エピソード9 再び夢を見る件

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エピソード9 再び夢を見る件

 セミの鳴り響く声が耳に入ってきて、目を覚ます。  瞼の先で照る太陽よりも、その声の煩さの方が大きく感じられる。  横たわった体を起こして見えた景色は、お菓子の家でも、洞窟の中でもなかった。  野原は広がっておらず、燃えるような暑さも感じられない。  周りを囲っているのはふさふさに生い茂る木々のみだった。  それはもう、完全に森と言っていいかもしれない。  とりあえず、夢であることに間違いはなさそうだ。 「ここも、夢葉がいない世界なのかな」  水無瀬が語っていたことを思い出す。  あの悪夢は、最初に見た夢とは別物で、そもそも夢葉と会えたこと自体、奇跡。  膨大な夢世界の中での偶然。  彼女とはもう、会えないのかもしれない。 「夢葉が生きているなら今はそれでいいかな」  無理矢理自分の中で妥協点を見つけていく。  とはいえ、今見ている夢のリアリティさは最初に見た時と同じもの。  夢の侵食はまだ続いているのだろう。 「私がどうしたの?」  幻聴が聞こえたのかと思った。  つい先程まで耳にしていた声に似た、それでいて懐かしい声。  たった一言に、鼓動が大きく跳ねた。  背中に感じる確かな気配。  今までのネガティブ思考はすべて吹き飛び、反射的に立ち上って振り向いた。  星型のヘアピンをした、ショートカットの少女。  そこにいたのは紛れもない、夢葉であった。 「おーい、返事をしてー?」  彼女が手のひらを顔の前で振ってくる。  その無垢な動作を前に、思考がまだ追いついていない。  僕の前にいるのは、紛れもない、夢の住人の夢葉。  声も仕草も顔も何も違わない。  しかし、確認せずにはいられなかった。 「本当に……夢葉なの?」  目の前の少女は、首をコテンと右に倒し、顔の前で振っていた手を止める。  その手をそのまま彼女の顔の前へと動かし、指を差した状態で言う。 「私のこと? うん、夢葉で間違いないよ、光くん!」  この前の悪夢が嘘だったかのように、陽気な声で彼女は言った。  光という名前が飛び出たこと。  自分を夢葉であると力強く言ったこと。  このニ要素が揃えば、勘違いしようもない。  やっぱり、あれは単なる悪夢だったのだ。  夢葉と再会できた嬉しさ。  心の底から込み上げてくるものがあった。  その感情を心の中だけで押さえることができず、覆いかぶさるように彼女に抱きついた。 「ちょ、ちょっと光くん!?」  目を白黒させる夢葉に対して、溢れる気持ちを口にする。 「よかった、生きててよかった。助けると言っておきながら助けることができなくて本当にごめん。今度黒幕に会った時には刺し違えても君を守って見せるから」  ありとあらゆる懺悔の言葉を夢葉に向ける。  自分一人ではどうしようもなかったとはいえ、何もできなかったのは事実。  夢の中であれば死なないから、何でもできたはずなのに。  それすらも忘れて、夢葉を助けることができなかった。  目からはとめどなく涙が溢れ出てくる。  彼女は何かを察したのか、僕の肩に手を回して、「私は大丈夫だよ」と語りかけてくれる。  しばらくその状態が続いたが、やがて終わりを迎える。  流す涙は徐々に安心感から流れる温かなものへと変化する。  その心地よさに、顔を上げて至近距離で夢葉と目が合った僕は、今の状態に気づき、慌てて彼女から離れた。 「ご、ごめん夢葉。急に抱きついたりなんかして」  わちゃわちゃと顔の前で手を動かす僕に、夢葉は苦笑しながら、 「急に何かと思ったよー」  と笑って答えてくれた。  彼女は近場の横たわる木に腰をかけ、乱れた髪を手櫛で整え始める。 「それで、何があったの?」  状況が落ち着いた段階で、夢葉は疑問を投げかけてきた。  会って早々泣きついてくるのはよっぽどのことがあったのではと、怪訝な表情を浮かべる彼女。  けれどその質問に答える前に、先に聞いておきたいことがあった。 「夢の世界って、いくつもあるの?」 「え?」 *** 「……ということがあったんだ。だから夢でまた夢葉と会えて、なんかこう、感情が決壊してしまったというか」 「そういうことだったのね」  慎重に言葉を選びながら、僕はここ最近に起きた出来事を夢葉に話す。  黒幕に出会ったこと、夢葉が囚われたこと、挙句の果てに夢の中で死に近い体験をしたこと、放心状態に陥ったこと。  そして、水無瀬に救われたこと。  最後まで話し終えると、夢葉は顎に手を当てて、話の内容を小さな声で反芻し始める。  その様子を見て、僕は疑問に感じたことがあった。 「もしかして、夢葉はそのことを覚えていないの?」  悪夢のことを伝えても表情が変わらない夢葉。  あの時はあれだけ取り乱していたのに、まるで一晩眠って忘れてしまったような顔をしている。 「実はそうなんだよねー。私としては前に光くんと会ってからそれほど時間が経っていないし、そもそも場所を移動していないし。正直、あまりピンと来ていないの」  記憶がない。  それはそれで驚きだった。 「あ、いや、分からないんだったらそれでいいんだ。知らない方が幸せなことだってあるしね」 「その知らない方がいいことを聞いちゃったわけなんだけどね」  あの悪夢のような出来事を覚えていないということは、あれは一体何だったのか。  水無瀬の言った通り、違う世界の夢を見ていたのか。  それに関して夢葉が一つ解説をしてくれる。 「夢の世界がたくさんあるって話だけれど、うん、勿論あるよ」 「え、本当に?」 「ほら、前に共有夢の話をしたでしょ? 同じ夢を見ている人がいるって話」 「うん、ちゃんと覚えているよ」 「何人が同じ夢を見ているのかは分からないけれど、違う夢を見ている人もいる。そう言う意味では、夢世界は一つではないよ」 「ちなみに、僕が他の人の夢に入り込むことはできるの?」 「それはできないんじゃないかな? 黒幕もそんな状況を見逃すとは思えないし」  黒幕ならそれができるということか。  それもそうだ、全人類の夢を支配しているのだ。  夢の中の行き来くらいお手の物だろう。  だとすれば考えられるのは二つ。  一つは黒幕が僕を違う夢世界へと連れて行き、拷問のような光景を見せてきた。  二つ目は水無瀬の言った通り、黒幕の支配している夢とは違う、単なる悪夢を見ていた。  とはいえ、夢葉が生きていることからも、後者の方が妥当な判断かもしれない。 「その可能性もあるかもね。夢の世界は私にとってもまだまだ未知なことが多いもん」  僕の考えに夢葉は同意をしてくれた。  だとすれば、何てたちの悪い夢なんだ。 「それじゃあ、光くんの悩みも解決したところで、そろそろ協力者探しに行きましょう!」  おー、と右手を上げて立ち上がる夢葉。  檻の向こう側に見た彼女の表情とは真逆の晴れやかな顔を見て、悩んでいても仕方ないという気持ちになってきた。  心なしか森の中が明るくなったように感じる。  小一時間、仲間探しを開始したが、マップもなければ仲間がいる位置を特定できるレーダーもない状態。  攻略本なしに初見でオープンワールドのゲームをするようなもの。  すぐに見つかるはずもなかった。  道は一歩道しかなかったため方向に迷うことはなかったが、歩いている最中は、蝉の鳴き声がけたましく聞こえてくる。  とはいえ、横並びで歩いているが故、沈黙は毒。  何か話の種を、と思うが、夢葉は夢の住人であるため、現実世界の娯楽や学校に関する話題を出しても盛り上がりには欠けてしまうに違いない。  話せる共通の話題は、夢世界のことしか思いつかなかった。 「そういえば夢葉、さっき僕と最初にあった場所から動いていないって言っていたよね。それってどういう意味なの?」  それはさっきの会話の中で夢葉が口にしたこと。  僕と夢葉が出会ったのは、地平線まで続く野原に構えられたお菓子の家だったはず。  なのに今いる場所には、お菓子の甘い匂いさえ漂っていない。  すると夢葉は、例えを持ち出して説明してくれた。 「光くんは夢を見た時、こういう経験ない? さっきまで好きな人と手を繋いで廊下を歩いている夢を見ていたのに、ふと気が付くと強盗に襲われて崖の際まで追い詰められていた、みたいな」 「何それ怖い、実話?」  あまりの落差にその崖から落ちても落差を感じなさそう。  というか、普通に悪夢じゃん。  が、夢葉は本当にあった怖い話をしたわけではなく、急に場面転換する夢の特性について話してくれる。  夢を見ている途中に急に違う場面になる。  けれど夢を見ている本人はその違和感に気付かずにそのまま夢を見続けるという現象。  確かに、夢の中ではよくあることだ。  夢日記に夢の内容を書くときに、話が飛んでいる、と思ってしまう部分でもある。  夢葉は人差し指を宙で指揮棒のように振りながら、話を続ける。 「黒幕のせいでこの夢をリアルに感じすぎているから、光くんはその違和感に気付いているんだと思うけれど、光くんが夢を見ない限り私は動くことが出来ないの。私は夢の中に住んでいるから」 「それって僕が夢を見ていないときは時間が止まっているように感じられるってこと?」 「それはちょっと違うかも。ほら、録画した番組を想像してみて。番組が流れている間は画面の向こう側にいる人は動き続けるけど、光くんが停止ボタンを押したら、その人たちの動きは止まるよね。それで、また再生をすると動き出す」 「なるほど、画面の外にいる僕は番組が停止している間も動けるけど、画面の向こうにいる夢葉は動くことはできない。僕が夢を見ていないときは、夢葉は一時停止の状態なんだね」 「その通り。止まっている間は画面の向こうの時間なんて存在しないから、その空白の時間は気にならないの」  夢葉の語る夢知識を聞いて、夢の秘密がまた一つ解明したような気持ちになった。  メモはできないけれど、できる限り脳のメモリーに残して、現実に戻ったらすぐに書き留めよう。  そう思い、僕は新たな質問をしようとしたが、夢葉が急に手の平をこちらに向けて制止するポーズを取り立ち止まった。  人差し指を唇に当て、耳をそばだてながら森の奥を見つめる夢葉。  何かの足音でも聞こえたのだろうか。 「光くん、何か聞こえない?」 「もしかして、熊とかの足音?」 「どっちかっていうと人の声みたい。あ、ほら、今聞こえたよ!」  歩いてきた道筋に対して西方向。  木々が生い茂っていて先はよく見えないが、じっと耳を澄ましてみると確かに人のような声が聞こえた気がする。 「よし、行ってみよう!」  人の気配に期待を寄せながら、僕と夢葉はその声を頼りに走り出した。
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