復活する日を待っている

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ある日の正午頃、息子の弁当のおかずの余りを電子レンジで温めた。 私の作る卵焼きは醤油の香りがする。 私が中学生の時に母が作ってくれた卵焼きは色が変わるのが嫌だからといって塩しか入っていなかった。 正直それだけ食べるとあんまり美味しくない。 だが白いご飯と一緒に食べる米のふくよかな味わいが卵焼きに交わり口いっぱいに広がった。 だから今でも時々食べたくなるが塩の加減がわからなくて上手く作ることが未だに出来ない。 それに対して私は醤油だけを入れる。醤油が混じった卵液はまるで濃い栄養がたっぷり入った卵を使ったように見える。 息子はこの醤油の入った卵焼きを美味しいと言って食べている。 そして『静岡に住むばあちゃんの甘い卵焼きも好きだ』という。 ほんのり甘く、端が少しだけ焦がした卵焼きは、スーパーに売っている卵焼きより素朴でほんのり甘くて美味しい。 コロナが大阪にやってきて、2年たった。緊急事態宣言もあり、また感染者数が多い街から高齢の祖父母を訪ねることは憚られてお盆も年末も帰れずにいた。 その間に息子は小学校を卒業し、見事に反抗期を迎え、毎日、罵詈雑言を家族に浴びせながら中学に通っている。 今年やっと年末に帰省出来る事になった時、息子はポツリと言っだ。 「前に帰省した時に、ばあちゃんが『中学生になったら休みの日もクラブ活動で忙しくなるし、あんまりこっちにも来たくなくなるかも知れない』って言っていたけど今はその意味がわかる」 「どうして?いつも楽しみにしてたじゃない」 「確かにばあちゃんの作るご飯はなんでも美味しいし、大好きなマグロの刺し身もこっちより新鮮でいつも楽しみにしていたけど、今は帰省している間は自分の好きな事が出来ないから時間がもったいないと思うようになった」 息子は今まで静岡に帰って他に何もしていなかった訳ではない。 駅前の大きい科学館へ従姉妹と出かけたり、ちょうど子供の長期休暇を狙って封切られるアニメ映画を観たり、自前のミニ四駆を走らせる事が出来る広いサーキット場で遊ばせたりしていたのだ。 今でもやってみれば今でも楽しいかもしれない。 ただこの帰省しなかった2年の間に祖父母の住む街での息子の思い出は祖父母の家での食事で、当時お気に入りだった子供向きの遊びは強く記憶に残すほどの思い出ではなくなったのだ。 このコロナ禍の2年で息子は少しずつ大人になる準備をしている。 背も伸びたし、声も低く変わった孫をみて祖父母は喜んでくれるだろうか。 成長期の息子は大好きな祖母の手料理をおかずに白いご飯を何杯もおかわりして食べるだろう。 圧倒的に増えた食事量に炊いたご飯の量が少なかったと悲鳴を上げるかもしれない。 また祖父母も認知症の症状が出始めて周りが手を焼き始めた、と聞いている。 2年の間に変わってしまった孫と祖父母は再会してどう感じるのだろうか。 停滞していた交流が復活する事で変わってしまった彼らがどういう関係に変わるのか、今からそれをみるのが楽しみだ。
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