6話 完璧でなければならない理由

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6話 完璧でなければならない理由

「……勉強?」 俺は思わず問い返してしまう。 「そう。私に、勉強を教えてほしいの。明日、数学のテストがあるからそれに向けて」 「勉強って……お前の頭だったら、別に俺が教えなくても出来るだろ?」 「私一人だったら、手を抜いちゃうかもしれないから。これは監視の意味も込めてお願いしてるの」 「そうなのか?」 絆のことだからてっきり俺と一緒にいるためとか言うものだと思ったのだが……隠しているだけだろうか。 「そう。本当にわからないときは隆人くんに教えてもらうけど、それ以外は私を監視していてほしいの。私が手を抜かないように」 「……というか、お前の頭だったらわざわざ勉強しなくてもそこそこ点数は取れると思うけどな」 「そこそこじゃだめなの」 絆は声の張りをより一層強くして言う。 「完璧じゃないと、私は……」 そう言いながら絆は俯いてしまった。 「おい。大丈夫か?」 俺は足元のおぼつかない絆が危なっかしく思え、思わず声をかけた。 「あっ、うん、大丈夫。とりあえず、今日って空いてる?」 「……俺はいつでも空いてる」 皮肉交じりに俺は言う。 「じゃあ付き合って、私の勉強に。理由とかは追々話すから。」 理由というのはきっと、絆が未來に勝負をふっかけた理由のことを指しているのだろう。 「了解。勉強するんだったらうってつけの場所を知ってるから、放課後迎えに行くよ。お前のクラスってどこだっけ?」 「私のクラスはね……」 そうして絆にクラスを教えてもらった俺は、 「わかった。じゃあ、放課後迎えに行くな」 「うん、ありがとう。」 ……そこで、俺達の間に沈黙が降りた。 絆がこぼした『そこそこじゃだめ』『完璧じゃないと、私は』 この言葉が示す意味はなんだろうか。 絆は、ある理由があって完璧でなくちゃいけない。 そのことは確かだろう。 だったら、その理由はなんだ? それも、絆が未來に勝負をふっかけた理由と繋がりがあるのだろうか。 それともまた別のところに繋がっているのだろうか。 ……どちらにせよ、絆が言いかけたときに見せたあの顔。 あれは、どこか恨みを持っているような顔だった。 そしてその顔を一回、俺は目にしている。 そう、絆と未來が言い争っているときだ。 屋上を出る前に捨て台詞を吐いたときの絆の顔。 あれは紛れもなく、未來に対して恨みを見せた顔だった。 そうして今日見た顔もその時と同じもの。 だとするならば、絆が完璧でなくちゃいけない理由に、未來が関わっている? 深読みしすぎだろうか。 だが、俺はこの憶測でなんとなくしっくり来ている自分を見つけてしまった。 ……あくまで一つの考察として、頭の片隅に置いておくことにしよう。 その考察だけに気を取られてしまったら、なにか見落としてしまうものがあるかもしれないからな。 「……一つ思ったんだが」 「何?」 絆は上目遣いで俺の顔を覗き込んでくる。 俺はそんな絆の視線を感じながら、前を見て言った。 「俺、そこまで頭良くないから、お前がわからない問題は多分俺にもわからない」 隣から聞こえてくるため息に俺は、 「すまない」 そう謝ることしか出来なかった。 「……どうしたの?急にそんな積極的になって」 絆はにやにやしながら俺に視線を向けた。 「別に、俺はそんな意図を持ってここにお前と通したわけじゃない。あくまで勉強と、お前が隠し持っている『理由』を聞かせてもらうだけだ。嫌なら帰っていいんだぞ?」 「ダメダメ!せっかく隆人くんの家に通してもらったのに、このチャンスを無駄にするわけにはいかない!」 「だから、それを本人の前で言うなって」 俺は放課後、絆に静かな場所で落ち着いて勉強できるところ、そして絆が理由を話すのに誰の耳にも入らないような場所として、俺の自宅を提供していた。 「昨日、じゃなくて一昨日か。お姉ちゃんがここにきたのは」 絆は目を鋭くさせ、辺りを見回す。 「だったらなんだよ」 昨日の今日なので、俺は隠す気もなく絆にそう言葉をこぼした。 「それじゃあ、私はお姉ちゃんに一歩遅れを取っていることになる。だったら、もっと積極的に行かなくちゃね!」 そう言って絆は俺の腕に手を回してきた。 「ちょっ、おい!」 「えへへ、これで隆人くんはもう私のものだね」 にへら顔で笑う絆。 「バカを言うな、俺はそう簡単に他人のものにはならない。お前はまだ俺の中で、単なる女友達の妹だよ」 俺の言葉に絆は、 「うぐぐっ……」 と唸り声を上げた。 「いいから、勉強するんだろ?だったらこんな御託やってないで、さっさと始めようぜ」 「わかった」 不機嫌そうな声を上げながらも、渋々そう言う絆。 ちゃんと俺の言葉を聞いてくれるあたり、何故かは知らないが、それなりに信頼度はありそうだな。 このままだったら絆に理由を聞く場面もスムーズにいきそうだ。 俺は頭の中でそう思いながら、絆が勉強道具の準備をする姿を眺める。 相変わらず、顔は整ってる奴だよな。 別に俺は顔だけで好き嫌いを判別する人間ではないが、顔だけで言ったら未來よりも絆のほうが、所謂(いわゆる)タイプというやつだ。 ロリなわけでは決してない。 ないのだが、どうも俺は大人っぽい顔の人間に抵抗感がある。 未來の顔は大人っぽくはないのだが、絆と比べると、未來のほうが大人っぽく見えた。 ……やはり、これもトラウマが関係しているのだろうか。 あいつの顔が大人っぽかったから。 いや、大人っぽいというよりも、あいつの顔はまさしく…… 「隆人くん!」 絆のその声に、俺は思考の渦から一気に引き上げられる。 「ど、どうした?」 「勉強の準備できたよ。どうしちゃったの?どこか一点を見つめたまま何も喋らないなんて。心配になってつい声かけちゃった」 「……ただの考え事だ」 俺は絆から視線を反らして言葉をこぼす。 「ふぅん……あっ!もしかして、お姉ちゃんちゃんのこと考えてたりしてた?」 絆は勉強道具を広げたテーブルに手をつき、顔をこちらにぐいっと近づけてくる。 恨めしい覇気と絆の仕草に気圧され、俺は仰け反り返った。 「そんなことない。本当にただの考え事だ」 「今は私と一緒にいるんだから、お姉ちゃんのことは考えちゃだめだからね」 「わかったから、早く勉強しろ。時間は無限じゃないんだし、勝負の理由も話してもらわなきゃいけないからな」 「はーい」 間延びした返事をして、絆は問題集とにらめっこし始めた。 考えてたって仕方がない。 それに思考を巡らせると、全てトラウマの類に繋がってしまうようで怖いし、億劫だ。 適度に絆を気にかけてやって、暇をつぶすことにするか。 そうして俺は制服のポケットからスマホを取り出し、電子書籍を読み始めるのだった。 「まず、こことここを計算するとどうなる?」 「……ここは、こうするから」 「そうだ。じゃああとは簡単だろ?さっき計算した奴を今度は代入するんだ」 「あっ、なるほど……」 「お前、ここ計算ミスしてるぞ」 「あっ本当に?」 そんなこんなで、絆は勉強を進めていた。 のだが、勉強を始めてから2時間。 ぶっ続けでやっていたので、さすがの絆も集中力がなくなってきていた。 ケアレスミスをしたり、さっきまで解けていた部分が抜け落ちたりしてしまっている。 「そろそろ休憩するか?」 「そうだね、そうしよう」 「飲み物入れてくる。何がいい?」 言いながら俺は冷蔵庫に向かう。 「何があるの?」 「烏龍茶とコーラ、オレンジジュースくらいか?」 俺は冷蔵庫の中を調べながら絆に伝える。 「……じゃあ、オレンジジュース」 「了解」 俺は絆の分のオレンジジュースと、俺の分のコーラをそれぞれコップに注ぎ、リビングへと持っていった。 「ありがとう」 「おう」 そう相槌を打って、俺は喉にコーラを流し込んだ。 通り道を刺激するコーラの炭酸が、勉強で沈んだ気持ちをシュワシュワと浮き上がらせてくれる。 俺は一気に流し込むと、大きく息をつく。 コップ一杯のコーラはすぐになくなってしまった。 「……それじゃあ、休憩の合間に教えてくれるか?お前があいつに『勝負』をふっかけた理由」 「あぁ、お姉ちゃんにってこと?まぁ、いいけど……それよりも隆人くん、ちゃんと固有名詞で読んでくれないと分かりづらいよ」 「……悪い」 俺はそうつぶやきながら絆から視線を外す。 「なんでお姉ちゃんのこと『未來』って呼ばないの?前だってそうだったよね?お姉ちゃんのこと『お前』って言って、お姉ちゃんに怒られてた」 「……理由があるんだ。でも、今それを俺の口から言うことはできない」 「そっか。だったら別に無理して言わなくてもいいよ。隆人くんにもいろいろあるんだろうしね」 「助かる」 「いいのいいの。これくらいなんてことないから」 絆は口元に薄っすらと優しく笑みを浮かべた。 ……普通に接している分には絆もすごくいいやつだ。 未來ほど勘は鋭くないが、それでも会話の中でちゃんと自分の立ち位置を理解して、それ以上相手を詮索しない。 そんな絆が、いきなり未來に『勝負』をふっかけた理由。 いよいよ聞けるかと思うと、少しだけ体が強張ってしまう。 「じゃあ、話すね」 絆はそう言って目を閉じる。 ここも、姉とそっくりだな。 話題の核心をつく話をするときには、覚悟を決めるために目を閉じて集中する。 絆が目を開けると、俺は絆の声に耳を傾けた。 「私とお姉ちゃんの血が繋がっていない話は聞いた?」 「あぁ、お前の姉ちゃんからな」 「そっか……そうなの、私とお姉ちゃんは血が繋がっていない。再婚した両親それぞれに元々いた子供だった。私の本当の両親は離婚をきっかけに離れ離れになって、私はお母さんに引き取られた」 「親権が母親にいったってことだな」 「そう。お姉ちゃんに出会うまで、私は常にトップだった。誰も彼もからもてはやされて生きてきた。私はそれがすごく嬉しくて、いつしか誰かに認めてもらうことが私の生きる意味になっていった」 だんだん話が掴めてきたような気がする。 俺は自分の想像と絆の話を照らし合わせながら相槌を打った。 「……でもある日お母さんが再婚して、私にお姉ちゃんができた」 「あいつか」 「そう。お姉ちゃんは全ての部分で私より勝っていた。容姿も、運動も勉強も。今まで私がもてはやされてきたところを、全てお姉ちゃんに取られちゃったの」 低い声で、淡々と絆は話し続ける。 それは姉を姉と見ていない、まるで他人を指しているような声音だった。 俺は心の中でゾッとしてしまう。 「だから私は、少しでもお姉ちゃんに勝てる部分を作りたくて、みんなにまた認めてもらいたくて勝負を仕掛けた」 「なんで俺を巻き込んでまで勝負を仕掛けた。勝負をするのなら、別の部分で勝負してもよかったはずだ」 俺がそう言うと、絆の顔に黒い笑みが浮かび上がった。 「……私が勝負を仕掛けた理由は今のだけじゃないの。もう一つある」 「その、もう一つってのはなんだ?」 なにか触れてはいけないものに俺は今触れようとしている。 そんな直感が働き、俺の唇は緊張ゆえ、かすかに震えていた。 そうして絆は狂気的な笑顔を俺に見せつけ、こう言った。 「……お姉ちゃんの大切なものを奪うためだよ」
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