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序 幕
「くちべらし?」
年若い宮司は、たどたどしい少女の口調にあわせて、ゆっくりと聞き返した。
「そう、くちべらし!」
薄桃色の花柄の振袖がよく似合う少女は、おぼえたての言葉を自慢するみたいに大きな声をあげてから、ハッとしたように口をつぐんだ。
それから、小柄な少女の身長にあわせて腰をかがめてくれた宮司の耳元に可憐な薄朱色のクチビルを寄せると、大事な秘密を打ち明けるように声をひそめて、
「おハナは、くちべらしのために、ハナシズメになったのよ」
「……おハナは、"口減らし"の意味を知ってるのかい?」
「ううん、知らない。おっかさんが言ってたもん、『おハナはアタマのネジが足りないんだ』って。だから、むつかしいことは分かんないんだ」
あっけらかんと答える。
宮司は、清らかに日焼けした伽羅色の顔に、めったに見せない沈鬱をのぞかせたが、少女はおかまいなしに、春のそよ風のような軽やかな声をはずませながら、
「ハナシズメになるって、すごくいいんだ。こーんなキレイなオベベ着せてもらって。おっきな赤いキノコをいっぱい入れたシシ鍋に、ツキタテのオモチもいーっぱい入れてもらったんだ。おハナ、とっても幸せだったぁー」
と、両手を胸の前で組み合わせて、ウフフと笑う。
繊細な白い顔にほんのりと血をのぼらせたこの愛くるしい少女が、すでに200年近くも前に亡くなった死者だとは。
よもや、誰が気が付こう。
もっとも、落雷で焼け落ちた桜の老木の根元にユラリと立ち上がるおハナの姿を見ることができたのは、この年若い宮司と、その側近として付き従っている権禰宜(※神主の見習い)の青年だけだったが。
北関東の山中にある榛名 月御門神社の宮司として招聘を受け、東北の小さな寒村に到着したばかりの月御門 陽向は、大きな重いリュックを背中にかついだまま、自分自身に言い聞かせるように言った。
「そう。おハナが幸せだったというのなら、よかった。本当によかった」
ふだんは和装の上衣と銀紋の刺繍が入った紫紺の袴を身にまとうが、こうした「出張サービス」の途上では、もっぱら、シンプルなカットソーとポケットのたくさんついた実用的なカーゴパンツを身につけている。
じゃっかん17才の少年とあれば、そのへんの男子高生と見分けもつかなくなりそうなものだが。
物心ついた頃から絵本よりも経本に慣れ親しんで育った生粋の神主だけあって、いつでもピンと張りつめた姿勢のすがすがしさや、超然とした所作と声色が、どんな服装に変わっても、おのずと浮き世ばなれした出自を隠すことができない。
"最寄り"の駅から2時間近くも休まずに歩き続けてきたのに。まるで疲れも見えないし。
初めて宮司の旅の補佐役に抜擢された権禰宜の星尾は、荒い息を肩ではずませながら、すっかり舌をまいていた。
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