ケース6 高校の男子生徒

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ケース6 高校の男子生徒

 少年は自室に戻るなり、ブランドもののマフラーとコートを投げ捨てた。そして高校指定のジャケットを脱ぎ、シャツのボタンも外すと、手元の缶を景気の良い音とともに開けた。  自宅の冷蔵庫から調達した缶ビールだ。喉を鳴らして躊躇なく飲む。人生の苦味を堪能した気分に浸り、まずはテレビで見かける様な反応をひとつ。それからは、床に散らばる私物を足で蹴飛ばしてスペースを作ると、その場にドカリと腰を下ろした。  リビングで横取りしたタバコも封を切り、慣れた手付きで1本を堪能する。肺の奥から吐き出された煙は、行き場を失って天井をさまよい、黄ばんだ壁紙を更に上塗りしようとした。  立て続けに2本吸い終えた頃の事。ガラステーブルが振動して、スマホの通知を知らせた。画面を見ればSNSのグループチャットで、表示されたメッセージには思わず頬が緩んだ。 ——人を殺してでも金作ってこい、じゃねぇとお前を殺すから。  彼がそう返答すると、チャット内の仲間達も似たようなコメントを寄せ、瞬く間に画面が埋め尽くされた。そんな様子が愉快でたまらず独りで笑う。そうしてひとしきり愉しんだあとは、酒の酔いも手伝って、赤ら顔を浮かべつつベッドに横たわった。  世の中チョロすぎる。軽く脅すだけで5万10万という金が入ってくるのだから。真面目に働くなんてバカのする事だと、彼は普段から公言していたし、実際にそう信じていた。親父みたいなクソ寒い人生なんかゴメンだし、母親みたいにケチ臭く節約する女も要らない。オレは賢く生きて、大豪邸に美人を侍らせて愉快に暮らすんだと、そんな手前勝手な未来図を脳裏に描いた。そしていつしか寝息を立てるようになり、夢の世界へと誘われた。  そんな折の事だ。スマホの通知が、電子音を鳴らして知らせるようになったのは。 ピロリ。 ——私メリーさん。今あなたの家の前にいるの。 ピロリ。 ——私メリーさん。今あなたの部屋の前にいるの。 ピロリ。 ——私メリーさん。お邪魔します。 ピロリ。 ——この部屋臭いなぁ。お酒は子供が飲んじゃいけないんだよ、タバコだってそうだし。 ピロリ。 ——マフラーもコートもすっごく高そう。もっと丁寧に扱わないと可哀想だってば。 ピロリ。 ——ねぇ、これ何? 人を殺してでもってどういう意味? ピロリ。 ——相手のお友達、何かしたの? 何か悪い事したから苛められてるの? ピロリ。 ——この子泣いてるよ。それなのにどうしてみんな笑ってるの? バカとか色々書いてあるよ、何で慰めてあげないの? 優しくしてあげないのはどうして? ピロリ。 ——いったい何があったの? どうしてこうなっちゃったの? この子が嫌いなの? 嫌いだったら何してもいいの? お金を無理矢理とるのって悪い事だって知ってる? 知ってるならやっちゃうのは何で? 他のお兄ちゃん達は止めないの? 一緒に笑うだけなの? 何で? 何で? 何で? ピロリ。 ——何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? 何で? ピロリ。 ——ねぇ、教えてよ。 ピロリ。 ピロリ。 ピロリ。  翌朝。登校時間が迫っているにも関わらず、少年は自室から出て来なかった。彼の部屋に小さなノックがあり、ゆっくりとドアが開く。心配気な顔を覗かせたのは母親である。寝坊する息子を、どうにか穏便に起こしてあげようと思った矢先、彼女は変わり果てた姿を目の当たりにした。 「教えてよ、どうして、何で。教えてよ、どうして、何で。何で。何で。何で」  そこには、うわごとを繰り返しながら指先を噛む息子が居た。ベッドの上で壁にもたれながら、うつろな視線を虚空に浮かべている。時おり、口元から垂れた血が血痕を作るのだが、彼はそれに気遣う素振りも見せない。  絹を裂くような悲鳴、そして救急車。奇しくも同じ頃合いに、少年のクラスメート数名も病院に搬送されたのだが、皆が同一の症状であるのは異様だった。すかさず警察にも通報され、秘密裏の捜査が開始された。  しかし目撃者なし、凶器や指紋などの物的証拠なしと、早くも捜査は暗礁に乗り上げてしまった。唯一の証拠と言えるのは、異常な数で送られたショートメッセージだけだ。執拗な文面からは狂気に染まっており、何か関連があるという印象を受けた。  だが、どの筋から調べても送信元は不明である。そして、仮に事件と関係があったにせよ、メッセージのみで何か起こせるとは考えにくい。少なくとも科学的な物証とは言えなかった。  学校からも、少年達が悪質なイジメを繰り返したという事実を公表されてしまい、いよいよ捜査協力すらも難しくなってきた。やがて事件性無しと判断が下され、警察は手を引く事を決定した。  それ以降、この少年達の今後を知る者はごく一部の人間だけとなる。イジメの被害を受けていた少年が、晴れ晴れとした顔で街を散策する姿とは、実に対照的であった。
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