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古より悪魔を喚び出す儀式と言うのは存在する。
上位の悪魔を喚び出そうとするほど、儀式の手順も供物の準備にも手間がかかるようになっている。
書物などに登場するメドゥーサを呼び出そうとするのならば、人間の集落の一つも潰さなければならないだろう。
しかし下位のもの、とりわけ名も与えられていないような悪魔はわりと簡単に呼び出せる。
人間にとってみれば何でもないような音の羅列や体の動きが、実は下位悪魔の召喚儀式手順だったりすることはよくあることだった。
そういうわけで、今日もまた一人。
「先生!陽太くんの心臓が食道から迫り上がって来ようとしてます!なんかドクドクしてそうなの見えてます!」
「な、なんだと…?!陽太くんにはもうそんな体力は…?!」
「う、うぉえええぇ」
「ああ陽太くん!しっかりして!先生どうしたら!」
「くっ、心臓が食道から喉に向かって迫り上がるなど前代未聞…。どうなっているんだ…?」
「うええええええぇ」
緊迫した病室の中、先ほどまで弱々しくベッドに横になっていた少年が喉をかきむしりながら暴れている。
それを看護婦が押さえつけ、主治医が少年の体をくまなく観察している。
邪魔にならないよう後ろにいた陽太の母親は、口に手を当て目に涙を浮かべて息子の名を呼んだ。
長年の闘病生活のせいで皮と骨だけの薄っぺらな胸元に、不釣り合いな元気そうな脈拍が見てとれた。
一方その頃、陽太くんの体内。
「ぐおおおおお!頑張れ俺様!いけるぜ俺様!うおおおおおお!」
『やめろー!誰だか知らないけど僕の心臓乗っ取って出て行こうとするのやめろー!』
陽太は戦っていた。
姿は見えないが声は聞こえ、何故だか自分の心臓が自分の意に反して出ていこうとしているのは分かったため、取り敢えず心臓に向かって念じながら叫んだ。
『っていうか誰?!本当に誰?!』
「あん?ギャーギャーうるせぇな!テメェで喚び出しといてそりゃあねぇぜ?」
『僕は何もしてないよ?!』
「ああ?してただろうがよ、昨日の陽がてっぺん回った頃によぉ。イカした音楽と舞を踊ってたじゃねぇか」
『き、昨日…?踊り…?』
陽太は心臓に出て行かないでくれと祈りながら必死に記憶を手繰り寄せる。
昨日は、確か昼前から母が見舞いに来てくれていた。
陽太は生まれつき心臓が弱く、生まれてすぐに医者から成人を迎えるまで生きられないだろうと言われた。
もう陽太も十四になるというのに、母は毎日陽太の病室を訪れてあの手この手で陽太を元気付け続けている。
昨日は母と一緒に昼食をとり、その後は母の若い頃の話などを聞いたりしていた。
母が父と出会う前は国中の経済がノリに乗っていて、わりと母もやんちゃをしていたらしい。
そこで陽太はふと思い出した。
母がこれ好きだったのよーと言いながら、音量を控えてパラパラの曲を流していた。
それに合わせて踊る母を見ながら、陽太も真似して踊っていたような。
『えええ?!パラパラのこと?!』
「お、パラパラっていうのか。俺様にピッタリのビートでどこの聖歌かと思ったぜ」
『せ、聖歌?…っていうかその、パラパラは…』
「あ?」
『…その、20年以上前の流行だから、その、…廃れてるっていうか』
「ああん?!」
陽太の心臓が跳ね上がる。物理的に。
心臓にいる誰かさんが立ち上がったらしい。
「どういうことだテメェ!!」
『そ、そんなこと言われても…。どうやってそうなったのかは知らないけど、もう踊られなくなってるって母さんも言ってたから…』
「…チッ、なるほどな。こういうビートは好むダチも多いのに、俺以外が喚ばれてねぇのは変だと思ってたんだ」
心臓がふむふむと頷いている。物理的に。
陽太はぐるぐる心臓が動く感覚に吐き気を堪えながら、心臓に向かって話しかけた。
『友達?…っていうか、あの、君は本当に誰?幽霊とか?』
「ああ?あんなぺらぺらと一緒にすんじゃねぇ。俺様は悪魔よ」
『あくま?!』
「おうよ。どうだ?ちったぁビビっー」
『悪魔?!漫画やアニメに出てくるあの?!すごいすごい!どこの神話の出身なの?あ、悪魔は階級だっけ?どのくらいなの?やっぱり一番えらいのはサタンなのかな?』
「…めっちゃ喋るなお前」
悪魔は、陽太の勢いにややドン引いていた。
それから気まずそうにもごもごとしている。心臓ももぞもぞしている。
先ほどまでの威勢の良さが鳴りを潜めたらしい様子に、陽太は首を傾げた。
『ええと、悪魔さん?』
「…ねぇよ」
『え?』
「ッだから!俺様には名前が無ェんだよ!…ま、まぁ?俺様をそんなモンで縛ろうなんて100万年早えってこった」
『えー…』
「ンダコラ文句あんのか!」
『えええー…』
陽太は幻滅した。
階級どころか名前すらない悪魔に幻滅した。
陽太の落胆を敏感に感じとり、悪魔は陽太の心臓を物理的にギリギリと締め上げた。
『いたいいたい?!』
「人間のくせに舐めてんじゃねぇぞ!」
『…人間に召喚されないと出てこれないくせに…』
「ああん?!」
『いたいいたい!!やめろー!』
「…チッ、もういい。俺様はこんなところさっさと出て行ってやるぜ」
そう言って悪魔は陽太の心臓ごと喉の方へと迫り出した。
心臓全部でぶちゅりと出口にぶつかりながらも、異変は現れた。
「…ガッ?!」
悪魔が喉を掻きむしる。息ができない。
『早く下がって!死んじゃうから!』
陽太の悲痛な叫び声が聞こえる。
悪魔はそれを無視しようとしたものの、自分も呼吸ができずに身体に力が入らないため、しぶしぶ陽太に従った。
空気がすうっと身体に入ってくる。
「チッ、どうなってやがる?」
『はあ、はあ…。どうも何も、心臓で気道を塞いじゃったから息が出来なくなったんだ。人間は呼吸できないと死んじゃうから』
「あ?…ちょっと待て、じゃあ俺様が取り付いてんのはお前の精神じゃなくて…?」
『…僕の心臓そのもの、かな?』
「ハアアアアアアア?!」
悪魔がじたばたと暴れた。
元の位置に収まった心臓もばいんばいんと暴れている。
「んっだそれ!!!?じゃあ何か?さっきまで俺様が気張ってたのは、お前の支配権を横取りするためじゃなくて、」
『…うん。普通に心臓が喉から外へ出ようとしてたよ』
「ハアアアアアアア?!」
あまりに暴れるのでやや位置のずれる心臓。
陽太は吐き気を堪えて悪魔を宥める。
『お、落ち着いて…?』
「落ち着いていられるか!この泣く子も黙る俺様が!たかが取り憑きに失敗しただと?!」
『…あ、ほらあれだよ、名前ないからさ。こう力的なやつが』
「うるせええええええ!名前のことは言うんじゃねぇええええええええ!!」
『いたいいたいごめんって!』
ぼよんぼよんと心臓が暴れている。
あまりの暴れっぷりに、心臓に繋がる血管が捩じ切れたりしていないか陽太は心配になった。
しばらくして悪魔が落ち着いたのか、心臓も元の位置に収まりにいった。
「チッ、こうなったらアレだ。魔力を増やすぞ」
『魔力を、増やす?』
「おうよ。一番簡単なのは魔力を持ってる人間を喰って魔力を奪う事だがー」
『ひっ!』
「お前には魔力のほんの一欠片もねぇから安心しな。つーか周りの魔力の気配もあんまり感じねぇから、その辺の人間をただ喰うのは賢くねぇな」
『食べないでね?!』
陽太は慌てて心臓に向かって叫んだ。
悪魔はガハハと笑っている。
「そこで、だ。悪魔の取り憑いた人間を喰う。んで俺様の魔力をパワーアップしてお前の精神体を乗っ取るって寸法よ」
『やっぱり食べるの?!嫌だよ?!っていうか僕も乗っ取るの?!』
「たりめーだろ。心臓に取り付いたって何も出来やしねぇしな」
『な、何をする気なんだよ…?』
「そいつぁ内緒だ。だがそうだな、お前の働きによっちゃあ、俺様の目的が達成されれば解放してやってもいいかもな」
『ほ、ほんとう…?』
「おうよ」
ニヤリと笑う悪魔の気配を感じ、陽太は不安そうにそちらを伺っている。
そして悪魔が立ち上がるのに合わせて陽太の心臓も跳ね上がった。
「んじゃ、取り敢えず俺様の同類をまとめてここに喚ぶぞ」
『よ、喚ぶってどうやって…?』
「あ?もう忘れたのか?お前がやっただろうがよ」
『え?……っまさか!』
「おーよ。俺様の聖歌『パラパラ』を世界中に掻き鳴らして踊り狂わせてやるのよ!」
『え、えええー…』
「ちなみに従わなかったらお前の口から飛び出してやるからな。まさに一蓮托生ってわけよ」
『や、やめろー!!!』
陽太は心の底から叫んだ。
ちょうどそれと同時に、ベッドの上で暴れていた陽太の身体が一際大きく跳ね、静かにベッドに沈んだ。
看護師も医師も固唾を飲んで見守る中、陽太はひどくひどくだるそうに瞼を持ち上げる。
陽太の母が駆け寄り、陽太の顔を覗き込む。
「陽太、陽太っ…」
「か、さん…?」
「ああ陽太、良かった…何があったの?身体はどう?」
「…母さん、あの、」
「?」
陽太はぜいぜいと息をしながら母の顔を見る。
母の慈愛に満ちた顔を見ながら、しっかりと噛み締めるように呻いた。
「…パラパラを…、もう一回流行らせることはできる…?」
「え?」
「僕の…命に関わることだから…」
「え?」
「音楽だけじゃなくて…踊りも…こう、みんなで踊り狂う感じで…」
「え?」
母が陽太の言葉全てを聞き返したのは、仕方のないことだった。
こうして陽太のパラパラ復活物語は走り出すーー。
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