ったって、結局のところ絆には届かない」
未來の声に、どんどん覇気がなくなっていく。
「何度だって声をかけた。何度だって私は絆を救おうとした。だって、あのままだったらきっと、絆はこれからを楽しく生きることなんてできない。だから私は、何度拒絶されても諦めずに絆に心を開き続けた。……でも私の声は、私の想いは……あの子に届くことはなかった」
「だから、俺を頼るしかなかったと」
「絆に勝負をけしかけられた時に、隆人の声なら絆に届くと……救ってくれると思った」
「……」
「利用してるみたいで本当に悪いと思ってる。今回隆人は被害者で、その被害がどれくらい酷いものかも重々承知しているつもり。……でも、今あの子を救えるのは、隆人しかいないの」
「……」
「お願い、あの子を救ってあげて」
弱々しい声が、屋上をかすかに揺らした。
社会一般的に見れば未來は今、ほとんどの奴らにこう見えていることだろう。
図々しい奴だと。
俺に迷惑を被り、さらに未來は私的に俺を利用しようとしている。
そんな、ただの害悪だと。
俺もそう感じたので、その旨を口に出すことにした。
「……俺に迷惑をかけておいて、挙句の果てには俺を利用するのか?くだらない。寝言は寝て言え」
俺のその声に、未來の顔は歪む。
必死に堪えているのだろう。
ここで自分が泣くのは場違いだと。
いや、弱い自分を否定しようとしているのかもしれない。
愛する妹を守るために、自分が強く在らなければいけないと、そう感じて。
俺は未來の歪んだ顔を数秒間見つめたあと、我慢出来ずにこうこぼした。
「……なんて、今までの俺だったら言えてただろうな」
「……えっ?」
震えた声で未來は反応する。
「一日。たった一日だったけど、されど一日。俺には、そう思えるほどに充実した一日を、昨日過ごすことができた。」
高校に上がってからこんなに心を開ける人間と出会ったのは初めてだ。
また、トラウマへ歩んでいってしまうかもしれないという恐怖もあったが、今はそれ以上にこいつのことを救ってやりたかった。
「そして、昨日お前と接していくうちに、多少なりとも俺の、お前への見方が変わった。あんな酷い言葉を吐き捨てられるほど、俺の中のお前の存在は小さくなかった。ただ勘違いするな。あくまで他人から……友達になっただけだ。お前になんか惚れちゃいない。」
「……友達になれただけでも十分な進歩だよ」
そう言って、未來は微笑む。
頬に伝うものを拭いながら。
「とにかく、俺はお前に力を貸す。お前が今までずっと苦しんできたのも、絆が今苦しんでいるのもよく分かった。俺が絆を救ってみせる。絆のためにも……お前のためにも」
俺は決意を目に秘めながら宣言する。
「……うん!」
未來は大きく頷いた。
……俺は弱い生き物だと、つくづくそう感じる。
自分の心を修羅に出来ず、困っていたり、弱っていたりしている奴がどうしても目に止まってしまう。
そして最終的に、俺はそいつに手を差し伸べてしまう。
そうすれば、自分が苦しくなるのは目に見えているのに。
未來がここまで弱っている姿を見たのは初めてだった。
当たり前だ。
まだたった一日しか一緒に過ごしてない上に、未來はそう易々と他人に弱い所を見せる奴ではない。
さっきだって、妹の絆の前ではこんなに悩んでいる姿を見せることはなかった。
でも未來は、俺になら弱いところを見せてもいいと、そう思っているが故に涙まで見せた。
俺にならと……そう信頼してくれているから。
未來にとって唯一の頼みの綱は俺だ。
俺が失敗すれば、絆だって未來だって救われやしない。
もちろん、俺だってそんな結末を迎えるのはごめんだ。
全員が幸せになるために、俺がやるしかない。
……そうやって考えている時点で、俺はもう手遅れなのかもしれないな。
俺が未來の見方を変えてしまった昨日から、歯車はきっと狂い始めている。
きっとそうなのだろう。
でも、ここまで来てしまったらもう引き返すことはできない。
俺がトラウマを起こさないように上手く立ち回るのと、未來がそういう奴じゃないことを信じるしかない。
「……そういえば」
「どうしたの?」
未來は俺のつぶやきに首を傾げる。
「お前は絆のことを大事に思ってるんだろ?だったらなんで絆のことを突き放すような真似をしたんだ?」
俺がそう問いかけると、未來はまた寂しそうに笑みを浮かべた。
「……元々私を嫌っていた絆には、この接し方のほうが楽かなって思ったから」
「なんでそう思うのか教えてくれるか?」
俺の問いに未來は頷くと、ゆっくりと口を開いた。
「私が変に優しく接するよりかは、ああやって接したほうが、絆が私に関わりやすいと思った。日々の何気ないところでストレスを感じている絆に、少しでもそのストレスを私にぶつけて欲しいと思って……だからああやって接することにしたの」
「……そのストレスの原因が、お前にあると言ったら?」
「えっ?」
「絆は自分に味方がいないから、頼れる人がいないから、そうやってお前に強く当たってるんじゃないのか?」
「それは……」
未來は次の言葉が出て来ずに言い淀む。
「……絆はきっと、誰かに助けて欲しいのかもしれない。日常の中で、頼れる人が欲しいのかもしれない。そう考えてみたらどうだ?」
「……私がやっていたことは、絆にとってマイナスでしかない」
「もちろんお前が考えたプラスの部分も少なからず絆にはあるんだろう。でも、俺は明らかに俺の言ったマイナスの部分が大きいと思う。絆とはあまり話したことはないが、そんな気がする」
「もしかしたらそうなのかもしれないね。バカだなぁ私。絆の心もまともに考えてあげられてないなんて」
乾いた笑いが未來の口から漏れる。
「お前の気持ちも分かるし、俺の憶測が正しいのかどうかも分からないから、一概にそうとも言えない。ただひとつ言えることは……まだどうとでもなるってことだ。案外あいつも強がってるだけかもしれないぞ?」
俺はそう言って、未來に微笑みかけた。
「……そうだね」
未來の弱々しい声が脳裏をかすめる。
相当思い悩んでいる様子だった。
あれだけ笑顔で接してくれていた未來が、まさかあんな悩みを抱えているとは思いもしなかった。
このまま放っておいたら、いつかあいつは壊れてしまっていただろう。
あいつは天才そうに見えて馬鹿だから。
だから周りに迷惑をかけたくなくて、自分の首を絞めて、最後まで独りで背負ってしまう。
あいつが壊れる前に俺に頼ってくれて本当によかった。
ただその理論でいくと、『あいつが俺を頼ったということ』が『あいつはもうすでに限界まで来ていること』の裏返しになる。
この件には、早急に方を付けなくてはいけない。
……頑張るか。
他人のために動くのは、高校に上がってから初めてだ。
上手くいくかどうかはわからないが、やるしかないんだ。
俺は自分自身を鼓舞する。
そうして俯かせていた顔を正面に向けると、誰かが俺の腕に抱きついてきた。
「隆人くん!」
そんな声とともに。
「うおっ!?」
俺は驚きの声を上げ、抱きついてきた奴に視線を送る。
「……なんだ、今日は絆か」
「おはよう、隆人くん」
「おはよう」
……斎藤絆。
俺や未來の一歳年下で、未來と同じく高スペックな少女だ。
茶髪のロングボブは太陽の光に照らされて綺麗に光っている。
ちゃんと手入れされていることが見て伺えた。
二重まぶたの大きい萩色の瞳は、姉と同じくそこだけを見ると外国人に間違われてしまうだろう。
……なんだ?未來と絆はどっちもハーフなのか?
まるでカラーコンタクトをつけたように、二人とも綺麗な色のした瞳を持っていた。
顔のバランスも姉に匹敵するほどだったが、系統の違うバランスの良さだった。
上手く言い表せないが、未來が姉という顔立ちをしていて、それに比べ絆は、まだあどけなさが残る妹のような顔立ちをしていた。
まぁ、結局どちらとも世間一般的に見れば可愛い部類に入るということだ。
運動能力や成績も優秀らしく、その噂は2年で友達のいなかった俺の耳にまで入ってくる程だった。
「……っていうか、なんで今日はなの?もしかして昨日はお姉ちゃんだったりしたの?」
恨めしそうな顔で俺のことを見つめてくる絆。
「んなわけないだろ。勘繰りすぎだ。」
「本当かなぁ」
「というか、その話は別に関係ないだろ?お前は今、現在俺を落としに来てる」
これ以上迫られたら言い逃れできないため、俺はさりげなく話題をすり替える。
「言い方は乱暴だけど、まぁ一応そういうことになるね。お姉ちゃんよりも先に隆人くんを惚れさせて、私のものにする」
「本人の前でそんなことを堂々と言っていいのか?本来なら俺の見えないところでそうやって勝負するもんだろ?」
「いいの別に。結局のところ、隆人くんにこのことが知られたって私のやることは変わらないし」
「というか、なんでそんな『勝負』をあいつにふっかけたりなんかしたんだ?俺を奪うだけの理由なら、わざわざそんなことをしなくてもいいはずだ」
作戦成功。
しかもラッキーなことに、絆を救うためになるそれっぽい話題にまでこぎつけることができた。
「……それは」
「お前のやることは変わらないんだろ?だったら別に、それくらい言ってもいいんじゃないのか?」
これは賭けだ。
今回俺は絆を救う上で、「絆が未來に勝負をふっかけた理由」が鍵になると思った。
ここで絆がそれを吐き出してくれないと、絆を救うのに時間がかかってしまうかもしれない。
俺は心の中で祈りながら、静かに絆の返事を待つ。
「……いいよ。じゃあ教えてあげる」
「本当か」
「ただし、二つ条件がある」
絆は俺の反応に被せるように、そんなことを言ってきた。
「……条件?」
俺は眉をひそめる。
「まず一つ目、このことは絶対に他言しないこと。お姉ちゃんとか、もってのほかね」
「それくらい分かってる」
「それと二つ目」
絆はそこで一拍開けると、再度口を開いた。
「隆人くんにお願いがあるの」
その声を聞いた瞬間、俺はデジャヴを感じた。
やっぱりなんやかんや姉妹なんだなと、唇に笑みを浮かべながら絆の声に耳を傾けるのだった。
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