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(第1巻)4.
「土曜なのに、早起きね」
午前中に起きた俺を見て、母さんが世界の終りのような顔をした。
「今日は同期と一緒に、駅前のフィットネスで泳ぐからな」
「ああ、あの人たちと? 良い人たちじゃない」
母さんがみそ汁を俺の前に置いた。土曜の朝はいつも和食だ。
「……あの日、何人来たんだよ?」
「幸雄なしだったら5人だったけど」
「全員でうちに来たってわけか」
「心配して家まで探して、さらに背負って送ってくれたんだから、感謝しなさい」
「……まあな」
俺はこれ以上その話をしたくなかったから、食事に集中することにした。
*****
駅前に着いて1番だと思ったら、見覚えはあるが誰だか思い出せないリケジョみたいな女性に声をかけられた。
「小川君」
黒縁眼鏡かけてて、真面目そうな感じ……。俺の会社にいなさそうな感じだけど、思い出せない。
「……ごめん、誰だっけ?」
「同期の前川だけど」
ちょっとムッとされてしまった。
「あ、ごめん、でもお前、社内で見かけたことないような……」
「総務だからね。フィットネスの法人券、欲しかったら総務にあるから」
「ああ、確かに総務にはほとんど行かないからな」
そう話してるうちに、広瀬と安西も来た。
「めぐみちゃん、久しぶりだね」
広瀬が鼻を伸ばしてなれなれしく話しかけてるが、俺以外の同期は結構仲がいいらしい。
「久しぶり? 会社で毎日見かけてるけど」
前川の無愛想さを見る限り、広瀬の片思いか。
「そういう意味じゃなくて、オフで会うのがってこと」
「誤解を招くような言い方、やめてくれる?」
「確かに怪しい響きだよな」
安西もそう思ったらしい。
「小川君が参加って超レアじゃない?」
前川に言われて、俺もそう思った。
「なぜか最近な……」
「青木と山本がご執心だからな」
広瀬に言われると、なんでも嫌味に聞こえるんだよな。
「あら、私もうれしいけど」前川の言葉が俺をどきまぎさせた。俺ってほんとにモテてる?
「ほら、やっぱりお前が1番人気じゃん!」
広瀬の嫉妬か、からかわれてるのか。
「レアだからだよ。それか害なしって思われてるか」
自分で言って意味不明だと思った。害なしってなんの?
青木と山本も来た。
「お待たせ、行きましょうか?」
*****
駅前の一等地にビルを構える東山フィットネス。ビル全部フィットネスだから、すごいよな。ここの法人会員って、意外に俺の会社って悪くないかも。
「なんで、競泳用の水着なんだよ?」
広瀬が俺を上から下までなめるように見てる! 気持ち悪いな。
「お、お前こそ、なんだそのちゃらい水着」
「ちゃらい? 普通だろ」
広瀬の水着はリゾート用に見えたが、でも周りを見ると、確かに結構カジュアルなのが多かった。安西もそうだった。水泳帽とゴーグルまでって俺だけ?
プールへ行くと、あり得ないものが目に入った。
「なんでビキニなんだよ? それも真っ赤!」
山本の私服が派手なのはわかっていたが、水着までとは……。それに意外にスタイルいいし、Bカップはあるな。
「え? 問題ある?」
ある! 俺には大有りだが、そんなこと言えるわけがなかった。
「それになんでそんなに化粧濃いんだよ? プールで取れるだろ?」
「あ、アクアビクスだから。顔、プールにつけないし」
あ、なるほど。
「小川君こそ、競泳用って……」
確かに浮いてるかもしれない……。早くプールに入ろう。
「俺は泳ぎに来たから」
そそくさと俺はプールに入った。しまった、準備運動をしてない。しょうがないから、またプールから上がった。
「どうしたの?」
青木の水着は、ブルーのワンピースタイプというのか、割と普通だったが、よく似合っていた。いつもは垂らしてる髪を1つにまとめてるのも、悪くない。前川は2人の中間くらいの露出度で、そこそこスタイルに自信があるようだ。
「準備運動しないと」
視線を気にせず、身体をほぐし始めたら、全員俺のまねをし始めた。
「さすが、水泳部よね」
山本が前屈すると胸の谷間が見えた! ちょっと得した気分。
「小川スイミングクラブ、結成するか?」
広瀬はいつも一言多い。
「そんなもの、作らなくていい!」
ちょっと早いが、運動をやめて今度こそ泳ぐためにプールに入った。プールの右端は真剣に泳ぐ人の用のコースと書いてあった。このコースにいる人は、水泳帽もゴーグルもしていた。良かった。
壁を蹴って泳ぎ始めた。気持ちいい! 毎日泳ぎたい。
*****
泳ぎ始めた幸雄を見て、広瀬が言った。
「めっちゃ、真剣に泳いでるけど」
「すごーい、ターンもあの水中でクルンって回るのだし、さすがね」エリカが感心していた。
「ストレス発散かのような、すごい泳ぎだけど、フォームもきれいだしかっこいいな」安西は憧れが混じった口調だった。。
「ストレス溜まってるのかもなあ。小川も彼女いないし」
そう言ったあと、広瀬が女性陣3人を見て言った。
「お前らマジで小川を狙ってんのか?」
3人は顔を見合わせた。
「友情は壊したくないけど、私はうまくいけばいいなって思ってるけど」
エリカが言った。
「青木と前川はどうなんだよ?」
広瀬が答えなかった2人に、再度聞いた。
「同期で仲良くできればそれでいいけど、私は」
めぐみはそう答えたが、智子は答えなかった。
「アクアビクス始まるみたいよ」
エリカの言葉に5人はアクアビクスに向かい始めた。
「え? 広瀬君も安西君もアクアビクスなの?」
智子は意外だった。広瀬は体系的にぽっちゃりで運動が苦手そうに見えたが、痩せてはいるが筋肉質体型の安西はスポーツマンに見えたからだ。
「あ、俺、腰痛いんだよな。小川担いで歩いたのが堪えたみたいで」
安西の言葉に、
「「そうだったの!? 大丈夫?」」
「だから今日誘ってもらってよかったよ。アクアビクスか水中ウォーキングで、すこしましになると良いんだけど」
「営業だから歩かないとだめだし、今週きつかったんじゃない?」今日の2人の水着姿を見る限り、智子でも幸雄の方が安西より体重が重いのは一目瞭然だった。
「ああ、実はな。でも小川に言うなよ、気にするから。でも広瀬もアクアビクスって?」
「あんまり泳ぐの好きじゃないからな」
明らかに運動不足体型をしている広瀬の発言に、全員は無言で納得した。
「じゃあ、無理してこなくても良かったのに」
エリカにそう言われた広瀬はショックだった。
「そんな寂しいこと言うなよ!」
広瀬がムキになって大声を張り上げた。
「ごめん……」めぐみ目的で来てるとわかっているとはいえ、言いすぎたと思ったエリカは素直に謝った。
*****
ひとしきり泳いで、気が済んだ。誰もいない。全員アクアビクス? あれって男でもする人いるんだ?
プールからあがってとりあえず休むことにした。久々とはいえ、張り切って泳ぎ過ぎたかも。高校時代と違うんだから、こんな泳ぎ方したらダメだよな……。
「やっと上がってきたか」
広瀬が横に腰かけてきたが、髪も完全に乾いてる。やっぱりアクアビクスだったのか。
「どういう意味だよ? そんなに長いこと泳いでたか?」
「2時間くらいずっと泳いでたぞ」
「ああ、そうかもな」
「こっちはアクアビクス終わって暇だったから、お茶してたよ」
「え? じゃあやっぱりお前もアクアビクスだったのか?」
「安西もな。男でやってる人も多いぞ、腰痛持ちとか。みんながみんな、お前にみたいに泳げるわけじゃないからな」
「まあそうだけど……」
広瀬がプールの時計を見て言った。
「5時か。早いけど、メシ行くか」
確かに腹減ったが、まさかまたあの焼き鳥屋じゃないだろうな……
*****
予感的中。どうやら連中はここの常連らしい。
「今日も座敷でお願いします!」
「あ、今日は座敷より、椅子の方が……」
安西がそう言ったものの、青木の要望通り座敷になった。
「いててて……」
安西が痛そうに座った。
「腰が痛いのか?」
「いや、大したことないんだけど」
まさか、俺を担いだせいとか? 今日の水着姿を見て気付いたが、俺の方が背は低いが、間違いなく体重は俺の方が重い。
「それ、俺のせい?」
急に不安になってきた。俺のせいだったら申し訳ない。
「いや、元から腰痛持ちでな。別にお前のせいじゃないよ」
「うつ伏せになってくれる?」
俺は思わず言ったが、安西がきょとんとした顔で俺を見た。
「……いいけど、なんで?」
「水泳部ですこしスポーツ整体かじったから、見てやるよ」
「そうなのね、すごいわね」
広瀬が机を移動させて、場所を作ってくれた。
横になった安西の腰を触ると、確かに少し腫れているようだ。
「わー、なんかプロみたい」
「そんなことないけど、スポーツ整体に進むか、整備士に進むか悩んだくらい興味はあったからな」
「なんで整備士になったの?」
前川が聞いてきたが、俺の目は安西の腰元を見ていた。
「人相手より、車相手の方が俺には向いてると思って」
「そう?」
前川はまだ何か言いたそうだったが、俺はマッサージを始めた。
「安西、ここ、痛いだろ?」
俺が右腰の背骨に近い辺りを触ると、安西の足が反応した。
「そこ、痛すぎ!」
「病院に行く方がいいよ」
「マッサージじゃだめか?」
「レントゲン撮れないからな」
そう言ってから、本人が痛がろうが無視して腰回りをほぐした。
「いてえ、痛いよ!」
安西は相当痛かったのか、畳をたたいていた。
「これですこしましになったと思うけど」
安西が立ち上がって、腰を少し回して確認していた。
「確かに痛くない。すごいな、ありがとう」
「俺こそ、ごめん……」
「いや、お前のせいじゃないよ。腰はずっと悪いから、確かに1度は病院に行かないととは思ってはいたけど、無精して行ってなかったからな」
俺は携帯を取り出した。
「もし今晩とか明日痛くなったら、連絡くれよ。家まで行くよ」
「いいのか? でも助かるよ。ほんとに軽くなった」
ラインの連絡先を交換していると
「「「私たちも良いでしょ?」」」
女性陣3人もラインの画面を開いて、待っている……。しょうがないか。
「いいよ、はい」
QRコードを見せた。
「あ、俺も」
広瀬も便乗した。……お前とはしなくてもよかったんだけど。
「私も腰痛いのよね、事務職の悲しい性というか。マッサージしてくれるとうれしいんだけど……」
は? 山本がふざけたことを言った。
「お前、スキがあり過ぎるぞ! 彼氏以外の男に、腰を触らせるようなことは言うなよ」
真っ赤なビキニ姿を見た後に、触ったりしたらその後の妄想が自分で怖い。
あの山本がちょっとひるんだ。
「……それは、小川君だから言ってるんじゃない」
そういう思わせぶりな態度に、引っかかる俺ではない。
「絶対しないから」
「えー、ケチ」
「そういう問題じゃないだろ?」
「じゃあ、俺は良いよな? 俺も足腰痛くて」
広瀬がまた便乗してきた。ああいった手前、男にはしないとだめか。
「じゃあうつ伏せになって。足も痛いのか?」
「ああ、1日終わったらふくらはぎが痛い。結構立ったり座ったり多いじゃん、俺たちの仕事って」
確かに整備士の仕事ってある意味、肉体労働だもんな。触ってみると腰も足もかなりむくんでいた。
「相当痛いだろ?」そう言いながら俺はあまり強く押さなかった。広瀬の手首をつかむと意外に細かった。
「お前……」
「え? 何、俺、やばい?」
「……やばいって何が?」
「だって今脈見たんだろ?」
まさか、医者じゃあるまいし。
「違う、お前、男の割に骨が細いから、すごく太ってるわけじゃないけど、もうちょっと痩せて筋肉つけないと将来、膝に来るぞ」
「え?」
そう言って広瀬が俺、安西と手首の太さを比べた。
「ほんとだ! 安西も俺より全然太い」
確かに人と骨の太さなんて比較しないからな。
「加齢とともに、筋肉でカバーしないと今後しんどくなると思うよ」
「ありがとう! 見直したよ」
何から見直されたかわからんが、ありがたく受け取ることにした。
「……私も見て欲しいなあ。肩なら良いでしょ?」
今度は青木か、女は見ないって言ったはずだが?
「女性陣は見ないから。フィットネスのトレーナーに聞けよ」
女として見てないはずだったが、最近実はやばい……。
「あ、思い出した。ブライアンからこれ、預かってたの」
青木がそう言って、名刺をくれた。
「ぶらいあん……。ひらがなかよ?」
「日本大好きだからね……。前世は江戸時代で侍だったんだって」
意味不明……。
「ブライアンがまた会いたいって。連絡してあげて」
「わかった、ありがとう」
「はい、ビールジョッキ5杯とウーロンサワー、お任せプレート3つ、お待たせしました!」
ああ、うまそう! 運動のあとの焼き鳥は最高だな!
気付くと、安西はおいしそうにビールを飲んでいた。
「悪いけど、安西は今日飲まない方が良いよ」
「え? それ拷問だよ。スポーツ後の焼き鳥にビールだよ?」
明日、安西宅へ行くのは決定だな。
「ウーロンサワーって俺の?」
「そうそう、飲みやすいから気をつけてね。量飲んだら同じことだから」
山本に言われたくなかった。
「今日ぶっ倒れたら俺が背負ってやるよ」
広瀬に言われてちょっと複雑だった。でも、意外にいい奴なのかもしれない。
「今日は大丈夫だよ!」
ここの焼き鳥は確かにうまい。でもほかの店にも行ってみたいと思わないのか? ああ、そうか、みんなはもういろいろ行って、ここがベストだったってことなのか。
「そういや、小川は高校はどこだったんだよ?」
腰が良くなって、飲むペースの早い安西はもうジョッキの半分を飲み終わっていた。
「遠野高だよ」
「結構進学率高かったのに、大学に行かなかったんだ?」
「専門学校行く奴も2割くらいいたよ」
「どうして行かなかったの?」
隣に座ってる青木が聞いてきた。まあ同期集まり新参者は、話題にされるのはしょうがないか。
「成績はそんなに悪くはなかったけど、国立なんて行けそうもなかったしな」
「私立でも良かったんじゃないの? まあ私は私立でも短卒だけど」
円卓の向かいに座ってる前川が言った。
「小6で父が亡くなって、母のパートと遺族年金じゃ2人は私大には行けないよ」
ちょっと雰囲気が暗くなった。聞いてきたのはそっちの方なんだけど。
「それに俺、渡英したのは3歳だったから、やっぱり国語できなくて。国語ができないって意味は、数学の文章問題がわからないってことだから」
「そうなの!?」
前川のその反応。やはりリケジョか。
「そうだよ。ちょっと複雑になったらもうわかんない。そういう奴用の学習塾というか家庭教師って高いしな。兄貴はそこまで国語ができなかったわけじゃなかったけど、それでも国立は落ちたしな」
「でも整備士の学校も、それだったら日本語が難しかっただろ? 漢字多いだろうし」
お任せプレートの最後の焼き鳥を安西が取りながら聞いた。俺が狙ってたつくねだったのに。
「確かにそうだったけど、実技があるから問題なかったよ。だからスポーツ整体も出来そうと思ったけど、結局整備にしたよ」
「そのおかげで一緒の会社なんだし、整備で良かったわよ」
山本がすでに酔ってる? それともほんとに好かれてる?
砂肝を食いながら広瀬が提案してきた。
「今度はテニスにしようぜ。今日は小川ばっかりかっこよくてさ。俺のいいところも見てよ」
「広瀬君、テニス部だったの?」
前川も砂肝を食べながら聞いた。ここの砂肝、俺も結構気に入ってるかも。
「よくぞ聞いてくれました! 中高と6年間ね」
それは上手いに決まってる……
「テニスも会社の福利厚生であるけど、ちょっと遠いのよね。あのフィットネスだとスカッシュになるけど、やっぱりテニスと違うのよね?」
俺が知りたかったことを、前川が聞いてくれた。
「スカッシュ? やったことないからわからんが、似たようなもんかもな?」
広瀬の返事を聞いて、どっちにしろ、俺にはできそうもないが、やってみたい気はする。
「じゃあ来週は、元気な人が水泳とスカッシュ、2本立てで行くか?」
安西が提案したが、その前に腰を直さないとな。
「それって最悪、スカッシュ俺1人かもしれないってことかよ?」
広瀬が心配そうに聞いた。
「大丈夫、私もテニス部だったから。スカッシュはやったことないけどね」
青木がテニス部? 悪いが結構意外。
「小川は水泳は楽勝だろうから、2本立て行けそうだな?」
安西がそう言ったが、どうだろう?
「余力があったらな」
ああ、ウーロンハイでも回ってきた。1杯にしておいてよかった。
*****
今日は無事帰宅。
「おかえり、きっと食べてくると思ったけど、家で食べないんでしょ?」
「ああ、食べてきた。また焼き鳥だけど」
そう答えて、部屋へ上がった。張り切って泳ぎすぎて、身体がだるくなってきた。でも今日は楽しかった。入社して6年、こういう週末も良いかもしれない。
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