髪を切る

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 華奢な背中が客間に入られたのを認めると、私の足は優さまのお部屋に向きました。  天蔵家は明治、大正と経る間に名もなき庶民から大財閥に名を連ねた一家です。元は大阪のあたりで小さな商いをしていたようですが、今の旦那様、天蔵吉蔵の代となってからがめざましく、炭鉱、銀行、海運の分野で事業を起こした結果、そのことごとくで大成功を収めたのです。今ではどんな田舎に住む者も「あの天蔵家」と言えばなんとなく覚えのある顔をするほど、押しも押されぬ名家となりました。そんな新興の天蔵家と公家の流れを汲む華族の荻野家が、今回めでたく結びつき、婚儀を行うことと相成りました。  情報通の同僚、佐恵子さんが言うには、「やっぱり旦那様の財力を当てにしてらっしゃるのでしょうよ」とのことです。昨今は恋愛結婚という都会的な考え方もありますが、今も大多数の結婚は家同士の結びつきを重視するものでしょう。天蔵家と荻野家の縁組が結ばれたのも間違いなくそういった面が大きいものと思われます。  ただ、当事者同士の心持ちというのは政略とは別なのではないでしょうか。だって、優さまと話しておられる月子さまはとてもお幸せそうです。はにかむお顔の頬には紅を差したよう。恋する乙女なのです。私もあれほどかわいらしくなれたなら、家の縁談も三度破れることはなかったのかもしれませんね。
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