エピソード6 黒幕が登場した件

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エピソード6 黒幕が登場した件

「宙に、浮いている……」  ごくりと唾を飲み込み、常軌を逸したその存在をまじまじと観察する。  黒スーツに黒ネクタイ。  おまけに黒のサングラスと全身を黒づくめに固めた男。  まるで、悪をその体にまとったような姿。  聞こえた声から、年齢は三十代後半くらいだと推測する。  宙に浮かぶ男を前に、そのトリックがどこにあるのか視線を彷徨わせた。  しかし、吊り下げられているはずの糸や見えない床などの類いは一切見当たらなかった。 「私が浮いているのにはタネも仕掛けもないぞ。正真正銘何もしていない」 「ふ、ふざけるな!」  既にお菓子の家といった現実ではありえないものを見てきた自分にとって、人間が宙に浮くことはかろうじて受け入れることができた。  ただ、黒幕と思われる人物を目の当たりにしたことで、動揺が全身をひた走る。  口から飛び出た五文字を、男は鼻で笑ってあしらい、ビシッと僕に対して人差し指を突き出した。 「それより君、私に対してもっと言うことはないのか。せっかくラスボスがお出ましになったのだぞ」 「ラスボス……。っていうことは、やっぱりあなたが夢の侵食を?」 「いかにも。私が君たちの言う夢の侵食を起こした張本人だ」  堂々と言い放つその言動が、逆に怪しく感じられる。  しかし、男の宙に浮くという超能力は夢を操っていないとできないだろう。  そう思うと、緊張で全身が固まるのを感じた。  夢なのは分かっている。  それでも、夢葉が語っていた恐ろしい計画をしている、全世界の人類を操るような男が目の前にいることに、この身体は恐怖を感じていた。  空中に浮くことが簡単にできるくらいだ。  その能力は見ただけじゃ全く計り知れない。  僕は目を閉じて深く深呼吸をする。  そうだ、相手はこの夢の侵食を引き起こした張本人。  いきなり飛びかかってくる様子はなさそうだし、話し合いの余地は残されているみたいだ。  そのためには一旦冷静にならないと。  再び目を開けても、男は微動だにせず同じ場所に立ち止まっている。  サングラスを掛けているから、目の奥で男が何を考えているのか見当もつかない。  何より、洞窟に閉じ込められている上、今は夢の住人であり味方である夢葉がいない。  正真正銘の一対一。 「もしかして、君のお友達がいないから怖いのかな」 「べ、別にそんなことないし」  心を読んだような言葉に、つい上ずった声が出た。  んんっ、と咳払いをしても、喉に何かが詰まっているような感覚は拭えなかった。 「なら呼んであげよう」 「え? それはどういうい……」  言い終わる前に、人差し指を立てたまま、男は親指と中指でパチンと指を鳴らす。  すると、再び常軌を逸したことが起きた。  男の隣の空間が歪み、その場所に一瞬にして一つの物体が現れた。  等身大の、大きな銀色の檻。  銀色にきらめくその檻の中にいたのは、昨日出会ったばかりの少女、夢葉で間違いはなかった。 「嘘……でしょ……?」  驚きの連続に思考がついていけない。  残ったなけなしの精神力で、圧倒され倒れそうになる体を無理矢理支える。  檻の中の夢葉は、腕をだらりと垂らし、膝を折り曲げた状態でうなだれている。  その姿を見て、僕は彼女の名前を叫んだ。 「夢葉、しっかりして! 生きているんでしょ! なら、答えてよ!」  必死で叫ぶ僕の姿を涼しい顔で男は見てくる。  先程から変わらない表情の裏には何を秘めているのか、自分には見当も付かなかった。  そして何度目かの「夢葉」という叫び声。  その声に反応したのか、夢葉は目を覚まし、地面に向けていた顔を上げた。  ホッとしたのも束の間、今度は夢葉の方が声を上げた。 「え、ここはどこ? どうして光くんがこんなところにいるの? というか、これって檻? 私、どうしてこんなところに…。  あ! あなたはまさか! 夢の侵食なんて馬鹿な真似は……きゃー!」  目が覚めた夢葉は、周囲の状況に気づき恐怖心を露わにすると共に、その場に頭を抱えてうずくまった。  彼女は遠くから見ても分かるくらい、全身を震わせていた。  彼女の下には、煮えたぎるマグマが控えている。  それが恐怖の原因であることは明らかだった。 「夢葉、しっかりして! 今助けるから!」  どうにかして夢葉を安心させようと、彼女の名前を叫ぶ。  根拠のない頼りない言葉であったけど、夢葉はうずくまりながらコクコクと何度も頷いた。 「いいぞいいぞ。互いに確かめ合う絆の力。まさに青春ではないか」  僕と夢葉の掛け合いに、余裕を見せる黒幕が水を差してくる。  一体何を言っているんだ、この男は。  何を、呑気なことを。  状況は更に悪化したが、とりあえず夢葉の命が無事なのは確かめられた。  僕は怒りを抑えつつ、次の行動を考える。  夢葉が動くことのできない今、自分が動くしかない。  そのためには黒幕の弱点となる部分を見つけ出すのが先決。  そうなれば、まずは時間を稼いで様子をうかがうしかない。  黒幕に夢の侵食について問い詰めながら、夢葉を助け、男を倒す考えを巡らす。 「あなたは夢の侵食を行って、一体何がしたいんだ?」  まずは目的を聞き出すところから。  自分のような弱者であれば、それくらい答えてくれるかもしれない。  しかし、僕の質問を遮って、男は唐突に変な行動を取り始めた。  親指と人差し指だけを開いた右手を夢葉に向け、 「バーン」  たった一言、男はそう言った。  それと共に、夢葉を閉じ込めている檻が轟音を立てて大きく揺れた。  予想以上に響くこの洞窟内での、人を小馬鹿にするような声。  夢葉は身を切り裂かれたかのような叫び声を上げた。  揺れる檻の中で両腕を押さえて、更に小さく蹲り涙を流す夢葉を見て、怒りが爆発した。 「いい加減にしろ! やっていいことと悪いことがあるだろ!」  怒りが恐怖を上回り、夜叉のように顔を歪めて男に近づく。  崖先から男までの距離は五メートル弱。  これ以上は近づくことが物理的にできない。 「これくらいはやっていいことに入ると思うが、君は違うのかね」 「ふざけるな、女の子を泣かせることに、いいことなんてあるはずないだろ」 「なら……」  もう少しで飛びかかりそうな勢いの僕に対して、男は告げた。 「本当に悪いことの方を、しようかな」 「え?」  驚きの声を上げたのは、夢葉の方だった。  男が鳴らした、二度目の指パッチン。  それを合図に、男ではなく、夢葉の檻に対してのみ、万有引力の法則が働いた。  即ち、夢葉を閉じ込めたまま、  檻がマグマに向かって落下した。  その出来事を前に、僕は夢葉に手を伸ばすことも、声を発することも忘れてしまう。  スローモーションのように感じられるその光景を、ただ見つめることしかできない。  落下の瞬間、夢葉の顔から血の気が一気に引くのが見えた。  彼女が叫び声を上げようとした時、落下速度の速い檻の天井に頭をぶつけ、かはっと声を漏らす。  そこからはもう、ただひたすらと重力に従うのみだった。  マグマの中に檻と夢葉が落ち、視界からその姿が消えると、僕は目を閉じて耳を塞ぎ、体を小さく丸めて五感をすべて遮断しようとした。  恐怖と無力さが、心の中でごちゃ混ぜになった。  夢葉が落下し終えてからも、僕はしばらく動くことが出来なかった。  あまりの恐怖と絶望が脳内を覆いつくし、全身が打ち震えていたから。  網膜には夢葉がマグマの中に落ちる瞬間が何度も映し出され、彼女の身に起きた悲劇が耳の奥で何度も再生される。  その映像を打ち消すため、何度も何度も繰り返し声を上げた。  自分の無力さに腹が立つ。  ヒーローになりたいなんて軽い気持ちでいたあの時の自分の顔を殴りたい。  何がヒーローだ。  目の前で女の子が救いを求めていたのに、何一つできなかった。  顔を上げることができたのは、それから十分以上も経った後だった。  声は短時間で喉が裂けるくらい叫び続けたせいで、小さく掠れた声しか出ない。  顔は涙でぼろぼろになり真っ赤に染まっていることだろう。  体の自由は聞かず、うずくまったまま顔のみを上げて男を見た。  反抗の意志は既になく、心の中は衰弱しきっていた。 「…………て」 「ん? どうしたのかな」  か細く転がり落ちた最大の弱音の言葉。  それすら相手に届かない自分に更に絶望しながらも、その言葉を繰り返す。 「……僕も、殺して」  男を前に、白旗を振る。  物理法則すら操り、最後の頼みの綱であった夢葉は死んだ。  圧倒的な存在を前に、次に自分に降りかかる災厄を予感し、生きる意志を失った。  この絶望は、自分にとって死と同然の状況。  勝てる気がしない。  だから早く、この死の状態を終わらせてほしい。 「君にとって彼女は会ったばかりなはずなのに、どうしてそこまで肩入れするのか理解に苦しむよ」  頭上で男の声が響いてくる。  その声には呆れの二文字が含まれていると、すぐに理解する。 「君には色々と期待していたのに、残念だよ」  そして男は、僕の心に追い打ちをかけるような言葉を呟いた。  けれど僕はその言葉を、反抗することなくただ聞くことしかできない。  自分の無力さをかえりみることすら、放棄していた。 「じゃあ、君もさようならだ」  三度目の指パッチンが響く。  地面が崩れ足場を失う。  この先に待っているのは、マグマの海なのだろう。  恐怖を感じる感情は、もうどこにもなかった。  落下する中、心の中で呟く。  ――夢葉、君を助けられなくてごめん。  懺悔をする僕の上から、宙に浮かぶ男の声が降りかかる。 「夢は宇宙じゃなくて、地球なんだがな」  その言葉の意味を理解できないまま、マグマの中に落ちるより先に意識が途切れた。
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