ダルマストーブと賛美歌

2/4
前へ
/4ページ
次へ
 母が居ると部屋は温かかった。寒いのは嫌いだからといつだってダルマストーブは全力で働かされていた。 「ママはマァちゃんとお話ししたいのになぁ」  あの頃、母親は皆『お母さん』だったのに、我が家は違った。それはちょっとだけ人前では恥ずかしかった記憶。 「何、話すの?」  私は本から顔をあげない。今となっては何を読んでいたのか定かではない。忘れてしまうくらいの本なら顔くらい上げてよ、と母の残影より歳をとった私が呟く。   母は父を残して十年も前に亡くなっている。それなのに思い出すのは母のことばかり。母の生活した痕跡は十年間でほぼ消滅した。それでも私は母を思い出す。  キッチンに足を踏み入れ、最後に父が使ったのであろうマグカップを流しで見つけた。几帳面な父はマグカップをちゃんと水に浸していた。 「お前ちゃんと水に浸しておけよ」 「あらやだ、そうだった」  明るい母の声がした。注意されてもちっとも気にする素振りはない。それが母。だって洗えばいいんだから。落ちなかったら漂白しちゃおうと母が笑う。  キッチンに立つ母が賛美歌を口ずさむ。母はミッション系のスクールに通っていたらしく、時折その片鱗をみせた。たとえば食器を洗う時の鼻歌が賛美歌だったり、クリスマスをしっかりと祝ったり。  私が人より賛美歌を知っていることに気がついたのは、友達の結婚式に参列した時だった。厳かに流れる賛美歌、どれもこれも馴染みの曲だった。皆は初めて聞くのに歌えないよねとヒソヒソと話していた。驚きを隠して澄まして小さな声で歌う。鼻歌のように。  ピピッとリビングで警告音が鳴った。慌ててリビングに戻るとエラーという所が赤く点滅していた。火は既に落ちている。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加