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(第1巻)1.
俺は小川幸雄、27歳、独身。家と会社の往復で、人生空しいと思って何年経つんだろう。彼女がいれば人生楽しいと思うが、まだ結婚はしたくない。中肉中背、髪型普通、今のところハゲる気配なし、仕事柄、手は汚い。自動車整備工場勤務だからだ。でも出会いはないわけではない。
1.車検に持ってきた車のオーナー。老若男女問わずやってくるが、中には若い女性もいるが……それで? 連絡先を勝手に控えて連絡しようものなら個人情報保護法違反及びストーカー規制法で、はい、終わり、だろう。
2.車の修理に来たオーナー。1と同じ。
3.同僚で整備士もいるが、悪いが俺が女と思ってない。
4.女性社員。 3と同じ。
わかってる、これでは彼女なんてできるわけがない。行動しようと出会い系アプリもチャレンジしたが、実際会うことになると撃沈。何を話していいかわからないし、なぜか自分がエンジンオイル臭いんじゃないかと思ってしまう。会う前に念入りにシャンプーし、手も何度も洗うが常にその臭いが鼻についてるのだ。母さんからは「デート?」と冷やかされるが、実際はそんないいものではない。「つまんない男」と思われて、連絡しても既読にすら、してもらえない。それで終わり、だ。
ある日、弁当を食う前に、自販機でコーヒーを買おうと整備工場の裏に行くと、同期の青木智子がいた。職場の女性は制服のせいか、どうも同じに見える。でもそれは向こうもそう思ってるだろう、作業着着てると同じに見えてるはず。大して気に留めず、硬貨を入れて買って、職場に戻ろうとすると
「小川君」
え? なんで話しかけてくるんだよ!? 俺は黙って振り向いた。
「お願いがあるんだけど……」
一番多いお願いは無料で車チェックして、なんだが、青木、お前もそうか。
「車の調子が悪いんだったら、持ってきてくれたら見てやるよ」
「小川君、親と同居だよね?」
「そうだけど?」
「弟の大学のリサーチの協力をしてほしいんだけど……」
弟? ほんとは彼氏じゃないのか?
「……いいけど、まさか人体実験じゃないだろうな?」
「アニメの見過ぎよ」
意外にも青木の笑顔はかわいかった。
「弟が、パラサイトシングルの実態について調べてるの」
そう言って、質問項目の書かれた紙をくれた。
パ、パラサイトシングル……。死語だと思ってたけど、そうじゃなかったのか。悪かったな、パラサイトシングルで。
「来週までに回答してくれると助かります!」
そう言って青木はお願い! と両手を合わせた。
「忘れなかったらな」
そう言って俺は場を去ったが、めっちゃ傷ついた。悪かったな、パラサイトシングルで。
休憩室で母さんの作った弁当を開けた。確かに毎日弁当まで作ってもらってる。質問項目にあっても「×」にしよう。もらった紙を見ると……あった! 「弁当」とは書いてないが、「食事も全部親にやってもらっている」がある。「洗濯、そうじ、買い物」もあった。やばい、髭剃りの刃まで母さんに「ついでに」と言って買ってきてもらってる! 確かにすべてやってもらっているが、やってあげたことはほとんどない、母の日と誕生日の年2回だけ。これが彼女がいない原因? そうだろうなあ。でも話したことのない青木に、どうして俺が親と同居とわかったんだろう? あれ? なんで住所や携帯番号、生年月日まで書く欄があるんだよ? 個人情報保護法侵害も甚だしい。
*****
帰宅して母さんの作った夕食を食べた。部屋でパソコンをつけて、考えていた。家から徒歩で通える距離の会社だが、一人暮らしをするべき? 金の無駄のような気がする。東京下町とはいえ、家賃は高い。20代男性のパラサイトシングル率ってどれくらいだろう? 検索していると広告に目が留まった。
「夢のグリーンカード! 応募はこちらから」
グリーンカード? ああ、アメリカ永住権か。抽選もやってるってあったな。クリックしてみると、手数料8,000円? 意外に安いかも。当たる保証もないが、これで当たればラッキーだよな。当たれば家を出る口実にもなる。深く考えずに、俺は申し込んだ。
*****
もしグリーンカードが当たったら、どうしよう。皮算用するのは楽しい。妄想しながら出社すると、青木がいた。
「……おはよう」
そう言って俺は通り過ぎようとしたが、
「小川君、書いてくれた?」
やべぇ、個人情報書きたくなくて途中でやめたんだった。それに……、あの紙、どこにやったっけ?
「あ、ごめん、まだ……」
「明日持ってきてくれる?」
「……なんで俺が、親と同居だってわかったんだよ?」
思い切って聞いてみた。答えを聞いて傷つくかもしれんが。
「だって自己紹介でそう言ったじゃない」
へ? 自己紹介? 俺が間抜けな顔をしていると、
「家がこの近所で、歩いて通勤できるって」
ああ、確かにそう言った覚えがあるが、6年前だぞ?
「それ、新人で配属されたときだろ? もう一人暮らしを始めてたかもしれないだろ」
「徒歩圏なのに、一人暮らしなんてする? それこそ不経済だと思うけど」
ん? どうやら経済観念は俺に近いらしい。
「ああ、だからまだ親と同居なんだよ」
「結婚するときに家を出るって感じ?」
「結婚? 彼女もいないのに? ま、グリーンカードに当たったら、アメリカで一人暮らしだけど」
彼女の目が光ったのを俺は見逃さなかった。
「グリーンカードに応募したの? 小川君、英語できるんだ!?」
実は帰国子女だと言いたくなかった。7年も海外住んでてこの程度の英語力と思われたくなかったんだが……
「まあ、なんとか……」
「すごい!」
「い、いや、そこまでできるわけじゃないし、当たるわけないから良いんだよ」
とっさにごまかす俺。
「アメリカ移住準備しないと! 英会話、一緒に行かない?」
「え?」
「駅前で習ってるの」
「あ、そうなんだ」
一緒に英会話を習いに行くって、よく意味がわからないんだが……。
「いや、当たるわけないから、いいよ」
「でも、英語できるなら当選確率高いんじゃない?」
英会話レベルの記入欄なんて、なかったぞ? まさか極秘調査が入るとか? あり得るか? 犯罪歴のある奴を当選させるわけにいかないからな。しかし、パラサイトシングルって、英語? 和製英語か? アメリカにそういうやつっているのか?
「いや、気持ちはありがたいけどいいよ。当たったら考えるから」
「そうね、当たってから習っても、間に合うレベルなんだものね」
そういうわけではなかったが、あまり英語を習う気はなかった。
「結果わかったら絶対教えてね」
「ああ、でも絶対だめだから。冷やかしで出しただけだよ」
そう言って俺はロッカーへ行って、作業着に着替えた。ああ、言わなきゃよかった。
*****
昼休み。今日は出社途中で買ったコンビニ弁当。正確に言うと、弁当を買うために遠回りして出社。なんでこんなことやってるのか、自分でも意味不明。
「お、珍しいな、コンビニ弁当か。お母さんが病気か?」
同期で同じく整備部の広瀬だ。
「……違うよ」
「お前んちと会社の間に、コンビニないだろ? わざわざ寄ったのか?」
なんでこの会社って、いちいち細かいことを聞く人が多いんだ?
無視して食べてると、青木まで来た。
「あら、コンビニ弁当?」
お前もかよ? 俺は立ち上がった。久々のコンビニ弁当がまずくなる。
「小川君、待って」
追いかけてくるなよ!
休憩室の外に出ると天気も良いし、風もない。初夏は俺の一番好きな季節だ。整備工場の裏に適当に作られたバスケットボールコートがあるが、その向こうに大きな木があって、その下で食うと美味しく食えそうだ。
俺は木の下に座って、飯を食べ始めた。青木が追っかけてきた。
「どうしたの?」
「どうもしないよ」
「これ、もしあの紙なくしてたら、と思って」
そう言ってあの用紙をもう一度くれた。
「……ありがと」でも書きたくないんだが。
突然、俺の横に座って、弁当を開け始めた!
「なんだよ!?」
「一緒に食べたらだめなの?」
「……いいけど」
想定外の出来事に、俺は戸惑いを隠せなかった。女子と一緒に弁当なんて前の彼女と別れて以来かも? たぶん7年前か?
青木の弁当箱は小さかった。まさか、青木もパラサイトシングル? 視線に気が付いた青木が言った。
「自分で作ってるの」
「え? すごいな」
中身もうまそうだった……。きっと良い奥さんになることだろう。
「その方が節約できるでしょ?」
「一人暮らしなのか?」
「ううん、弟と二人暮らし」
「そうなんだ」
だから弟の課題の手伝いもしてるわけだ。
「実家は北海道だもん。弟は東京の大学に行ってるからね」
「俺ももっと遠いところに就職すればよかった」
「どうして? 近い方がいろいろ良いじゃない」
「そうだけど、27にもなって実家暮らしって言うのもな……」
「だからグリーンカードに応募したの?」
「それも多少あるけど、特にないよ。ネット広告で出てきたからクリックした。意外に安かったから」
「実は私もずっと出してるの」
「え?」
だから青木が、俺に興味を持ち始めたんだ。
「小川君が先に当たるかもね」
「だから英会話、習ってんのか……」
「そう、いつでも移住できるようにね」
どうやら真剣らしい……。俺みたいに、こんなくだらない理由で応募する連中のせいで、倍率があがってるんだろう。ちょっと悪い気がした。
「ねえ、英会話、やらない? 備えあれば憂いなしって言うじゃない」
「うーん、でもたぶん覚えてると思うし、それに結構高いだろ?」
「覚えてる?」
つい、気の緩んだ俺は言ってしまった。
「ああ、小さい時、親の仕事で海外に住んでたんだ。でも、そんなに使ってないからだいぶ忘れてるけど」
「ええええ! すごい! どこの国?」
「……イギリス」
「すごい、すごい! クィーンズイングリッシュなのね!」
クィーンズイングリッシュ? そんな大それたものではないんだが……。
「英語、教えてよ! 確かに英会話って高いのよね」
「教えるなんて無理だよ! 最近そんなにしゃべってないし」
「じゃあさ、私が行ってる英会話教室の、レベルチェックテスト受けない? 英語話せるよ」
……どうしても英会話に連れて行きたいらしい。
「良いけど、小学校の時だからなあ……。自信ないな」
「何年くらいいたの?」
「7年かな」
「……すご!」
「すごくないよ、親の転勤だったし」
みんな同じ反応なんだよな。7年イギリスいたなら、英語できて当たり前って言われるし。兄貴もその反動で英語嫌いだったし。俺は嫌いではないが……
「じゃあ、明日、私のレッスンがあるからそのときにしない?」
「……いいけど」
正直言って、気乗りしなかった。どうせ忘れてるし、初級レベルを勧められるから、金もかかる。もしグリーンカードに当選したら、現地で生の英語で鍛えられる方が俺は好きだな。
「グリーンカードに応募してる件、2人だけの秘密よ」
俺は「秘密」という言葉より「2人だけの」に反応した。
「言う奴いないから大丈夫」
昼休み終了のベルが鳴った。
「じゃあ、明日ね」
「ああ、わかった」
俺にずっと彼女がいないもう1つの原因は「めんどくさい」からだ。明日、仕事のあと英会話教室にって、超めんどくさい。きっと休みの日に買い物に付き合わされるとかも、めんどくさそう。そんなこと言ってるから、いつまでも彼女ができない。
「最近、青木と仲いいじゃん」
あ、また広瀬か。こいつとの会話もめんどくさい。
「仲いいとは、言わないと思うけど」
「一緒に弁当食べてるのに? だからコンビニ弁当か」
こいつの邪推、大嫌い。
「偶然だよ」
そう言って俺は、午前中の続きの整備を始めた。
*****
女子更衣室に幸雄の同期女性陣3人がいた。
「小川君とランチなんて、何よ」
智子と同期入社で、一番仲良しの山本エリカが言った。
「まあね」
前川めぐみも会話に参加した。
「ずるーい、小川君、かわいいもんね」
「そうそう、天使の輪ができるサラサラヘアーでいいよね」とめぐみが言うと、
「童顔の割に、逞しそうな身体つきしてるしね」
「そうそう、ちょっと髪が伸びてるときに汗かいて、手が油まみれだからって手で汗がぬぐえないときに頭振ると、あの髪がなびいてさ……」
エリカもめぐみも同じ意見だった。
智子はちょっと得意げだった。「小川君と2人だけの秘密」ができたからだ。
「でもさ、家が近すぎて、帰りにばったり会って『晩御飯、食べて帰らない?』っていうシチュエーションにならないのよね」
というめぐみに
「そうそう、会社帰りにどっかに一緒に寄りたかったら、会社で約束しないといけないのよね。携帯の番号もまだ知らないしさ」
エリカも言った。
智子の社内での1番のお気に入りは幸雄だった。他の同期を出し抜いたことにちょっと後ろめたさを感じるが、智子は上機嫌だった。
*****
「ただいま」
俺は寄り道もせず、仕事が終わって帰宅した。誰も誘ってくれないが、会社のうわさ話にも興味ないし、ちょうどいい。
母さんの作った夕食を食べながら俺は言った。
「あ、明日さ、英会話教室のレベルチェックに行く羽目になったから、ちょっと遅くなる」
母さんの顔が輝いた。
「まあ、英語やる気になったのね!」
そういうわけじゃないんだが……
「強引な同期に誘われて」
「いいきっかけじゃない。あんなにしゃべれたのに、すっかり忘れちゃって残念だったものね」
残念だったのは俺の方だよ。7年イギリスにいて、小5で帰国することになったときは、大泣きだった。親友もいたし、楽しかったのに。帰国して日本語できなくて最初は苦労したけど、だいぶ英語も忘れちゃったし、とにかく俺は中途半端。ただ、親友のトーマスとケビンもゲーマーで、今は一緒にフォートナイトのボイスチャットで英語は使ってるが所詮その程度。
「習う気はないからさ、今更いいよ、もう」
「そうなの?」
母さんはちょっと悲しそうだった。
「今の仕事に満足してるしな」
食い終わって、俺は部屋に戻った。でも満足してるなら、なんでグリーンカードに応募したんだろうな。
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